えーと、んーーー。
それを見たときに、何だか居心地の悪さ&モヤモヤを感じた。しかし、そのモヤモヤの正体を考え抜く前に映画はどんどん展開していく。そして迎えた選挙戦終盤。タスキに変化が生じているではないか。なんと「妻です」ではなく「妻明子です」と個人名が入っていた。
おおっ!
その時やっとモヤつきの正体が見えた。私は妻・娘という肩書き/役割だけがそこに描かれているという匿名性がどうにも気持ち悪かったのだ。だからタスキに名前が入ったことで、「誰かの妻」という男性を中心としたファミリー内ポジションだけではなく、社会に生きるひとりの個人として認識できるようになった。
その方がいいです!ああ、よかった! とスッキリな展開だが、実はこのタスキには様々な論争(涙も!)があったことが後にわかった。
その顛末は、書籍『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』(和田靜香著)に詳しいが、そもそも論争は「あのタスキは家父長制の香りがする」というネット上の指摘から始まったという。その指摘を、先の本を書いたライターの和田さん経由で耳にした小川さん一家は、複雑な心境だったようだ。保守的な香川では「家族で頑張ってます!」とアピールすることが選挙戦でも大事なことで、小川さんファミリーは「香川には香川独自の地域性、やり方がある」と反発を感じた。それでも、対話を続けるなかで、明子さんたちは自らの意思で最終的にタスキに個人名を入れることを決意した。
さてここで『グレート・インディアン・キッチン』(ジヨー・ベービ監督)の話に移ろう。ストーリーは、あるインド人の男女がお見合い結婚するところから始まる。
夫は伝統を守る名家出身で、妻は広い邸宅で彼の両親と一緒に暮らし始める。映画冒頭から女性は台所に立ち、懸命に手の込んだ料理を作るカットが淡々と映し出される。ドラマチックなことはなにも起きない。ただひたすら繰り返される料理、テーブルの上に食べ散らかされる残飯、汚れたテーブルを掃除する妻、というカットが積み上がる。そこに追い討ちをかけるように、「米は炊飯器を使わずに炊くもんだ」(by 義父)「外食は好きじゃない」(by夫)などの言葉が投げかけられ、さらに彼女を台所という牢獄に縛りつけていく。ぐえええ、うちの父もこういう感じだったなと思いだし、胸が苦しくなる。
からの記事と詳細 ( 私たちにはちゃんと名前があるのです - GQ JAPAN )
https://ift.tt/h3oPTzV
No comments:
Post a Comment