先日、80歳以上の方とインタビューをしたことがある。最近、世の中がとても変だと、うつ病にかかっていると訴えた。そうですか、そうですかとうなずいて帰って来た。また先日、大学を卒業するかどうか悩む学生と面談したことがあった。魂を売ってでも就職したいが、本当に憂鬱だと話した。そうだね、なるほど、とうなずいて帰ってきた。
一時は同感を示すことこそ優しいことだと思ったが、こういう時は口が苦い。口が苦いときは、宗教や祈りや信念を探してしがみつくようになる。私の知る限りでは、詩人にとって宗教はまさに詩だ。詩人にとって優先順位の信念があるなら、それも詩だ。私たちに宗教や祈りが必要なら、詩人のそれを見るのも悪くない。
ある詩人の祈りのような詩を見てみよう。「生はどこにでもある」で、人生は一体どこにあり、何かに変化する祈りに心が痛む。生きているという感じを受けずに生きていくという言葉が絶望的だ。それにもかかわらず、この詩は他人の心配に感謝し、他人が元気を出してほしい。祈りがすべてを解決してくれるのではない。だが、それをしなくては耐えられないことがしばしばある。
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