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Sunday, December 20, 2020

記事のためならば、たとえゲーム開発者との友情を捧げたっていい【ゲームライターの日常 シーズン2】 - IGN JAPAN

kukuset.blogspot.com

以前この連載で「ゲームメディアおよびライターは、ゲームや関連会社に対して第三者であるべきではないか」と書きました。この考えは特に変わっていないのですが、その一方で、きっぱりと「第三者である」と言いづらくなったりするケースもあります。

ゲームライターはゲーム開発者と会うこともあるので、やりとりをしていたら意外と気が合うなんてケースもあったりするわけです。あるいはインタビューをする際は友好的な態度をとれたほうが相手もよく喋ってくれるでしょうし、そのほかの場面でもむやみに冷たくて厳しい態度をとる必要はないでしょう。

相手がゲーム会社所属の方ならビジネスライクに付き合えるので楽で、大規模な集団が制作しているものであれば褒め言葉も文句もだいぶ言いやすかったりします。ところが、相手が小規模になると話が別です。僕もまた、インディーゲーム開発者の方と親しくなって困ったことがありました。

可能であれば、第三者でありたいゲームライター

 

そもそも、ゲーム開発者の方と親しくなってなぜ困るのでしょうか? 親しくなっておけば話ができる相手が増えて便利ですし、顔も売れる。いろいろ情報交換ができてお互いにメリットも多いわけです。ただ、ビジネスの間柄でほどよく距離感をとれる場合はそれでいいのですが、そこから踏み込んで友達になってしまうと関係が難しくなります。

たとえば友達が何か作品を作ったとして、あなたはそれを見てなんと言うでしょうか。「お前の作品、クソつまんねえ~~~」とオブラートに包まず言う行為は、あまりしないでしょう。あるいは、気づかないうちに友達に気を使ったり、友達のいる環境を否定するのが難しくなります。

「いや、真の友達なら堂々と言える」と反論されるかもしれませんが、その“真の友達”とかいう曖昧なものはなんだよという話でして。気のおけない友達であれば言えることも多いでしょうが、一方で親しき仲にも礼儀ありなんて言葉もあるわけです。相手が議論や批評を好まないケースもあるでしょう。

ゲームライターは誠実であったほうがいいと考えている僕にとって、ゲーム開発者の方とはある程度の距離をとっておきたいものなのです。明らかに第三者でもあるために。

「坊主憎いけどその袈裟いいね」とはいかない

Xbox.comより、いまはなきXbox LIVE Indie Gamesマーケットプレイスのキャプチャー。この市場でゲームをいろいろ探していたら、ある日出会ったのです。
Xbox.comより、いまはなきXbox LIVE Indie Gamesマーケットプレイスのキャプチャー。この市場でゲームをいろいろ探していたら、ある日出会ったのです。

とはいえ、僕も親しくさせていただいているインディーゲーム開発者の方がいらっしゃいます。もともと友達になろうとは考えておらず、彼らが制作したゲームがおもしろくて自分のブログで褒めたら反応してくれて、そこから交流がはじまりました。

イベントがあればそこで顔を合わせ、たまに会っては飲みに行ったり、あるいはゲーム屋を紹介してもらったり射撃場へ連れて行ってもらったのです。「明らかに第三者であるために」とか言っておきながら、笑えますよね。

こうなると当然、前述のような問題が起こりえます。なので僕は、彼らと会うときは常に「もしあなたがたの新作をレビューすることになったら、ほかの仕事と同じようにまったく容赦しないのでよろしくお願いします」と言い続けてました。それこそ耳にタコができるくらいに。

何度も言ったので理解していただけたと思いますが、問題はここから。事前にそう説明したとしても、いざ低評価をつけたら相手が怒る可能性はありえます。ゲーム開発者の方たちは情熱を持ってゲーム開発にあたっているわけであって、それを否定されたら自分そのものを非難されたかのように感じてもおかしくないでしょう。

ゲームを遊ぶだけの人だって、自分の好きなゲームがけなされたら自分の人格が否定されたかのように怒り出す人もいるのですから。人間は情の生き物なので、これは致し方のないことです。

むしろゲームライターとしての覚悟だった

『グノーシア』(2019)。
『グノーシア』(2019)

そして実際に、彼らの新作ゲームをレビューすることになりました。いざそういう立場になってみてわかったのは、むしろ交流がある相手だと高評価をつけるのが難しいという意外な事実。

前述のように、僕は低評価をつける可能性についてはさんざん言及しました。逆に、高評価をつけるときのことをほとんど考えていなかった。10点中の7~8点くらいなら無難なので何も気にならないのですが、このケースでは9~10点あたりをつけようとすると難しい。

ひいき目はなかったか。顔を合わせた相手だから優しくしようという無意識の甘さはないか。逆に、「ひいき目は絶対になくさなければならない」と思い込みすぎることも目を曇らせる要素なわけで、まあ本当にどこが正解かわからない。いや、ゲームレビューに正解なんてないんですが。

しかし、こうして悩むことが重要なのです。記事を読んでいる人は実態がわからないですし、周囲が執筆状況を調べるにしても限界がある。ゲームライターである自分を律することができるのは、究極的には自分だけ。だから、自律をサボったらその時点で何かが終わってしまうのです。

レビュー記事が公開されたあと、そのゲーム開発者の方から「自分たちもプロとしてシビアにやっているし、渡邉さんもシビアにやったうえで高く評価してくれたのがうれしい」と言ってもらえました。考えてみれば相手の方も、甘く点数をつけてもらうより厳しくやったうえで高評価なほうがうれしいのは当然ですよね。

そして、ここでひとつ気づきました。僕が「もしあなたがたの新作をレビューすることになったら、ほかの仕事と同じようにまったく容赦しないのでよろしくお願いします」と言い続けていたのは、友情を壊さないためではなかったのです。もしそう言っても、低評価をつけて相手が怒る可能性はゼロにはなりません。ではなぜか。自分がゲームライターとして活動するうえでそこは甘えてはならない、という自戒の言葉だったのでしょう。

むしろいま友情を育めていることを喜ぶ

みんなでフェスに参加して10倍マッチで勝利!画像は『スプラトゥーン2』(2017) 。
みんなでフェスに参加して10倍マッチで勝利!画像は『スプラトゥーン2』(2017) 。

また別の機会で、そのゲーム開発者の方たちと雑談していました。僕が「自分はAさん(まったく別の人)くらいしか友達いないからな~」みたいなことを言ったところ、「われわれも友達ですよ!」と言ってくれたのです。非常にうれししかったものの、そこではじめて友達だと言われたので、次に彼らの作品について記事を書く機会がある場合はさらにプレッシャーがのしかかります。ただでさえゲームレビューはたいへんなのに、こんな自戒が必要とはなあ。

とはいえ、友達が増えることは純粋にうれししいですよね。しかもゲーム開発者の方となるとコアなゲームの話で盛り上がれる相手ですし、一緒に『スプラトゥーン2』を遊んだりできるのもうれししいところ。

一方で、友情とは時間によって移ろいゆくものだとも思います。仲のいい人だって時期によってはちょっと離れたりもするでしょうし、ひょんなことから結びつきが強くなったり、ある時を境に決別しなければならなくなる。不変なものなどないのですから、ずっと友情を続けたいなどとは考えず、いま仲良くできていることを喜ぶべきなのでしょう。

ミシュランガイドの調査員は仕事を秘匿する関係上、どうしても友達が減りがちだそうです。ゲームライターはそこまではいかないにしても、作品を評価する立場になるのであれば人生に制限が生まれても当然かもしれません。

なんだかこの記事を書いていて、夏目漱石の文章を思い出しました。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい、ですね。

「ゲームライターの日常 シーズン2」を終えて

「ゲームライターの日常 シーズン2」は第11回となる今回で終了です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。IGN JAPAN編集部がOKを出してくれれば、記事のネタを貯めてまたシーズン3で戻ってきます。もしよければ、編集部宛てに感想などをご送付いただけると幸いです。

※ゲームライターの日常 シーズン2の記事一覧はこちら。シーズン1の記事一覧はこちら


渡邉卓也(@SSSSSDM)はフリーランスのゲームライター。この連載の原稿を書くと、自分が意外とまじめに仕事をしていることに気づいて驚く。

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