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Thursday, December 31, 2020

松井大輔と大久保嘉人が大放談 鹿実、国見時代の青春と乱闘事件 - スポーツナビ

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 鹿児島実業高と国見高が高校サッカー選手権初の九州勢同士のファイナルを戦った1990年度大会から30年――。両校のOBであり、同世代として切磋琢磨(せっさたくま)してきた松井大輔と大久保嘉人。39歳と38歳になった今なお、ボールを追い続ける彼らが振り返った青春の日々と、これからとは――。

鹿実はもっと走ってんだぞ!

――今年は、おふたりの母校である鹿児島実業と国見が、九州勢として初めて高校サッカー選手権の決勝を戦った1990年度大会から30周年なんです。

松井 へえ、知らなかったです。

大久保 俺も。

――あれ? 大久保選手、ご存じありません? それを記念して鹿実と国見の現役生徒がスペシャルマッチを行うイベントで、記念ユニホームを着て告知の協力をされていましたよね?

大久保 ああ、あれ、30周年記念だったんですね(笑)。

松井 知らないで、やってたのかよ(笑)。

――松井選手は京都から鹿実へ、大久保選手は福岡から長崎の国見に越境入学していますが、憧れとかありましたか?

大久保 俺は小学3年生くらいのとき、国見が選手権で優勝したんですよ。アツさん(三浦淳宏)とか、永井さん(永井篤志)の時代(92年度大会)。それを見て、国見でサッカーをしたいと思ったんです。

松井 僕は中学生になってから選手権を見るようになったんですけど、その頃ちょうど、平瀬(智行)さんがいた鹿実が優勝して(95年度大会)。それを見て、鹿実に行きたいな、と思ったんですけど、どうやって行けばいいのか分からなくて。(京都の藤森中の)監督に相談したのを覚えていますね。

――入学後、「打倒鹿実」「打倒国見」というようなライバル意識は感じました?

大久保 国見は間違いなく鹿実がライバルで、「鹿実はもっと走ってんだぞ!」「お前ら、負けていいのか!」って先生にハッパを掛けられながら、走らされていましたね。ただ、選手は何も思ってなかったです。

松井 監督同士(鹿実の松澤隆司監督、国見の小嶺忠敏総監督)がそういう感じだったんでしょうね。どちらも意識し合っていたというか。同じ九州で、同じような戦術というか、似たような戦い方で、「国見には絶対に負けない」という気持ちが(松澤)監督にはあっただろうし、切磋琢磨(せっさたくま)して、ともに強くなっていかなきゃけないと思っていたんじゃないかな。

すごく荒い選手、それが第一印象

――お互いの存在を認識したのはいつ頃か、覚えていますか?

大久保 俺は高2のとき。松井さんは1個上だから3年で。鹿実はみんな坊主なのに、松井さんだけ髪を伸ばしていて。

松井 ハハハ。

大久保 「なんだ、あいつは!?」と思ったけど、めちゃくちゃうまいんですよ。京都から来たやつらしいって。「うわ、すげぇな」って俺は見てましたよ。なんで髪伸ばすの、許されていたの?

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