増田俊也「眠るソヴィエト」
※本記事は連載小説です。
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3
広場へ行くと、すでに全員が集まっていた。広場に入る寸前に私はリサコの手を振りほどこうとしたが、リサコはそれを許さなかった。
パチン、パチンと火のなかで薪がはぜる音が聞こえる。一本しかない左腕で焚火に薪をくべて火を大きくしているのは黒彦だ。その後ろでセシ少年が地べたに座って遊んでいた。
鍵谷は丸太に座って膝に伊緒里をのせ、木椀で何かを飲んでいた。おそらく
みな、顔を上げて私とリサコを見た。
「あれ、おまえらどうしたんだよ」
知っているくせに鍵谷が頓狂な声をあげた。
亜希の表情が凍りついた。その横で美冬は母の顔をうかがうようにしている。
「おまえら、もしかして付き合ってるのか?」
鍵谷が言ってゲラゲラと笑いはじめた。
「最低──」
リサコが私の横でつぶやいた。
どちらにしても焚火のところに座るか、あるいは旭や亜希のところへ行って作業を手伝わなければならない。リサコが手を引いて焚火のほうへ行こうとしたが私は
「ようし。そろそろ準備といこうか」
私に助け船を出すように鍵谷が言った。
自分で突き落としておいて自分で助けるふりをする。こういうやりかたが彼は好きなのだ。そうやって人をコントロールする男なのだ。最近私はそのカラクリがわかったし、実際にいまも彼の言葉に助けられたように感じてしまっている。
鍵谷が膝から伊緒里を降ろし、立ち上がった。
そして旭たちのほうへ歩いていき、大鍋をつかんで焚火のところへ持ってくる。黒彦はそれを受け取り、鉄の棒に通して火の上にかけた。
肉を刺した鉄串を持って旭たちがこちらにやってくる。亜希は暗く黙ったまま網に肉をのせていく。パチンと薪がはぜるたびに顔をしかめて上体をのけぞらせている。下からの炎に照らされ、いつもと違う彼女に見えた。その視線はときどきちらりと私のほうに泳いだ。しかし私の腕にはリサコがしがみついている。もう諦めるしかなかった。
「こんな
そう言って干し肉を口にくわえる鍵谷の横顔もいつもと違う角度からのオレンジ色の炎に揺れている。
「よし、そろそろ大丈夫だろ」
鍵谷が言って軍手をはめ、炎のなかから鉄串をつかみだした。そして肉を横にくわえるようにして串から抜き、満足そうに
「やっぱ猪は鮮度だな」
言いながら焚火脇の丸太に座った。伊緒里が木椀を持って差し出すと鍵谷は上機嫌で受け取り、一口二口で椀を空けてしまった。すぐに伊緒里はそれを持って
「伊緒里。早く持ってこい!」
鍵谷がまわりにアピールするように大声で言った。
伊緒里が木椀を両手で持って鍵谷のもとへ走った。鍵谷はそれを受け取り、伊緒里の腰を抱くようにして自分の膝に座らせた。
「みんな座れ! 夕飯だ! 巨大猪の肉だぞ!」
鍵谷が肉の串を持った右手を高く上げた。そして笑顔で伊緒里の顔を引き寄せ、キスを交わした。それを見てリサコが私にキスしてきた。舌を差し出してきたがとてもその気にはなれず、舌で押し返した。リサコがむっとして顔を離し、ぷいと横を向いた。向こう側に立っている亜希がそれをちらりと見てすぐに眼を
「どうぞ」
美冬が肉の串を何本かのせた木皿を持ってきた。
私は礼を言って受け取り、一本の串を手にして皿は地面に置いた。熱い肉塊にかぶりつくと、中から肉汁がほとばしった。毛皮のような臭みがあるが、ここに来たころに感じた抵抗感はなくなり、逆にいま豚肉を食べればきっと物足りなく感じるだろう。生血にはなかなか慣れることができないが、肉に関しては野生のものに舌が慣れてきていた。
「お酒です。どうぞ──」
亜希がやってきて椀を差し出した。
それを受け取ると脇に抱えている甕から猪酒を注いでくれた。礼を言いながら眼を見たが、彼女は視線を逸らした。
肉を囓りながら旭がやってきて会釈し、左隣に座った。亜希が椀を差し出し、酒を注いだ。旭がそれを飲むあいだ甕を持ったまま待っている。そしてもう一杯酒を注いで甕をそこに置き、向こうへ行ってしまった。
しばらく旭と話しながら酒を飲んだ。
右側にリサコがいるのが厄介だが、先ほどキスを拒んだのを機に彼女はわざとふてくされたようにしているのでかえって気が楽だった。
「いや、ほんとに美味いですね」
私が言うと旭が
「ほかの獣は大きいものほど味が大味になるけど、猪だけはなぜか大きいもののほうが美味くなるんです。不思議なものですね」
笑いながら木椀の酒を飲みほした。
私は甕を持ってそれに注いだ。
「ありがとうございます」
酒を受けて旭は木椀を地面に置いた。
そしてまた肉にかぶりつき、串から引き抜いて咀嚼した。
美冬が木椀をふたつ両手に持ってやってきて私たち二人の前に置いた。猪肉のシチューだった。木製の
空には秋の星があり、森を包む闇はとことん深い。パチパチと薪がはぜる音が冷たい夜気に合っていた。薪が焼ける匂いは香ばしく、米飯が食べたいなと少し思ったが、肉だけの食事も山のなかでは格別だ。
向こうに座る鍵谷が山賊のように大声で笑って酒を飲みほした。
「おい、
大声で鍵谷が呼んだ。
すでに酔いがまわっているようだった。
「おまえ、昼間、血を飲まなかったろう」
太い声で言って私をじっと見た。
「いや、飲みましたよ」
笑顔で返すと鍵谷もゲラゲラ笑った。
そしてにやりとして人差し指で私をぐいとさした。
「ちゃんと見てたぞ。血の杯を、おまえ受けなかったんだからな」
「いや、そんなことないですよ。飲みましたよ」
私はまた笑いで誤魔化した。
「噓を言うな!」
鍵谷が大声で言った。
その顔からは笑みが消えていた。
「からみ酒が始まったようだ」
隣で旭が言って、下を向いて肉塊を咀嚼している。
「おまえ、飲まなかったよな」
鍵谷はじっと私を
「いえ。飲みましたって。
面倒に巻き込まれてはかなわないので私はあくまで笑顔で返した。
「噓を言うな! だったらここでも飲めるのか!」
鍵谷がまた大声を出した。
まわりは固まっていた。
「じゃあ、こいつを食ってみろ!」
そう言って、かたわらにある大きな皿から何かを
「食ってみろ! 俺は見てたんだ! おまえは血を飲まなかった!」
鍵谷が叫ぶように言った。
私は黙って地面の生肉を見ていた。
彼の気が鎮まるまで待つしかない。
「食えよ! その肉を食え!」
鍵谷が言った。
誰かがすすり泣きしはじめた。
見ると美冬だった。
そちらを見て鍵谷が怒った。
「なんでおまえが泣いてるんだ!」
美冬がびくんとしてさらに泣き声を大きくした。
「おまえなんて、まだ小便垂れのガキだろう。うるせえんだよ。おい亜希。このガキを黙らせろ」
鍵谷は亜希にからんだ。
美冬が泣きながら立ち上がり、森のほうへ駆けていく。それを追って亜希も走っていく。
「行け行け、どっか行っちまえ、小便女! 母親が小便くさいと思ったらガキのほうも小便くさいんだからたまらねえよ」
鍵谷が吐き捨てるように言った。
その瞬間、私の隣で旭が「おい!」と大声をあげた。
「鍵谷! おまえ、いい加減にしろ!」
「きさま!」
鍵谷が怒りの眼を旭に向けた。
旭はその視線を避けず睨み返している。
「鍵谷! おまえ自分がやってることをわかってるのか!」
「てめえにとやかく言われる筋合いはねえ!」
「自分の娘と関係を持つなんてのは獣だってやらねえことだ!」
私は驚いて旭を見た。
炎に照らされたその横顔は
「なんだと!」
鍵谷が何かを持って立ち上がった。
猟銃だった。
「俺が知らないとでも思っていたのか!」
旭が言うと、鍵谷が眉間から鼻筋まで深い
「自分が何してるのか、わかってるのか!」
旭が言った。
「てめえ、本当に粛清するぞ!」
「ああ、してみろよ。おまえみたいな根性なしにできるのか!」
鍵谷はゆっくりとこちらへ歩いてくる。その眼は怒りに燃えていた。
「ほら、粛清してみろ!」
旭も立ち上がった。
鍵谷は五メートルほどの距離で立ち止まった。
そして猟銃をゆっくりと構えた。
「やってみろ! おまえなんかにできるわけがない!」
旭が両手を広げた。
リサコが私にしがみついた。
▶#11-3へつづく
◎第 11 回全文は「カドブンノベル」2020年7月号でお楽しみいただけます!
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June 18, 2020 at 05:03AM
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