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Wednesday, August 31, 2022

「死にたい」が口癖だった僕から、9月1日の君たちへ:時事ドットコム - 時事通信ニュース

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 現在大学2年生の西川幹之佑さんは、注意欠陥・多動性障害、アスペルガー症候群傾向、学習障害のため、小学生の頃からトラブルを起こし続けていた。周囲になじめず、テストで点が取れないと、教室を飛び出す毎日。人に迷惑を掛けてばかりだ…と自分を肯定できず、小学3年生の頃から「死」の衝動にとらわれるようになった。

 そんな西川さんの人生を変える出来事があったのは、中学2年生の夏休みの終わりのことだった。きっかけは、通っていた麹町中学校の工藤勇一校長(当時)から届いた一斉メールだった。それ以後、「死にたい」と口にしなくなった西川さんの心に何が起きたのか。つらいときの解決方法は「死」ではないと、いま強く訴える西川さんの著書『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由―麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと』から抜粋してお届けする。

心の奥底でたまり続ける発達障害の自分を否定する気持ち

 僕は小学3年生の頃から、何かあるたびに、死にたいと言うようになりました。

 一番の原因は、「発達障がいである自分は、何をするにも大変で、生きること自体しんどくてしかたなかった」からです。学校でも嫌なことがあると、かっとなって自分の首を絞めたり、階段から飛び降りようとしたり、自室でもパソコンで自殺の方法について調べたりするということをしていました。

 この言葉は両親を苦しめました。僕の「死にたい」という気持ちを変えるために、いろいろなところに相談して、多分お金もいっぱい使ったと思います。でも、「死にたい」という気持ちは僕の心の奥底で、沼の中に沈むドロのようにたまり続けました。学校も僕の対応に困っていました。

 いつだったか、両親からは、僕が発達障がいで大変であるとはいえ、簡単に死を選ぶことは許されない、苦しくても人は生きていかなくてはいけない、僕のことは大切な宝物なのだから自分の判断で簡単に死を選ばないでほしい、と泣きながら話をされたこともあります。

 でも、両親の気持ちを理解すればするほど、それと反比例するように、僕は自分をますます否定するようになります。なぜなら、2人は幸せになるために結婚したのに、僕のような不良品が生まれてしまい不幸にさせてしまった。申し訳ないとしか思えなかったからです。

 一方で、死にたいと言いながらも、どこか「死」ということに対して踏み切れない自分がいました。そんな自分を、もう一人の自分が見ていて、本当は死ぬということではない別の方法で自分は救われたいとも思っているのではないか。こんなふうに感じていました。

 死にたい死にたいと思いながらも、頭の片隅に、祖父母の顔、両親の顔、妹の顔、大好きな人たちの顔がよぎると、死にたくないと感じる自分もいました。そうなると僕はどうしたらいいのか分からず、泣くしかありませんでした。

 死にたい、死にたくないという気持ちが揺れ動く中で過ごしていた中学2年生、2016年の夏休みの終盤に差しかかったある日のことです。夕食を食べながら家族で見ていたニュースで、9月1日は一年でもっとも子どもの自殺が多い日であるという事実を知ります。

「死にたい」とばかり言っていた僕を目覚めさせた工藤先生のメール

 そのニュースを見ながら、両親は「無理に学校に行くことはないんだよ。幹之佑の命の方が、世間体より大事なんだからね」と声を掛けてくれました。

 その夜、ベッドに入ってからも僕は子どもの自殺のニュースが頭から離れず、普段より余計に寝付けませんでした。

 死にたい死にたいと口癖のように言っていたにもかかわらず、あのニュースを見てからの僕は、気持ちがモヤモヤして仕方ありませんでした。

 死ぬことしか選択できなかった子どもたちの絶望やむなしさを思いました。そして、死んだやつに「何で死ぬんだよ! 死んだらダメだろう?」と言いたい気持ちでいっぱいになり、何で助けられなかったんだと胸が苦しくて苦しくてたまらなくなりました。死にたいと言う自分の姿が自殺した子たちと重なり、それを見ている別の自分がまた、そう感じていたのです。

 それから2日もたたないうちだったと思います。麹町中から保護者のメールアドレスに生徒向けの一斉メールが届きます。メールをプリントアウトしたものを母は僕に渡してくれました。

 メールには、次のようなことが書いてありました。あちこち探したものの、残念ながら、現物は手元には残っていなかったので、断片的な僕の記憶を頼りにした大体の内容です。この点はご了承ください。

 “やあ、みんな。校長の工藤です。みんなは夏休みをどんなふうに過ごしているかな? 宿題が終わった人も、終わってない人もいると思うけれど、9月1日の始業式は何も心配することはありません。元気な子も元気でない子も、とにかく顔を見せに学校においで。僕もほかの先生も、君たちが顔を見せに麹町中に来てくれることを待っています。

 もし何か心配や困ったことがあったら、いつでも校長室に来てください。君たち一人ひとりを麹町中は待っています”

メールのプリントアウトを握りしめて一人ボロボロ泣いた

 母はこのメールを開いて最初に読んだとき泣いたそうです。子どもたち一人ひとりの顔を浮かべながら校長先生が書いたメッセージを初めて読んだからだと言いました。そして、自分の子ども時代にこんな素晴らしい先生に出会えていたら、私の人生ももう少し変わっただろうな。幹之佑がうらやましい、と言いました。

 僕もこんなことは初めての経験です。

 そして、こんなにもまっすぐに、自分の気持ちを生徒のみんなにぶつけてくれる工藤先生をはじめとした麹町中の先生方に対して、僕は今まで何てことをしていたんだろうと恥ずかしくなりました。

 麹町中で、僕は死にたいと何度も言っていました。かっとなって階段や窓から飛び降りようとして、そのたびに、先生たちに止められては叱られました。

 工藤先生も副校長の宮森先生も、クラス主任の柿崎先生も、担任の深代先生も、保健室の新橋先生も、真剣に僕に向き合ってくれていたのに、僕は自分だけが大変で苦しんでいると思っていて、周りの人の気持ちなんて考えたこともありませんでした。

 死にたい僕よりも苦しそうな表情で、いつも泣きそうな顔をして必死で話をしてくれる柿崎先生を思い出したら、僕はなんて自分勝手なことばかりしていたんだろうと思いました。

 本当に申し訳ないことをしていたんだ。死にたいと言っている僕を見ているもう一人の自分がこのことに気付いた瞬間、僕は自分の部屋でメールのプリントアウトを握りしめながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と一人で言いながらボロボロ涙を流していました。

工藤先生からメールを読んで考え、実行したこと

 僕は工藤先生からメールをもらって、どうしたらもう死にたいと言わないようになれるかを考えました。そして翌日、僕は母に考えがあるので手伝ってほしいと言いました。

 僕が考えたのは、「死にたい」というのは、自分の存在をこの世の中から消したいのではなく、「死にたいくらい、つらい」という気持ちを伝えたいということなので、僕の真意を周囲の人に受け止めてもらえないかというものです。

 だから僕は今後「死にたいくらい、つらい」と言い換えようと思っているものの、何かのときに感情的になり過ぎて、つい「死にたい」と言ってしまうかもしれない。その場合は、「死にたいくらいつらいということ」だと理解してもらい、後は自分でどうすれば気持ちを落ち着けられるか考えるので、手助けしてもらいたいと思ったのです。

 その日から、家でも、学校でも、自分自身に対しても、「死にたい」と思った瞬間、僕は「死にたいくらい、つらい」と言い換えるようにしました。両親から説明を聞いた麹町中の先生方も言い換えられるよう、寄り添ってくれました。

 相性の合わない先生のこと、ちょっかいばかり出してくる嫌なやつのこと、忘れ物ばかりしてしまうこと、提出物の期限が守れないこと、テストの点が予想より悪かったこと、何となくイライラする…。

 何かトラブルがあったときに「死にたい」という一言だけで済ませていた僕。それが「死にたいくらい、つらい」と言い換えているうちに、少しずつ次に続く言葉が出るようになっていきました。

 以前のようにただ感情を爆発させるのではなく、「死にたいくらい、つらいので、落ち着くまで保健室に行ってよいですか」のように、今すぐに自分がどうしたいかが言えるようになってきたのです。

 言葉の言い換えだけで、そんなに違うの?と思うかもしれませんが、僕は変わることができました。もし何か落ち込むことがあったら、「死にたい」ではなく、「死にたいくらい、つらい」と心の中で言い換えて、自分の感情の動きを感じてみてください。重く、どす黒いかたまりのような気持ちが、いつもよりもほぐれていくように感じられるはずです。

 工藤先生のメールをきっかけに、かなり時間はかかりましたが、僕は少しずつ「死にたい」と言わなくなり、自殺めいた行動を衝動的にしたいとも思わなくなりました。

 その土台になったのは、ぶつかりながらも何だかんだ言いながら理解してくれた両親がいたことや病院の先生、助けを求めた僕を見守ってくれた麹町中の先生がいたことです。

かつての僕のように「死にたい」と思っている子供たちへ

 もし今「死にたい」と思っている人がいたら、命を守るために、今すぐにでも誰かの助けを求めて、環境を変えてください。

 つらいときの解決方法は「死ぬ」ことではなく、周りに相談することです。まず、自分の身体と心を守ることを考えて、安全な場所を確保してください。

 親や学校の先生が信じられないなら、電話相談、交番の警察官や駅の係員の人、誰でもよいです。一人でも多くの人に伝えてください。必ず、真剣に受け止めてくれる人がいます。我慢したり無理をしたりせずに、勇気を出して「助けて」と言ってください。

 いつも死にたいと言っていた僕の心からのお願いです。

   ※  ※  ※

 筆者の西川さんは、このような工藤勇一氏の言葉をきっかけにして、自らの生き方を劇的に変えていく。当事者の視点で、その過程を克明に描いたのが『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由―麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと』(時事通信社)。

 【著者プロフィル】西川幹之佑 2002年新潟県三条市生まれ。注意欠陥・多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群(ASD)傾向、学習障害(LD)などの特性がある。東京都千代田区立麹町中学校、英国・帝京ロンドン学園卒。現在、帝京大学法学部政治学科2年生。

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