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Wednesday, March 24, 2021

【末續慎吾の哲学】聖火リレーと生卵 - 産経ニュース

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 東京五輪の聖火リレーが25日に福島県からスタートする。

 「聖火リレー」と聞いて思い出すのは2008年北京五輪だ。北京五輪の聖火は日本にもやって来て、1998年冬季五輪の開催地だった長野市内でリレーされた。トーチを掲げるランナーの一人として参加し、野球日本代表監督だった星野仙一さんから聖火を引き継いで200メートルほど走った。

 印象に残っているのは星野監督との引き継ぎよりも、沿道の雰囲気が物騒だったこと。当時、チベット問題をめぐって、中国政府への抗議として世界各地で聖火リレーに妨害行為が相次いでおり、この日もチベットと中国のそれぞれの支持者が集結し、対立していたようだった。

 僕が走り出すとコースに生卵が投げ込まれた。幸いトーチにも体にも当たらず、卵は後方のアスファルトで割れた。それを見て、「怒りをぶつける矛先が違う」と率直に感じた。卵を投げ付けたくなる事情や感情があることはよく分かる。でもそれは、決して聖火リレーの場に持ち込むべきものではない。

 聖火リレーはナチス政権下の36年ベルリン五輪で始まったが、聖火自体は、それ以前の28年アムステルダム五輪ですでに灯されていた歴史があり、今では五輪精神や平和を表している。

 いつの時代も政治などに絡むゴタゴタは絶えない。ゴタゴタが絶えない世の中だからこそ、そういうことを一切抜きにして、ただ純粋にスポーツをする機会、スポーツを見る機会は大きな意義がある。古代五輪が開催されていたギリシャ・オリンピアで採火される聖火は、その一つの象徴だ。

 東京五輪の聖火リレーではランナーの辞退者が出た。新型コロナウイルスの感染対策の観点からは、沿道に大勢の人が集まってしまうことが懸念されている。課題は少なくない。だが、たとえ人が見ていようが、見ていなかろうが、聖火リレーは然るべき儀式として粛々と執り行うべきだろう。

 僕は五輪には2000年シドニーから3回連続で出場した。末続慎吾という人間を形作っている要素として「五輪」は欠かせないものとしてある。だから、聖火ランナーの打診を受けたときは二つ返事で引き受けた。オリンピアンの義務ですらあると認識している。5月、故郷の熊本県で、しっかり聖火をつなぎたいと思う。

(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

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