2013年のこと。
大学を一年間休学し、念願だったアメリカ留学を経験した。
場所はシアトル。
15歳でNirvanaと出会って身体中に電撃が走り、世代でもないのにグランジシーンのバンドを聴き続けていた私にとっては、ずっと憧れていた場所だった。
アメリカ自体行ったこともなかった私は、留学が決まってからシアトルでの生活を日々妄想し、思いを募らせていた。
だが、期待が高まれば高まるほど、現実とのギャップに苦しめられるものだ。
そのギャップを生み出してしまった大きな要因の一つが、「ホームステイ」という選択だった。
初めての海外生活に慣れるまではそのほうが助かることも多いだろうという安易な考えから、最初の3か月はとあるホストファミリーの家に滞在することにしていたのである。
夫婦と大男
その家に到着すると、ニコニコと笑う小太りのおばさんと、全身にタトゥーを入れた仏頂面のおじさんに迎え入れられた。
どうやら彼らが3か月間お世話になるホストマザーとホストファーザーのようだ。
ホストマザーは、「もう一人紹介しないといけないわ」と私を小さな庭へ誘導する。
そこにはプレハブ小屋が建っていた。
ドアをノックすると、185センチの私より一回り大きな男が姿を見せた。
彼は自らをジョンと名乗った後、手短に自己紹介をし、「もう戻っていいわよ」というホストマザーの声と共に小屋へ戻っていった。
その後の食事の時間も、私はどこか腑に落ちないものを感じていた。
遠い国から来たばかりの私をこの家の一室に住まわせておきながら、なぜジョンはあんな狭い小屋で暮らし続けるのだろうか。
そもそもこの夫婦との関係性は……?
様々な疑問を抱えたまま、その家での生活は、あっという間に一週間経過しようとしていた。
その一週間で認識したことが二点あった。
まず一つは、彼らと私は予想以上にビジネスライクな関係にあるということ。
部屋と食事を提供してもらえるが、その代わりに乾燥機を使う毎に1ドル、マヨネーズを使う時も50セントを要求された。
私が払う家賃も彼らの大きな収入源で、そのために致し方なくジョンには小屋に住んでもらっているのかもしれない。
そして二点目が、ホストマザーとホストファーザーは相当なアウトドア好きであったということ。
過去形であるのは、ホストファーザーが何年か前に山頂から下山する際に滑落し、膝に大怪我を負って以降すっかり家に籠っているからだと聞かされた。
その生活になってから、ホストマザーのアウトドア欲は募りに募っているらしく、週末に二人でマウントレーニアという山へキャンプに行こうと誘われた。
あまりアウトドアには関心のない私だったが、日本でもその山の名を冠するコーヒーがコンビニで売っているくらいには有名なスポットだ。
「せっかくだしシアトルらしいことがしたい」という気持ちだけで、その誘いに乗ることにした。
だが、そのキャンプは想像以上に過酷だった。
キャンプとアブノーマル
これまでに何人もの人が落下して命を落としているという細い山道を、慣れていないスキーで登り、凍った湖の上にテントを張って泊まった。
過酷な山道
身体が冷えすぎて一睡もできず、熊のような生き物の咆哮に怯えながら、朝が来るのを待った。
呑気にイビキをかいて眠っていたホストマザーが起床し、「氷を鍋で溶かして水にして飲みましょう」と言う。
準備しようと鍋の蓋を開けると、ホストマザーが昨日履いていた靴下と下着が鍋から出てきた。
動揺を隠しながら鍋で氷を溶かし、水筒に入れたはいいものの、若干潔癖寄りな自分の脳内には鍋の蓋を開けた瞬間の光景が焼きついて離れず、結局水を飲まずに下山した。
脱水症状気味で体力も限界だった私は、一刻も早く家に帰り、熱いシャワーを浴びて、柔らかいベッドの上で眠りたかった。
車が家の前に到着し、安心感が胸いっぱいに広がる。
意気揚々と玄関のドアを開け、私は自分の目を疑った。
全身タトゥーの男と大男がリビングで激しくキスをしながら体をまさぐり合っていたのだ。
一瞬理解が追いつかなかった。
だがそれは、紛れもなくホストファーザーとジョンだった。
咄嗟にホストマザーの反応を窺う。
どれほど怒るのだろうか。アメリカ人の夫婦喧嘩の激しさは日本人とは比にならないに違いない。
すると、ホストマザーは山で履いていた靴を雑巾で磨き始めた。
見て見ぬふりを決め込んだのだ。
「さすがに無理があるよ……」そう呟いて私も目を背けている間に、ホストファーザーは寝室へ、ジョンはプレハブ小屋へと裸で逃げて行った。
それ以降、ホストマザーがいない隙を見計らって、彼らはイチャイチャを繰り返すようになった。
一度目撃されたことで開き直ったかのように、私は完全に空気として見なされていた。
誘われるようなことはなかったものの、卑猥な行為を繰り広げるおじさん二人の傍観者になるのはなかなか堪えるものがあった。
毎日ホストファーザーがジョンに食事を与え、隙を見ては庭の小屋からジョンを連れてくる。ジョンはプレハブ小屋に「住んでいる」のではなく「飼われている」と表現したほうが適切かもしれない。
そう考えると、ずっと疑問を抱いていた彼らの関係性も自分の中で合点がいった。
そして、それを見て見ぬふりを決め込んだホストマザー。あまりにも歪な関係である。
地獄の発表と決意
そんなある夜、ホストマザーから私の留学生活を大きく揺るがす発表があった。
「元夫との間の娘がドイツで結婚をするから、私だけ2か月家を空ける」
限界だ。
彼女の少しの間の買い物や散歩の外出ですらキツかったのに、2か月間もの間、インモラルえちえちおじさんの館と化すのはさすがに耐えられない。
とは言え、「あなたの夫とおじさんの卑猥な行為はもう見たくない」と彼女に伝える度量も私は持ち合わせていなかった。
「夜逃げしかない」
食事を終えると、気づけばスーツケースに自分の荷物をすべて詰め込んでいた。
彼らが寝静まったのを確認して、音が出ないよう慎重にドアを開けて、家を出た。
かと言って、現地には頼れる人もまだ誰もいなかった。
ダメ元で大学の近くにある教会に逃げ込み、新しい家が見つかるまで滞在させてもらった。
その後、新しい家では、今でも連絡を取り合う素晴らしい友人がルームメイトとして迎え入れてくれ、思い描いていたシアトルの生活を思う存分満喫することができた。
最初の家のことなどすっかり思い出すこともなくなったある日、韓国人のクラスメイトから相談を受けた。ホームステイにしたことをひどく後悔しているという。
わかるよ。俺もめちゃくちゃ後悔したからね。
他の人も、ホームステイを選んだ人でうまくいってる人って見たことないなあ。
ルームメイト見つけて一緒に住んだほうが、ずっと楽しいよ!
「ちなみにホストファミリー、どんな人なの?」と最後に私は尋ねた。
「全身タトゥーのおじさんと、プレハブ小屋の大男」
その後、ホストマザーがドイツから帰宅することがあったのか、私には知る由もない。
(文/池田ビッグベイビー、編集/福アニー)
【Profile】
●池田ビッグベイビー
1991年生まれ、YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」のメンバー。185cmという巨体を武器に大学卒業後はネズミ駆除の仕事に就くも、YouTuberへ転身。「池田ショセフ」名義で音楽活動も行う。
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