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Thursday, September 8, 2022

女の子なのに…勝手に「可哀想」なんて言われても - 大手小町

kukuset.blogspot.com

20代の初めのころ、私が初めて良性の腫瘍をとるために胸の手術を受けたとき、何人かの人たちが「じゃあ胸を切って縫ったんだ、女の子なのに大変でしたね」と言った。どうやらそれは、胸に傷がついていることは女性としてなんらかのディスアドバンテージになる、という意味らしく、そんな言葉を聞くたびに、大きなお世話だなまじで、と思った。実際には私は、左胸の脇にできた3センチほどの手術痕のことをわりと気に入っていた。

年を重ねていくと当然のように体は変化するけれど、いままでつきにくかったところに肉がつきやすくなるとか、頬がたるんでくるとか肌質が変わるとか、そういう類いの変化はどれも1日単位で見ればすごく地味だ。もちろん、1年に1度しか会わない親戚の子どもはたけのこくらいめまぐるしいスピードで成長しているように見えるのと同じで、私の体の変化も他者から見ればそれなりなのだとは思うのだけれど、私は私の姿を見慣れてしまっているので、「あ、きょうの自分、きのうと違うな」と感じる日はほとんどない。

だから、手術前/手術後ほど劇的にビフォーアフターを体感できるのは人生のなかでもめったにないことだったし、局所麻酔で受ける手術の恐怖と痛み(麻酔が切れかかってくると、縫われている箇所がふつうにとても痛む)を乗りこえて得た傷は、スタンプラリーをぜんぶ巡り終えたらもらえる特別なスタンプのようで、すこし誇らしくもあった。かつて整形手術を受けた知人が「ダウンタイムが長くてつらい整形ほど、それを越えたときに変わっている自分のパーツが成功体験の証しのように思える」と話していたことがあったけれど、それと近い感覚なんだろうなと想像する。

傷があることが日常になると、しだいにそれはスマホケースの裏に貼ったプリクラみたいになっていった。ふだんは手元にあることを忘れるほど自然にそこに同化しているけれど、ときどき思い出したように視線をやってみたり、「それなに?」と聞かれたりするたびに「お、あるじゃん、懐かし」と気づく。そんな感じで、私はときおり銭湯の鏡や家の姿見で胸の傷を見たり、「胸どうしたの?」と聞かれたりするたびに、「お、あるじゃん、懐かし」と思った(もちろん、「邪魔でいやだな」と思う日もたまにはあった)。

「可哀想になっちゃってだめだ…」

けれどそれを人に話すと、なぜか多くの場合、「女の子なのに大変でしたね」になってしまうのだった。友だちやパートナーのような親しい関係の人たちは「痛んだりする?」とか「傷どのあたり?」とふつうに聞いて接してくれるのに、関係のない人たちほど、私の手術痕を悪いものと決めつけて扱いたがった。

いちど、飲み屋で会った知らない人に、「胸を切ったの? ごめん俺、そういう話、可哀想かわいそうになっちゃってだめだ……」とため息をつかれたことがある。共感して自分まで胸が痛くなってしまう、とかそういうことではなく、胸を手術した若い女性なんて可哀想で見ていられない、という話らしかった。

それを聞いたとき、あまりに失礼すぎて頭の芯が冷えていくような感覚があったけれど、いま振り返るとあの人はたぶん、人生のなかで病気や怪我けがについて考えたことがほとんどなかったんじゃないかと思う。身近に病気を抱えている人や障害のある人がいたら、その人の姿を「可哀想」と言い放つことがどれほど相手を傷つけるか知っているだろうし、そうでなくとも、すこしでも障害や介護、ケアについて知ろうとしたことがあれば、そんな言葉は出てこない。出てこない、と思いたい。

その日の帰り道、私は傷つけられた分いじわるな気持ちになって、あなたはどうぞそのまま健やかに年老いて、誰の気持ちもわからないまま周りから蛇蝎だかつのごとく嫌われてくださいね、と静かに祈った。

飲み屋
写真はイメージです

病や障害のある人は、透明人間ではない

ただ、「可哀想」とは思ったり言ったりしないまでも、実際にはわりと多くの人たちが病気になった人、障害のある人のことをどこか透明人間のように見ているのだ。そう気づいたのは、もうすこし年を重ねてからだった。

たとえば、精神的な疾患で休業する人に決まってかけられる、「ゆっくり休んだら元気になって帰ってきてね」という言葉がある。帰ってくるという表現を見るたびに、病院から、どこへ?と思う。

もちろん職場の人に対してなら職場へ、だろう。けれど、なんのグループにも所属していない芸能人や有名人にもこの言葉がかけられているのを見るとき、そのなかに「私たちの社会へ」とか「日常生活へ」というニュアンスが含まれているのを感じてしまう。病院だって社会だし、療養だって日常生活にほかならないのに。さらに言えば、その病の完治や寛解までに膨大な時間がかかる可能性だってあるし、病と一生付き合っていく人だっているのに。

すこし前に読んだ『優しい地獄』(イリナ・グリゴレ著)というすばらしいエッセイのなかに、資本主義では完璧な身体でいることを求められるという一節があった。手術の直後、つえをついて歩いていた大学院生の著者が、街なかで人にジロジロと見られたことを受けてそう考える。完璧な身体でいること。このフレーズを目にしたとき、本当にそうだ、と膝を打ちたくなった。

「社会人」は病気を抱えていないし、どこにも障害や怪我はないし、フルタイムで働ける。そうじゃない人は「病人」で(あるいは「育児や介護をしている人」だったりもする)、それは社会の構成員にはカウントしづらいから、回復してからあらためて出直してきてください。それから、病気の話は「社会」のなかではできるだけしないで。

――そういうふうに考えている人に出会うたびに、見えていないんだな、たくさんいるのに、と思う。見ようとしていないのかもしれない。見ようとしていないから、基礎疾患がある人がコロナ禍でどのように生活してきたかとか、障害のある人が点字ブロックの少ない街をどのように歩いているかに目を向けられることはすごく少ない。

「病人」のカテゴリーにいちど入れたらもうそれ以上は自分たちのビジネスの範疇はんちゅうではない、と思われているのかもしれない。でも本当は、そのカテゴリーに入れられながら日常生活を送っている人はたくさんいる。会社にもいるし、中学の同級生のなかにも、あなたの住むマンションのほかの部屋にも。

「完璧な身体」でなくとも

胸の腫瘍のできやすさは体質的なものなので、おそらくまた何度か腫瘍ができるし、手術も何度か必要になると思います、と5年ほど前に医者に言われた。なるほどそういうもんか、と納得できるようになってから、私はそんな自分の体の調子をデフォルトだと思って生きていこう、という決心めいたものを持つようになった。

たまに腫瘍ができて、たまにそれをとってもらったりするのが私にとってのデフォルトの体調で、そこに付随する不便や怖さや痛さとはどうにか折り合いをつけてやっていくしかないな、といまは感じている。たぶん、自分の体や境遇とこういうふうに向き合っている人たちもたくさんいる。それなのにその人たちがあげる声は、限られた「病人」の声として処理されてしまう。

だからせめて私は、あなたのまわりにいる「社会人」の何割かは「社会人かつ病人」だし、「社会人かつ育児をしている人」なんですよ、誰の助けも必要としない完璧な身体と、他者が介入しない完璧な時間だけを持った人だけが社会人じゃないんですよ、ということを何回もしつこく書いていこうとしている。

せん妄状態で言ったこと

余談だけれど、すこし前にまた胸の手術をした。今回は前回よりも腫瘍がとりにくい位置にあったので、全身麻酔での手術になった。

全身麻酔は初めてだったから、自分の身体がどうなってしまうのかさっぱりわからなくて、久しぶりにすごく怖かった。麻酔をかけられてすこしずつ周りの音が遠のいていくとき、このまま目が覚めなかったらどうしよう、という非日常の怖さがやってきた。

目をあけたら私の身体は手術室に横たわっていて、ゆるやかに意識が戻ってきたのがわかった。麻酔をかけられているとき、せん妄状態になって暴言を吐いたりする人もいると医師から聞いていたので、怖いとかやめろとか言って暴れていないかだけがすこし不安だった。すると、私が起きたことに気づいた医師と看護師たちがちょっと笑って、「そうだ、BGM」「BGM、変わったのわかりますか」と口々に言う。

BGM?」

「シホさん、麻酔で眠る直前に、『難しいかもしれませんが、手術室のBGMを変えていただくことはできますか?』って言ったんですよ」

ぜんぜん覚えていないけれど、それを聞いて私も笑ってしまった。不謹慎だけど、映画に出てくる神経質な殺し屋の台詞せりふみたいでいいじゃんと思った。次に手術を受けるときは、あらかじめBGMをリクエストしておくという楽しみがひとつできた。

生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター・エッセイスト

1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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