東京都現代美術館で開催中の「MOTアニュアル2022」で、相模原障害者殺傷事件などをモチーフに、優生保護政策や障害者差別について鋭い問題提起を行っているアーティスト、工藤春香さんにインタビューしました。工藤さんが自分自身に対する疑問から出発した多面的な展示は、見る側の私たちも自然と「自分はどうなのか」と自問自答せずにはいられなくなる内容。創作の動機や経緯を伺いました。(聞き手・読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)
工藤春香(くどう・はるか):1977年生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。大学卒業時から主に自然や重力などをテーマに絵画制作を行う。近年は過去の事件などをモチーフに「社会構造とその中の個人の存在」を法律や史実などをリサーチし、絵画、映像、写真、オブジェなどを組み合わせたインスタレーションで表す。近年の展示に、旧優生保護法を取り扱った「生きていたら見た風景」(ART TARACE Gallery、2017)、実際にあった事件を元に障害と社会構造をテーマにした「静かな湖畔の底から」(Arai Associates、2020)
自分自身への疑問から始まったリサーチ
Q 新作インスタレーションの《あなたの見ている風景を私は見ることができない。私の見ている風景をあなたは見ることができない。》は、19人が刺殺された2016年7月の相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにしています。工藤さんはこれまでにもあの事件を扱った作品を発表していますね。
A 事件のひと月後に出産したので、事件はまさに臨月の時でした。当時、高齢出産ということもあり、「障害のある子が生まれたらどうしよう」という不安が正直、ありました。子供に愛情を持つことに不安はなかったですが、制作活動に精力を傾けてきたので、人生がケアだけで終わってしまうのではないかという恐れの気持ちがありました。
しかしそう思ってしまうということで、あの事件をきっかけにして「私も障害者を差別しているのではないか」という事に突き当たってしまいました。以前から障害当事者の取り組みについては知識があったのに、です。そこで、なぜ無意識に差別意識を持ってしまうのか、自分のことを知るためにリサーチをするようになりました。そういう自分はイヤですから。
Q 世の親で同じようなことを考え、悩む人は多いと思います。
A おのずと優生保護の問題を考えるようになり、「強制不妊で生まれなかった赤ちゃんがもし生まれていたらどんな風景を見ていたのだろか」という視点でインスタレーションをするなどしました。ただ、今一つ問題に肉薄しているとは思えませんでした。事件に関係する本などをたくさん読んでもピンとこなかったのです。だんだん「殺されていない私が、殺された人の気持ちを代弁することはできない」「犯人側の気持ちを推し量ったとしても勝手に推し量ったに過ぎない」ということが重要になり、内側が分からなければ外側だ、と。外堀を埋めていこうと思いました。確実に分かる地域史やその土地のこと、住んでいる人たちのことなどを詳しく知りたい、と何十回も現場やその周辺に通って歩き、調べ続けました。障害者や優生保護をめぐる制度や当事者の事もさらに調べました。
垂直の「管理する動き」、水平の「生存権をかけた戦い」 構造を見せたい
Q インスタレーションの中心に据えられているのは、長い白い布に書きつけられた「1917年から2022年までの主に旧優生保護法を中心とした障害に関する政策・制度・法律等をまとめた年表」と「1878年から2022年までの障害当事者運動に関してまとめた年表」です。日本に優生思想の考え方が入ってきた時期をスタート地点にして、片方の面には国や地方自治体などの施策、もう片方の面には当事者側の動きがまとめてあり、メビウスの輪のように「現在」で両面はつながってもいます。事実の淡々とした記録ですが、読んでいるうちに引き込まれて途中で止められなくなりました。
A 事件や当事者、優生保護法、地域の歴史など、様々な要素があるので、そうしたものをひとつの構造として見せるためにはどうしたらいいのだろか、と考えた末にこういう形にたどり着きました。国の施策は垂直に、上から下へ管理する動きです。一方、生存権をかけて戦う当事者たちは水平の動きで、様々な考え方があってお互いが葛藤しつつ連携するなどして影響し合います。垂直と水平の動きで全く対照的なのですが、当事者が声をあげて、制度を変えて、障害者の自立を支える制度につながってきた、ということで、当然、密接にからみあっています。この両面を表裏一体のものとして表現することで、全体の構造が見えやすくなったら、と思いました。
Q そしてその布の先には、相模原の事件で被害にあった方のその後の暮らしぶりが表現されています。
お互いに見ているものがわからない、という点でみな同じ 差異で分断する社会構造
A 事件の被害者の方に会うのは怖い気持ちもありましたが、やはりここまで来たら取材しないわけにはいかないと。自分としては「個人が存在している、というのはどういうことなのだろうか」という事を常に考えていて、つまり人は社会構造を無意識的に内面化してしまうところがあり、一般的に認められた価値観やその人がいる環境に影響を受けてしまうことから、「完全に独立した個人というものは存在していない」とも言えます。一方、感情や怒りや悲しみ、優しさなど、制御しても出てしまう感情があるということを考えると「個人は存在している」とも思います。両方の間で揺れ動いていたのですね。社会構造の中で個人として生きている、というのはどういうことなのか、と。
Q 事件の当事者である一矢さんと接してみていかがでしたか。
A とても重要な経験でした。一矢さんは施設で被害にあい、その後、別の施設に転園し、いまは施設を出て地域で介助を受けつつ、一人暮らしで自立生活をしています。関係者の方から紹介をうけて、一矢さんが何を見て、何を感じているのかを知りたくて、何度もご自宅に伺いました。あまり多くの会話をしない一矢さんですが、定期的に大きな声を出すのです。腹の底から響くような声で「オーオーオーオー・・・イー!」というような。ある日も、見晴らしのよい公園に一緒に出て、家並みを見渡しながら一矢さんは大きな声で「オーオーオーオー・・」と。そうした様々な経験を経て、同じ場所にいて、同じ風景を見ていても、一矢さんと私は見ているものが違い、同じものを見ていても、同じものは見えていない、ということがだんだん分かってきました。私は一矢さんの見ているもの見たとしても、本当に「見ること」はできません。同じように一矢さんも私の見ているものを見ることはできないのです。
Q それが今回のインスタレーションのタイトルである《あなたの見ている風景を私は見ることができない。私の見ている風景をあなたは見ることができない。》につながってくるのですね。
A とても当たり前のことなんですが、大切なことだと思いました。いわゆる<健常者>同士だって同じことで、お互いの見ているものは分からない。分からないながら、少しずつ分かっていくことしかできないし、少しずつ分かっていくことが重要。お互い分からないという点ではみんな一緒で、つまりみんな違う。みんなが違う風景が見える、という「差異」があるという点ではみんな平等なんだなあ、と。しかしその差異を理由に分断されてしまう。その分断、差別を生み出すのが権力でそれが社会構造に組み込まれているのだと思いあたりました。
分断を促す地域の構造も浮かびあがらせる
Q インスタレーションは多様な要素から成り立っていて、事件現場である相模原市と、川崎の臨界工業地帯の間を工藤さんがひたすら歩き続ける映像の記録も目が離せなくなります。「相模湖の水を京浜工業地帯に運び、京浜工業地帯の植物を相模湖に移住させる」というタイトルの40分の映像です。事件現場にほど近い相模湖と工業地帯である川崎と、どういう関係性があるのでしょうか。それが事件とどう結びつくのでしょうか。
A 映像は長すぎですが(笑)、実際2泊3日かけて片道50キロの道のりを往復しました。全部見ていただかなくていいのですが、事件のあった施設に入居していたのは横浜や川崎の人が多かったということとつながります。相模湖は日中戦争が激化した1938年、軍事産業の面で重要な拠点であった京浜工業地帯の水と電力不足を補うために、建設計画がはじまったダムによって作られた人工湖です。湖底に沈む地域住民の激しい反対運動もあったのですが、お国のために、ということで移転を余儀なくされました。実際に工事が完成したのは1947年で、米国の資金援助を受けました。一方、事件の起きた施設は相模湖の近くに高度経済成長期の1964年に開園。すると入居者の半数を占めたのは横浜市と川崎市の出身者だったのです。
こうしてみると、自然の豊かな山間部から湾岸の大都市に電気や水が送られ、その反対の動きとして大都市から障害を持った人が山間部の施設に送られてくる、という地域の構造が浮かび上がってきます。その構造には戦争も大いに関係していました。そういう上流と下流の構造について考えるために、相模湖の水をもって、相模湖の水が実際に流れていく水路に沿って下り、その水を京浜工業地帯の埋め立て地から海に流して、逆にそこに生えていた植物を相模湖まで持ってきました。
「自分のこと」として考える
Q 作品の反応はいかがでしょう。
A SNSで書き込んでくださる方が多く、「自分のこと」として捉えてくれる感想が目立つのでとてもうれしく思います。「生まれていい命」「生まれてはいけない命」「生んでいい母親」「生んではいけない母親」などという形で、人間が管理されている状況が世界各地で今も続いているのですが、今あるものが絶対とは思わないで、変えていくしかないと思います。ただし、こちらから「これが正しいです」と押し付けるようなものではないので、来場した人が自分の頭で想像してもらえるような展示にしたかったのですが、いろいろな点でこれまでの作品より前に進んだと思います。
Q 最初におっしゃっていた、「障害のある子が生まれたらどうしよう」というような感情については、作品作りを通じてどう変わりましたか。
A 「恐れさせられていた」ということが分かってきたので、今は乗り越えられたと思います。母親や家庭に障害者のケアをおしつけて、それが当たり前と思わせている構造がおかしいのです。もちろん、簡単なことではありませんが、ケアなど含めて社会に開いていくしかない、と思います。みんなで育てていく方向に変わっていくべきです。
Q 今後はどういう方向性の作品を作りたいと思いますか。
A 今回は100年という非常に長いスパンを扱ったので、次はもっとミニマルなものを作ってみたいです。数分の出来事をものすごく引き伸ばして、そこから構造を見せるようなアプローチを考えています。
工藤さんの作品が出展されているのは「MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」(10月16日まで)。現代の表現の一側面を切り取り、問いかけや議論の始まりを引き出す、4人によるグループ展。大久保あり、高川和也、良知暁の各氏の作品も鋭い問題提起に富んでいます。
(おわり)
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