Pages

Sunday, August 28, 2022

聖地巡礼、大谷翔平の歩んだ道をたどる旅(写真=共同) - 日本経済新聞

kukuset.blogspot.com

大谷翔平(エンゼルス)が野球を始めた少年野球・水沢リトルの取材に始まり、最後は、いま話題となっている日本ハム・ファイターズのチアリーダーによる「きつねダンス」に飛び入り参加。

19日から来日していたジャスティン・バーランダー(アストロズ)の弟で、大の大谷ファンとして知られるベン・バーランダー(FOXスポーツベースボールアナリスト)は、限りある時間で、予定していた取材をすべてこなし、27日夜の便で帰国の途についた。

初日からハードスケジュールだったが、滞在の様子が方々で話題になったので、備忘録的に帯同記をまとめたい。

バーランダーから、最初に日本行きの構想を明かされたのは昨年11月のこと。「日本へ行って取材をしたいんだけど、いろいろ協力してもらえないか」。翌月、ちょうどアナハイムで会う機会があったので、その際に企画内容を聞くと、こう伝えられた。

「翔平が歩んだ道をたどってみたい」

岩手から札幌へ。大谷翔平ゆかりの地を巡る旅。

「そこから何を感じるのか。そこにいかないと、見えないものがあると思うから」

それぞれの景色が、彼の目にどう映ったのか。何度も感極まり、涙した彼の胸の内。それはまだ明かせないが、着想から半年以上が過ぎた夏の終わり、ついに来日が実現した。

当初、今季の開幕前に取材できれば、と考えた。シーズンに入ったらみんなの時間を合わせるのが難しくなるからだ。しかしその頃、まだ日本では入国後の隔離が求められており、その措置が続く限り、来日は現実的ではなかった。米国ではすでに様々な規制が撤廃され、多くの人が集まる球場などでも、マスク着用を求められることはなくなっており、そのギャップがもどかしかったが、4月終わりにプロデューサーを紹介されると、水面下で様々なことが動き出した。

とはいえ、その時点ではまだ、並行して走らせていた別企画のコンテンツが固定されておらず、バーランダーも帰国当日の朝、「時間の問題だとは思っていたけど、あそこがクリアにならない限り、本当に日本へ行けるのか不安だった」と振り返っている。ただ、6月に入り、物語の軸となる部分の見通しが立ち、さらに来日した際の自主待機が免除されると、本格的な取材チームが組まれた。

7月、ロサンゼルスで行われたオールスターゲームを利用して全体ミーティング。シーズン後半戦のスタートに合わせて、週1回のリモート会議が行われるようになったが、回を重ねるごとに参加人数が膨れ上がり、誰がどういう形で関わっているのか、自分だけではなくバーランダーでさえ、「もう、わからない」と苦笑した。正直、現時点でも、いったいどれだけの人がこのプロジェクトに関わっているのか、全体図を把握しきれていない。しかし、それだけ多くの人が携わったからこそ、実現に向けたレールが、確実に敷かれていった。

出発は米西部時間で18日、午前1時20分。先発便のメンバーは5人。翌日2人が加わったが、ゲートへ向かって歩いているとき、バーランダーは感慨深げだった。

「初めて会ったのは、1年前ぐらい前だっけ? 日本メディアの取材を受けたのはあれが初めてだった。あの後、自分のYouTubeチャンネルを見てくれる日本人の数が劇的に増えた。それが、『日本へ行って、取材をしよう』という原動力になった。あそこから、すべてがはじまった」

日本での動きは、彼が毎日、FOXスポーツの公式YouTubeチャンネル「Flippin' Bats」で紹介。詳しくはそれを見てほしいが、滞在中、「せっかく来たんだから」と、彼らはあらゆる場面で寝る間を惜しんで動き回った。

例えば19日は、朝午前5時に着くと、午前7時過ぎにホテルへチェックイン。午後から横浜スタジアムで取材予定だったので、午前中は休むかと思いきや、バーランダーらはホテルのジムへ。午後には横浜スタジアムから1回目のリポートを行ったが、開門後、ファンだという人たちから声をかけられると、そのたびに求められてカメラに収まった。そのことはまったく予期していなかったそうで、その後、彼のSNS(交流サイト)には、「どこどこに、何時ぐらいにいるのか教えてほしい」というメッセージが届くようになった。23日午前に野球殿堂博物館を取材。その後、「東京ドームにいますよ」とSNSで告知すると、100人近いファンが集っている。「せいぜい20〜30人だろう」という予想だったので、これには本人も言葉を失った。

横浜スタジアムに話を戻すと、さすがに疲れが見えたので試合途中で球場を後にしたが、帰りの電車の中で少し寝たら回復したのか、「おすしを食べに行きたい」。実は、あまりにも慌ただしく、夕食をとることを忘れていたが、夜10時からおすしを食べ、ホテルに戻ったのは午前1時近く。出発当日――米国時間で17日の朝から48時間がたっていた。その間、飛行機の中で数時間は寝たとはいえ……。そして翌朝、午前10時には集合し、東京ドームへ。巨人対阪神の試合を観戦したが、一事が万事、そんな過密スケジュール。時差ボケを感じる間などなかった。

21日、22日は岩手県奥州市、花巻市を訪問。23日は一旦、東京に戻り、先ほども触れたように野球殿堂博物館の取材をした後、ファンと交流。その後、日本スポーツアナリスト協会のセミナー、NHKBS1「ワースポ×MLB」の出演をこなした。

24日は唯一のオフで、神宮で広島戦を観戦。25日は札幌へ飛び、26日は朝から札幌ドームで撮影を行い、午後から栗の樹ファームで栗山英樹元日本ハム監督のインタビュー。夕方、再び札幌ドームへ戻って、始球式に登場し、試合途中できつねダンス。その瞬間、その瞬間、彼がどう感じたのか。ある程度はYouTubeで話しているものの、まだ彼が話していない、いや、話せない、そしてまだ、書けないことがある。読んでいて、いや、書いていても消化不良を感じるが、9月半ばにはこの企画の全貌が明らかになるはずなので、その後、改めて舞台裏を紹介したい。

さて、今回の取材では、本当に多くの方々にお世話になった。ここには書ききれないので、改めて個別にお礼をさせていただきたいが、26日夜、最後の食事をみんなで食べているとき、バーランダーがしみじみ言った。

「各球団の関係者、ファン、岩手の皆さん、本当によくしてもらって、感謝しきれない。でも、これだけ多くの人と触れ合えたのは、やはり大谷翔平という選手がいたからこそ。彼がつないでくれたこの縁は一生、大事にしたい」

ところで、日本ハムの試合でバーランダーが始球式を務めたとき、捕手役を買って出たのがコディ・ポンセだった。2人はマイナー時代に対戦経験があり、マイナーのオールスターゲームでチームメートになったとき友だちになったという。

登板を翌日に控え、帰宅を許された彼は、試合途中から一緒に試合を観戦。「試合が終わったら、一緒に食事に行く?」と声をかけると、「いや、あすのデーゲームで先発だから」と苦笑い。試合を見ているときも、アルコールはいっさい口にしなかった。

その翌日の試合で彼はノーヒットノーランを達成したが、その様子を札幌から羽田へ向かう機内のテレビで見ていた一行は、「最高の旅の締めくくりになった」と 口々に祝福の言葉を口にした。

スポーツトップ

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 聖地巡礼、大谷翔平の歩んだ道をたどる旅(写真=共同) - 日本経済新聞 )
https://ift.tt/QiulwZK

No comments:

Post a Comment