Wellerman ウェラーマン演歌 (Soon May the Wellerman Come, Sea Shanty)蜂鳥あみ太とショルヘーノ Amita Hachidori&Schol
蜂鳥あみ太=4号とショルヘーノがニュージーランドに伝わる捕鯨船の舟歌「Soon may the Wellerman come」を演歌調でカヴァー!
"全身網タイツ"という奇抜なファッションでライブパフォーマンスを行う、異色のシャンソン歌手がいるという。それが、"悪魔の捨て子"の異名を持つ、蜂鳥あみ太=4号さんだ。
圧倒的な歌唱力を武器に、独自の世界観でファンを魅了。ライブ会場には、酒を片手に幅広い年代層のファンが押し寄せ、根強い支持を集めている。
歌手でありながらヌードデッサンモデルとしても活動、特撮作品やSMショーにも出演...と、調べれば調べるほど謎が深まるばかりだが、あみ太さん曰く、
「シャンソンは三分間のドラマ...その内訳は1分間の殴り合いと1分間のセックス、残りの1分間は爆破シーン」だそう。
そこで今回の「テレ東プラス 人生劇場」は、彼の知られざる素顔に迫るべく、人生観から仕事観まで、大いに話を伺った。
人に嫌がらせをするのが趣味みたいなものなので...(笑)
――こうして間近で見ると、なかなかのインパクトですね! ヌードデッサンモデルもなさっているとのことで、完璧な筋肉美に敬服いたします(笑)。
何から聞いたらいいのかわからなくなるほど、あみ太さんの謎めいた魅力にすっかり参っていますが、ご出身は横浜だそうですね。まずは、幼少期について聞かせてください。
「いやいやそんな風に持ち上げていただけますと...うれしい限りです(笑)。小さい頃は両親が共働きだったこともあり、常に鍵っ子で、『グーニーズ』や『ドラえもん』『七人のおたく』など、同じビデオを擦り切れるほど見ているような子どもでした。
小学生の頃は、週5〜6日は習い事。ピアノや水泳、そろばん、お絵描き、学習塾など、放課後はほとんど予定が埋まっていました」
――ピアノを習っていたとのことで、子どもの頃から音楽に触れる機会も多かったのでしょうか。
「そうですね。家ではよく中島みゆきさんの『アザミ嬢のララバイ』や松任谷由実さんの曲『あの日にかえりたい』がかかっていたので、子どもの頃からそういう下地があり、大人になって昭和歌謡の音源を漁るようになって。ある時、越路吹雪さんの歌を聴いた瞬間、越路さんの歌手としてのパワーに圧倒されて虜になったんです。越路さんの音源を探して聴くうちに自然とシャンソンが好きになり、2008年頃、22歳くらいの時、新宿ゴールデン街のシャンソンバー『ソワレ』に入り浸るようになりました。
シャンソン歌手で、越路さんや河合奈保子さんの研究家でもあるソワレさんが営むバーなのですが、僕はその頃、広告代理店お抱えの売れない広告ライター。人前で歌ったこともありませんでしたが、ある日突然ソワレさんから『4号(ソワレさんだけが使うあみ太さんの呼び方)のデビュー日を決めたから。全身網タイツを着て出てね』と言われ、当時渋谷にあったシャンソニエ『青い部屋』でステージデビューすることになったんです」
――いきなりデビューが決まったことにも驚きですが、全身網タイツとは...(笑)。どうしてソワレさんは全身網タイツを指定したのでしょうか? 抵抗はありませんでしたか?
「実は『ソワレ』に通い始める少し前、富士山に登頂したんです。その時、服の下に網タイツを仕込んでいて、山頂に着いたら上着を脱いで、上半身だけ網タイツ姿になって撮影しようと。おそらく、その写真をソワレさんに見せたのがきっかけだと思います」
――なぜ、富士山の山頂で網タイツに?
「僕は性格が悪いので、"こんなことしたらみんなが嫌がるかな"と思ったんです。せっかく苦労して登った山頂で、そんなものを見せられるわけですから(笑)」
――うーん、独特な発想ですねぇ(笑)。
「人に嫌がらせをするのが趣味みたいなものなので(笑)。ソワレさんは、そういう変わった生き物を歌手デビューさせるのが好きなんですよ。引っ張る力が強いので、僕もそれに乗っかる形で初めてステージに立ちました。
デビュー曲は、青い部屋のオーナー・戸川昌子さんの十八番だった『首吊り男Un Homme S'est Pendu』と、越路さんそしてソワレさんのレパートリーである『私の人生 Ma Vie』というとんでもない並びの2曲のシャンソン。どちらも元々はアラン・バリエールというフランスのシャンソン歌手の曲です。今思えば、準備らしい準備は何もしていませんでしたし、おそらく緊張したと思いますが、その時のことをまったく覚えていません。それが2009年1月23日、23歳の時でした。
4人の歌手でデビューしたので、その後はカルテットを組み、自分たちでイベントを企画するように。でも、メンバー全員性格が悪かったので、1年で仲たがいをして空中分解。残った2人で『蜂鳥姉妹』(蜂鳥スグル・蜂鳥あみ太=4号)というユニットを結成しましたが、こちらも2016年に"一家離散"。結果的に僕1人になりました」
――突然のデビューからここまでブレずに、丸13年以上やってこられた理由はどこにあるのでしょう。
「デビューライブでギャラをいただいたのが大きかったと思います。『こんなふざけたことをしてお金をもらえるんだったら、こっちの方がいいや!』ということで、程なくして広告代理店を退社してシャンソン歌手に転職しました。転職といっても、無職同然の世界でしたけど。デビュー時のギャラは完全なるビギナーズラックだったので」
――そこから音楽一本で食べられるようになるまで、かなりのご苦労があったと思いますが、音楽活動をする上で、一番楽しい瞬間は?
「やはり、ライブをしている時が一番楽しいですね。僕はタバコも酒もやらないのですが、基本的にアドレナリン過多な体質で。だから演奏することによって、ハイな状況に陥りやすい。周りが見えなくなって、自分が音楽そのものになった瞬間が一番楽しいのだと思いますが、楽しいかどうかも、そこに意識がないからもう分からない。ステージが終わってから"ああ、今日も楽しかったなあ"と気付くんです。脳内麻薬中毒者とでもいったところでしょうか(笑)」
――あみ太さんには熱狂的なファンの方が多いと感じます。月に何度もライブに足を運ぶ方もいらっしゃいますよね。
「お客様は、動物園の檻の中のゴリラを見に来ている感覚だと思います。直接的には絶対に関わりたくないんだけど、安全な場所から眺めていたいという。人間的にも大人な方が多く、いつも僕を生温かいまなざしで見届けてくださる。僕が一番どうしようもない人間なので」
――パフォーマンスを披露するにあたり、大事にしていることは?
「その瞬間にやりたいことだけをやっているので、『自分に嘘をつかない』というルールはあるかもしれません。ルーティーンは一つだけあって、前日の夜に剃毛するくらい。元々そんなに毛深くないので、腰から下だけきれいに剃っていますが、それをすることによってステージへの気合が入ります。学生時代から毛は剃っているので、剃毛歴はもう20年以上。毛がない方が肌触りが良く、自分としてもしっくりきます」
からの記事と詳細 ( 「僕のような最底辺の生き物を見て、『こいつよりはマシ』と思ってもらえたら底上げになる」全身網タイツの...|テレ東プラス - テレビ東京 )
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