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Monday, July 25, 2022

【レビュー】「リアル」の向こうに何があるのか――「アレック・ソス Gathered Leaves」展 神奈川… - 読売新聞社

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ミネソタ州を拠点に活躍する写真家アレック・ソス(1969~ )の、国内の美術館では初めての展覧会である。2004年刊行の『Sleeping by the Mississippi』をはじめ、25冊以上の写真集を発表しているソスは、現代のアメリカの現代写真を牽引する写真家のひとりだという。国際写真家集団「マグナム・フォト」の一員でもある。

その制作スタイルは、まず綿密なコンセプトに基づいたプロジェクトを組み立て、それに基づいて国内外への旅を重ね、そこで出会った風景や人を撮影するというものだ。ドキュメンタリー写真の手法を継承しながらも、観る人の内面世界を映し出すような不思議に静謐な世界。それが、国際的にも高く評価されている、とのことである。

アレック・ソス 《チャールズ、ミネソタ州ヴァーサ》 〈Sleeping by the Mississippi〉より 2002年 ⓒAlec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin

神奈川県立美術館 葉山で開かれているこの展覧会は、そんなソスの5つのシリーズ、〈Sleeping by the Mississippi〉、〈NIAGARA〉、〈Broken Manual〉、〈Songbook〉、〈A Pound of Pictures〉から約80点の作品を展示するものだ。初期の代表作である最初の2シリーズから最新作の〈A Pound of Picture〉まで、ソスの特徴とその作風の変遷がよく分かる展示になっている。

アレック・ソス 《ふたつのタオル》 〈NIAGARA〉より 2002年 ローク・ガレリー蔵 ⓒAlec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin

初期の2作品、〈Sleeping by the Mississippi〉と〈NIAGARA〉は、「ロードムービー」を思わせる構成だ。「ミシシッピ」の方はミシシッピ川の畔、「ナイアガラ」の方はナイアガラの滝の周辺を旅しながら、一見、何でもない風景、市井の人々の姿を撮影していく。そしてその「何でもない」「普通の風景」の中から、どこの世界、どこの時代にも共通している「人間が生きてきた(生きている)ことの痕跡」や「家族や自分が生きていることへの思い」が浮かびあがってくる。「風景」はあくまでも静的で、永遠の時の流れを感じさせるものだ。「イージー・ライダー」、「ダウン・バイ・ロー」、「テルマ&ルイーズ」……ニューシネマ以降のアメリカのロードムービーは、カウンター・カルチャーの香りがする作品が多い。そう考えると、ソスの写真は、ある意味とてもアメリカ的なのかもしれない。

アレック・ソス 《2008_08zl0047》 〈Broken Manual〉より 2008年 ⓒAlec Soth, courtesy LOOCK Galerie, Berlin
展示されているアレック・ソス 《プロム、オハイオ州クリーヴランド》 〈Songbook〉より 2012年 デファーレス・コレクション ⓒAlec Soth

続く〈Broken Manual〉と〈Songbook〉は、よりコンセプチュアルな作品群に見える。「世捨て人」をモチーフにした「ブロークン・マニュアル」は、「自ら俗世から距離を取っている人たち」に関する物事を扱っているのだが、だからこそ逆に「生きることへの執着」や「世界とつながることへの欲求」のようなものが見えてくる。様々な人間の表情をスタンダードナンバーの名曲集になぞらえた「ソングブック」。それぞれの写真を撮影している時、ソスの脳裏にどんな曲が浮かんでいたのか。できれば、知りたいものである。

展示されているアレック・ソス 《ティムとヴァネッサの家、ペンシルヴァニア州ギルバーツヴィル》 〈A Pound of Pictures〉より 2019年 ⓒAlec Soth

最新作の「ア・パウンド・オブ・ピクチャーズ」は、「一山いくら」で買った無名写真家の無名の写真を大量に使っている。「無名性」や「普遍性」を強調したそのスタイルは、SNS時代の陰画でもあるのだろうか。情報の海から浮かびあがってくるのは、過去・未来・現在で不変な人間の営みなのか。それとも、その営みがいびつにゆがめられ、出来上がってくる「神話的な世界」なのだろうか。上に紹介している「ティムとヴァネッサの家」。一見、膨大な家族写真が無造作に置かれているようだが、よく見るとそれは何も関係のない写真の寄せ集めのようである。後ろにいる「人間」は実はブロンズの彫像のようだ。平凡な風景のようで、そこかしこにトリックが仕掛けられた世界。それが、21世紀の現代だとでも言いたいのだろうか。

展示風景。〈Sleeping by the Mississippi〉

平凡な日常、市井の人々を写しだしているようでありながら、その奥にある「象徴性」や「比喩・暗喩」を強く感じさせるソスの作品。それはある種、中世ヨーロッパの静物画のようでもある。上の画像は「ミシシッピ」の展示風景だが、手前に移された「青い扉」の写真を見ると、ある種の「神秘主義的な解釈」をしたくなる。なぜ、ルームナンバーは「6」なのか、なぜ扉の色は「青」なのか、と――。

展示されているアレック・ソス 《コーチライト・モーテル、サウスダコタ州ミッチェル》 〈A Pound of Pictures〉より 2020年 ⓒAlec Soth

アリストテレスの時代から伝わる「数秘術」に基づくと、「6」は「楽園」を暗示する数字だ。「青」という色には、過去の「感情」が心の中に沈殿し、浄化されたようなイメージがある。そんなふうに考えると、この「青い扉」を開くと「過去の楽園」があるようにも思えるし、「過去の感情の蓄積」が「楽園」へとつながっているようにも見える。「見えるモノ」を撮影しているようで「見えないモノ」を想起させている。今の解釈は牽強付会かもしれないが、ひょっとすると、そういう「過去の記憶」を意識してソスは写真を撮っているのかもしれない。そんなことまで思ってしまう。

その写真を見て何を感じるか。何を想うのか。それは観る人によって変わってくる。それが多角的で柔軟であればあるほど、その写真は魅力的であり、多くの世界の人々に訴えかけることができる。決して派手ではないが、何かが心をざわつかせる。そんな作品が並んだ展覧会なのである。

(事業局専門委員 田中聡)

展示風景。〈Sleeping by the Mississippi〉

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