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Tuesday, April 12, 2022

〈252〉祖父の油味噌、父のもつ煮込み。台所に立つ後ろ姿は彼の原点 - 朝日新聞デジタル

kukuset.blogspot.com

〈住人プロフィール〉
27歳(男性)・公務員
賃貸マンション・1LDK+ロフト・都営浅草線 馬込駅(大田区)
入居1年・築年数15年・恋人(女性・26歳・公務員)とふたり暮らし

    ◇

 栃木の両親は共働きで、夕食は塗装業を営む父が担当することもあった。スーパーでパートをしている母より帰りが早いからだ。

 「父はもともと料理や大工仕事や、手を動かすことが好きで器用でした。もつ煮込みとかおいしいんです。それ見て僕も自然に料理をするようになった感じですかね」

 初めて作ったのは7歳か8歳の頃で、卵焼きだった。
 「夕食後、食べ終えたすき焼きの煮汁を使って、好奇心で卵焼きを作りました。まだ晩酌をしていた両親に出したら、ふたりともおいしいってすごく喜んでくれたのが嬉(うれ)しくて。それから台所に立つことが好きになりました」

 高校時代はラーメン屋でバイトをした。餃子(ギョーザ)を包むのがうまくなり、休日にはよく母とふたりで包んだり、魚粉を加えたり、ひと味違った工夫をするなどして楽しんだ。

 大学進学のため上京してからは、奨学金を借りながら倹約のため自炊が習慣に。
 「お金がないからハインツのケチャップだけでパスタ作ったり。具なしパスタってけっこういけるんですよ。男友達も料理好きなやつが多くて、みんなで作りあった。そのころの得意料理は鶏肉のトマト煮です。赤い料理っておいしそうで見栄えもするし、作った感があるんですよね」

 最近、彼のように趣味でなく日々の自然なならいとして子どもの頃から料理をたしなんできた、あるいは学生時代も男友達とよく料理を作りあったと語る20代男性の応募が増えた。本連載開始の9年前にはなかった傾向だ。
 彼らはことさら自炊の習慣を強調しない。本当に特別とは思っていないからだ。

〈252〉祖父の油味噌、父のもつ煮込み。台所に立つ後ろ姿は彼の原点

じいちゃんの油味噌

 「就職後、社宅を経て同棲(どうせい)のため最初に住んだのは練馬区です。台所まで日が入らず、部屋も暗いので彼女はもうちょっと明るいところに住みたいと。僕は、ユニクロ、カルディ、スタバ、なんでもあって便利な街だったけど、ついお金を使っちゃうし、もっと静かなところに越したくなったんです」

 折しもコロナ禍で、互いに在宅で過ごすことが増えた。もっと家での時間を快適にしたい。明るくて広い部屋へ。周囲に緑があり、落ち着ける街に越そうと意見が一致した。

 「実家はコンビニどころか、見渡す限り田園以外なにもないような高台にあったんです。それがいやで東京に出てきたのに、おかしなものですね。上京してすぐは賑(にぎ)やかな街が楽しくてしょうがなかったけど、5年経った今は落ち着きたくてしょうがない」
 高校から大学院まで建築を学んだ。それゆえ、賃貸ながらも真鍮(しんちゅう)のドアノブや無垢(むく)材を贅沢(ぜいたく)に使っているこのマンションに強く惹(ひ)かれた。角部屋で、彼女の願い通り、三方からは光が燦々(さんさん)と降り注ぐ。
 
 台所はふたりが余裕で立てるほど広く、オープンカウンターも使いやすい。ただ、廊下に油が飛ぶので、ホームセンターで有孔(ゆうこう)ボードと角材をカットしてもらい、間仕切り壁を自作した。
「ガス台側は耐熱シートを貼りました。穴にフックを付けられるので収納としても使えます」

 きけば同居していた塗装職人の祖父もまめで器用だったらしく、蕎麦(そば)やうどんを打ったり、年末は必ず自前の臼と杵(きね)で餅をついた。人に振る舞ったり、誰かに喜んでもらうのがなにより好きだった。高校の入学式の日に亡くなったが、時々思い立ったようにナスの油味噌(みそ)を作っていた姿を鮮明に覚えている。

 「突然台所に入って作り出すんですよね。祖父が作る料理はそれ一品だけ。油がギトギトで見た目も悪く、家族はあまり食べなかった。なのに毎回楽しそうに作っていた。なぜかその姿が忘れられません」

 今、台所からは料理をしながらリビングで寛(くつろ)ぐ彼女の姿が見える。
 「同じ空間に自分の味方がいる。振る舞う人がいると気づかせてくれる。作ったものを食べてくれる人がいる喜びは糧になると気づきました」

 彼は応募メールにこんな一文を綴(つづ)っていた。
 『台所にいると、なんだか気分が高まる。不思議な力が生まれる場所だ。じいちゃんのナスの油味噌は家族にあまり人気がなかったけど、それでも作り続けたのはきっと、じいちゃんも台所にいること自体が好きだったからだと思う』

 彼がクックパッドなどを見ず、合わせ調味料やペーストも使わず、マーボー豆腐でもなんでもイチから作るのは、「味がどうこうというより作ること、手間隙(ひま)かける時間が好きだから」。
 祖父、父から受け継いだ台所での創造的な時間を彼もまた楽しんでいる。作る男の背中を見て育った世代の未来を、頼もしく思った。

〈252〉祖父の油味噌、父のもつ煮込み。台所に立つ後ろ姿は彼の原点

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