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Friday, April 8, 2022

ラッシャー板前が語る『旅サラダ』生中継25年の歴史「休んだのは1回」「全国津々浦々への愛」 - NEWSポストセブン

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生放送をこなし続けたラッシャー板前(撮影/小倉雄一郎)

生放送をこなし続けたラッシャー板前(撮影/小倉雄一郎)

 3月26日の放送で土曜朝の旅番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日)のレギュラーを卒業したラッシャー板前さん(58)。多くの視聴者から惜しむ声が上がったが、1997年4月から25年間もの長期間、生中継を担当するのは並大抵ではなかっただろう。一息ついた今、どんな思いでいるのか。生放送ならではのハプニングや、ラッシャーさんが食べた“最高においしかったもの”などについてたっぷり聞いた。

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 最後の放送から1週間。これまで25年間、金曜に中継先に出かけて行って土曜に中継して帰る、というスケジュールだったので、金・土曜に自宅にいる、というのは新鮮ですね。テレビを見ながら「へ~、金・土曜はこんな番組をやっているんだ」と思いましたし、これまでは曜日の感覚を『旅サラダ』中心に掴んでいましたから、これからは「今日は何曜日だっけ」と、わからなくなってしまいそうです(笑い)。

 3月で卒業というのは、公表直前に聞きました。もちろん寂しいですが、日本各地の素晴らしい所へ行かせていただき、地元の方々と触れ合い、おいしいものをたくさんいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。中継が終わったらすぐに東京へ戻っていましたが、金曜はいつも早めに現地入りして、例えば宿の大浴場や近くの共同浴場に入って地元の人と裸の付き合いをするのを楽しみにしていました。町や人の雰囲気を感じたり、名物はどんなものがあるか聞いたりして、中継に生かすようにしていました。

起用のきっかけ

25年間、週末は生放送に出演(撮影/小倉雄一郎)

25年間、週末は生放送に出演(撮影/小倉雄一郎)

 25年前に僕が起用されたのは、たけし軍団の先輩の松尾伴内さんがプッシュしてくれたから、と聞いています。番組は今年30年目。最初の3年は笑福亭純瓶(じゅんぺい)さんが、その後の1年は伴内さんが担当していたんです。でも、伴内さんは年に1~2回、舞台をやっていましたから、生中継をずっとはできない。それで「後任は僕に」と推してくれたそうです。それが25年も続くことになるなんて、伴内さんも驚いているでしょうね。

 最初の中継は京都の杉の名所から。伴内さんは雨男で、中継のときも雨が多かったらしいんです。僕は晴れ男なのでスタッフに「大丈夫、晴れますよ!」と自信たっぷりに言っていたら、当日は土砂降りの雨で(笑い)。いきなり、面目ないことになってしまいました。天気によるハプニングはほかにも結構ありましたね。新潟から中継したときはどんより曇りで、雲が厚過ぎて衛星まで電波が届かないトラブルがありました。

 猛吹雪でも中継はやりましたから、冬に青森県・五所川原へ行ったときは、ホワイトアウトで中継車が立ち往生し、後続車に追突されるんじゃないかとヒヤヒヤ。でも、地元の方はホワイトアウトになったときの運転方法をちゃんと心得ているので、大丈夫なんだそうですね。青森では猛吹雪の中、お餅を用意したらあっという間に雪がお餅に積もって見えなくなったことも。かと思えば、「地吹雪ツアーをやろう」と2回も企画したのに2回ともピーカンだった、なんてこともありました。サウナでお話しした地元の方が「1日の中継で地吹雪を撮ろうなんて。そんなにいつも地吹雪が来るんだったら、オレらは住んでらんねえよ」って笑われてしまいました。

 長野県・駒ヶ根の中央アルプス千畳敷カールに行ったときには、星空の素晴らしさに感動しましたね。カールというのは、約2万年前の氷河期に氷で削り取られたお椀型の地形のことで、僕らは頂上の温泉宿に宿泊。夜になったら周りのお客さんらが外に出かけるので一緒に行ってみると、それは見事な星空で! そのうえ30秒に1回ぐらい流れ星がビュンビュン流れるんですよ。願い事がいくつも言えました(笑い)。この中央アルプス千畳敷カールの良いところは、電車やバス、ロープウェイを乗り継いで頂上まで行けるので、女性はハイヒールでも上まで行けること。本格的な山登りの装備がなくても行けるのは嬉しいですね。

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