
元プロレスラーと紹介されるシンだが、地元では事業家の顔の方が知られている。慈善活動にも積極的で、市議会での賛成を得て2010年9月に新設された公立校に彼の名が冠されたことが、それをなにより物語っている。新日本でアントニオ猪木の最大のライバルとして死闘、血闘を繰り広げるにつれ、地元ではレスラーとしての活動を縮小。と同時に事業を始めた。ここにも意外な秘密があった。 ※週刊プロレス2010年5月19日号(No.1524)掲載 【貴重写真】タイガー・ジェット・シン・パブリックスクール
カナダでプロレスデビューしてほどなく新日本プロレス参戦が決定。アントニオ猪木との遺恨物語が新日本をトップ団体に押し上げただけでなく、シン自身にも大きな稼ぎをもたらした。 「イノキとの闘いは本当にハードなもので、勝っても負けてもどちらも傷つき、ニュージャパンのツアーを終えるといつも傷だらけになってカナダに戻っていった。それを見たワイフ(スクジット夫人)も不安になったんだろう。『引退後のことを考えて、プロレス以外の仕事を手掛けておいた方がいい』と言われた。あんな闘いをしていて、いつまでもプロレスラーを続けていけるわけじゃない。ワイフの言葉に私もそうだなと思って、事業を始めることにしたんだ」 そこでシンは、新日本で稼いだギャラを元手にインド近海で獲れたエビの輸入に投資した。エビといえば中華料理に欠かせない食材。トロント近郊の中華料理店を対象にビジネスを展開。同じアジア人とということで取引先を開拓していった。 シンがスマートだったのは、やみくもに取り扱う商品、エビの種類を増やさなかったこと。そのエビとはブラックタイガー。ここでも“タイガー”がカギとなっていた。 ビジネスに対する誠実な姿勢が信用を広げていき、結果的に大成功。2007年当時には「1,000,000,000USドル(当時のレートで約12兆円)のビッグプロジェクトを手掛けている」と語り、次第に事業を拡大していき、“タイガータウン”建設にまで発展していった。 「アメリカ人とビジネスしなかったのもよかった点だ。彼らは心のつながりでビジネスをしない。マネーのつながりがビジネスなんだ。だからそれが切れると、それまでと態度を変える。その点、アジア人はハートのつながりを大切にする。それだけに信頼を築くには時間がかかるが、築いた信頼は簡単に裏切らない。時間をかけて築いたものはマネーより強固だ。成功には時間がかかる。簡単に達成できるものではない」 リング上は“狂虎”のシンだが“事業家”としては義理人情に厚かった。
週刊プロレス編集部
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