* * * 「この作品のなかに男の人が出てきたら、たぶん、ぜんぜん違う作品になったと思う」と、村上さんは言う。 目の前に置かれた写真に写っているのはすべて女性。村上さんは彼女たちの姿を自宅やアトリエなど、「すごく個人的な空間」で写した。 「これは、誰にも見られていないという想定で、超自由に過ごしているところを撮る、という設定なんです。『私はここにいるけれど、めっちゃ、ふつうに過ごしてね』みたいに言って、撮影した」 しかし、私はそれを聞いて、思わず吹き出しそうになった。「さすがにその設定には無理があるでしょう」。 というのも、村上さんは彼女たちの目の前にがっしりとした三脚を据え、ペンタックス67という大きなカメラで撮影したからだ。 しかも、「このカメラって、シャッター音がすごくうるさいんですよ。ガッチャンって。その音が、私の存在を無効化するのを台無しにする。向こうは、めっちゃ『うわっ』て、なっているんですよ。たぶん」。 どう考えても、撮影意図と、やっていることが矛盾している。 そう指摘すると、「あえて、超まる見えの、でっかいカメラで、ガチャン、ガチャン、撮っていく。それが逆に、自分としてはすごくリアルで、説得力がある状況だな、と」説明する。 「写真というのは、それが現実だと思って見るじゃないですか。でも、実際には、写真家の力量ひとつで、どうにでも見せられる。よく、『この写真、自然な笑顔が撮れているね』とか、言うじゃないですか。でも私、その『自然』をすごく疑っていて、『いやいや、これは自然じゃないんだよ』と、思っている」 ■「女の人が家にいる」葛藤 この作品を撮り始めてからもうすぐ10年になる。 「ずっと撮ってきて、いつ発表しようかな、というのがあったんですけれど、このタイミングで見せるのはすごく意味があるんじゃないかな、と思った」 村上さんはそう言って、コロナ禍での「ステイホーム」のことを口にする。 さらに、「室内にいる女性って、すごく示唆的じゃないですか」と言う。
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