ギョーザはハクサイなどを細かく刻んで包んで焼くわけですけど、使うハクサイによっては水が出過ぎちゃうんです。すると焼いた時に皮が破れて、フライパンに付いちゃうわけですね。それは悲しいじゃないですか。
新鮮なハクサイほどみずみずしいので、しっかりと水切りをしないといけない。野菜によって作り方を変えなきゃと、子ども心に実感しました。
母は買い物に行くと、野菜や果物の見分け方を教えてくれました。お尻の部分を見ると新鮮かどうか分かる、といった感じで。イチゴに関しては特にすごくて、今でも八百屋さんから「イチゴ博士」と呼ばれているようです。
母は早稲田大学を出て、創業当時のリクルートで社員として働いていました。結婚して無理やり家に閉じ込められたという部分があります。今思うと、野菜や果物の見分け方を覚えたのは、家の中での自己研さんのような意味合いもあったのでしょう。
私は幼少期、食事の時間に料理が出てくるのが当たり前だと思って食べていました。また、ずっと東京で暮らしていましたから、野菜がどうやって作られるかなど考えたこともありませんでした。
母と一緒に料理を始めて「エッ?」と感じたことで、調理の苦労も分かるようになり、食材を作る人の思いも想像するようになりました。
私は20代後半の時に、ストーカー被害にあったことがあります。先方の精神状態が普通でなく、弁護士さんを介して決着するまでに半年以上かかったんですが、何も食べられなくなりました。食べても吐いてしまうんです。2カ月くらい、離乳食のようなものしか受け付けなくて、13~14キロくらい痩せました。
ようやく解決して、最初に食べたのがカレーです。母が昔から作ってくれた味だから、食べることができたんだと思います。その時のカレーは、忘れられません。
母のカレーの味を出そうと、何度も作ってみましたが、出せないんですよね。伝承しても再現できない味ってあるんですよ。
同じように作っても再現できない。もしかすると近い味なのかもしれないけど、母が作ったというスパイスがあるから、違う味だと感じてしまうのかもしれません。
最近、若い世代にインタビューすると、親から教わって料理するよりも、自分でネットを見て作るという人がほとんどなんです。配信されている動画はよくできているので、それを見て作る方が便利なのは分かります。
でも、親が料理が下手だったとしても、親の味を再現するのが難しくても、親から教わった料理を作ることで、いくつかの気付きがあると思うんです。「あ、あの時はこうやって作っていたんだ」とか「きっとこういうことを考えていたんだ」とか。手間をかけるということは、単に時間をかけることではなくて、愛情を込めるということだと分かってくるでしょう。
こうした気付きはとても大事なことですし、そこにこそ親から教わる大きな意味があると感じています。(聞き手=菊地武顕)
うしくぼ・めぐみ 1968年東京都生まれ。大手出版社勤務を経て、2001年にマーケティングを中心に行う「インフィニティ」社を設立。著書で用いた「おひとりさま」「草食系」といった造語が、流行語となる。「所さん!大変ですよ」(NHK総合)など、テレビでのコメンテーターとしても活躍。立教大学大学院客員教授も務める。
からの記事と詳細 ( 牛窪恵さん(世代・トレンド評論家) 教わって気付く込められた愛情 - 日本農業新聞 )
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