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Monday, August 31, 2020

ADHDの私でも輝ける場所がある。それがバンライフとの出会いだった(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

勉強もできない。空気も読めない。人が話していても気が散ってしまうーーー。 そんなADHDの私も自分に合った生き方・働き方を見つけることができた。 まだまだ理解されていない部分が多いからこそ、「私はADHDです」と発信し続けたいと語るバンライファーの菅原恵利さん。 その思いをハフポスト日本版に寄稿しました。 ----------

発達障害なんて、恥ずかしいから人に言っちゃダメ

小学生のころ、私はとにかく、いじめられっ子だった。 周りの友達とは上手く会話できないし、学校の勉強にもついていけない。正直、小学3年生になるまで先生が何を話しているのか分からなくって、忘れ物ばかりしていて、毎日のように訳もわからず怒られ、ゲンコツをくらう。それがいつも、本当に怖くて、怯えるように学校に行っていたのを今でも覚えている。 どんな風に勉強についていけなかったのか、以前のブログでも書いた通り。そういう、自分が起こしてしまう数々のミスに罪悪感を持っていた私は、ADHD(注意欠如多動性障害)という発達障害だと診断されていた。 多動的・衝動的な部分が強い多動性・衝動性型と、うっかりミスが多い不注意型という傾向があるのだけど、私の場合はどちらも該当する混合型だ。 親には「発達障害なんて、恥ずかしいから絶対に人に言っちゃダメ」と教えられて育ったので、特に周りに理解してもらおうなんて思わず、ただただ、もがいて生きていた。

自分には、自分にしか作れない居場所がある

小学3年生以降、少しずつ会話内容は分かってきたものの、周りとうまくやっていけず、コミュニケーションもあまりできなかった。誰かが話している途中でお構いなしに、会話に割って入ったり、友達が好きなものを「私は嫌い」とハッキリ言ってしまったり、その他にも私自身では気づかないような、クラスのみんなに嫌われるようなことを、たくさんたくさんやってきたのだろう。「あの子は空気が読めない」「わがままだ」というレッテルを貼られ、クラス中から無視されていた。 勉強もできない。運動もできない。友達もできない。 そんな私だったけど、自分を表現する何かにおいては、才能を発揮することがあった。 例えば、ダンス、似顔絵を描くこと、歌を歌うこと。どんなに私をいじめている「いじめっ子」でも、私が特技を披露する場があった時には、拍子抜けしたような顔で私を見てくるのだ。 みんなと一緒に足並みを揃えてできないことは多いけど、きっと自分には、自分にしか作れない居場所があるはずだ、と信じて生きてきた。 そして、大人になった今。ライターという、文章で自分を表現する職業につくことができた。2カ月前からキャンプやバンライフ(車中泊や車旅などで、バンのあるライフスタイルを満喫すること)をしている様子を自分で動画編集してYouTubeに投稿し始めたら、登録者が4万人になった。 今でも、集中力・協調性などの部分で「周りよりも上手にできない」と思うことが多いけど、クリエイティブな部分で短所を補って、なんとか生きている。

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