第九章 本心
「いいも何も、本人が決めることだから。」
「そうだけど、寂しくないの?」
「別に。イフィーの家で、いつでも会えるから。……お母さんもいるし、同居人が必要になったら、また、探すよ。」
<母>は、納得したように頷(うなず)いて、それ以上は、僕を気遣うように尋ねなかった。僕は咄嗟(とっさ)に、自分の視線が、下を向いてしまったことに気がついた。<母>はそれを見て、僕が悲しんでいると判断したはずだった。
<母>を心配させないために、僕は、意識して表情を和らげた。そして、
「藤原亮治さんに会ってきたよ。」
と切り出した。<母>は、パッと音がしそうなほどに、たちまち笑顔になった。
「その話を聞きたかったのよ。どうだった?」
「うん、……すごく親切だった。お母さんのことも、懐かしがってたよ。」
「あら、そう? お母さんのこと、覚えてくれていたの?」
<母>は少し驚いたような、探るような目つきで尋ねた。
「うん。……お母さん、昔あの人と親しくつきあってたんだって。八年間。僕が小学生の頃まで。」
僕は憚(はばか)りから、やや曖昧な言い方をしたが、<母>はその言い回しを理解できない様子だった。
「愛人だったんだって、藤原さんの。」
「ごめんなさい、お母さん、ちょっとよく、わからないのよ。」
「……お母さんが、藤原さんと、恋人としてつきあってたってこと。藤原さんには家族がいたけど。」
「そうなの。……」
「恋人」というのは、母と藤原との曖昧な関係を表現するには、恐らく不適当で、二人は寧(むし)ろ、そう呼ばれるべき関係を慎重に避けていたようだが、僕は<母>の中のAIに理解させるために、敢(あ)えてそう単純化した。それでも、<母>の表情は、滑稽なほどちぐはぐで、哀れを催させた。
僕は、しばらく黙っていたが、ふと思い立って、こんな提案をした。
「お母さん、これから、滝を見に行かない?」
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
※転載、複製を禁じます。
※7月11日付紙面掲載
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