(画像提供/あまわり浪漫の会)
沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」を現代的にアレンジした「現代版組踊」は、地域の中高生が主役になれる舞台。演者も観客も地元に誇りを持てるようになる「現代版組踊」は、まちづくりの方法としても注目を集めており、沖縄から全国へと広がっています。
連載名:全国に広がるサードコミュニティ
自宅や学校、職場でもなく、はたまた自治会や青年会など地域にもともとある団体でもない。加入も退会もしやすくて、地域のしがらみが比較的少ない「第三のコミュニティ」のありかを、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書で知られる編集者の影山裕樹さんが探ります。
現代版組踊とは?
沖縄の伝統芸能「組踊」の様式をベースに、現代的な音楽や振付、セリフでアレンジした、まったく新しい演劇形式「現代版組踊」。エイサーやヒップホップのテイストも入る、まるでミュージカルのようなエンターテインメント作品なのですが、特徴はなんといっても中高生が演じているということです。若いエネルギーに満ちた現代版組踊を演じる中高生を親御さんやOB・OGといった大人世代が支えています。
代表的な作品「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」はこれまで、のべ20万人の観客を動員。沖縄県内のみならず、東京国立劇場やハワイでの公演も成功させており、「子どもを主役にする舞台」の手法に、県外からも大きな注目が集まっています。
「現代版組踊」が誕生したのは比較的最近のことで、2000年に、現在の沖縄県うるま市(旧勝連町)で、当時の勝連町の教育長・上江洲(うえず)安吉さんの依頼を受けた演出家の平田大一さんが、「肝高の阿麻和利」を上演したのが始まり。
当時は、町が誇る勝連城跡が世界遺産に登録が決まったばかり。15世紀に勝連城の按司(あじ・王様のような存在)だった阿麻和利は、歴史上、悪者扱いされてきました。世界遺産登録を良い機会とし、阿麻和利の名誉挽回のためにも、阿麻和利が悪者にされてきた「組踊」の形式を借りて新しい演劇をつくりたい、と上江洲さんは考えていました。
演出家がまちおこしをする理由
上江洲さんから声をかけられた平田さんはもともと、演劇の専門家ではなく、しまおこし・まちづくりの活動をしていました。そんな平田さんが気をつけたのは、若い世代が演じやすく、のめり込みやすい作品にすること。こうしてプロの演出家ではない平田さんの「演出」がスタートします。
「最初に上江洲さんから原作の台本をいただいた際、子どもじゃ読めないくらい難しかったんです(笑)。いわゆる『歴史劇』ですから。そこで僕が子どもたちにも馴染めるように脚色しました。だから当初は組踊の先生方から『沖縄版ミュージカルだろ』『組踊を名乗るな』とお叱りを受けることもありました」(平田さん)
そもそも現代版組踊をスタートさせる目的は、地域に誇りを持てるような子どもたちを育てることだったはず。伝統芸能のセオリーに則って、業界で評価されるような作品をつくるのではなく、地元の人、誰もが分かりやすく感動できる作品へと昇華する必要がありました。この後説明していくように、まちづくりを信条とする平田さんが関わったことで、現代版組踊は沖縄を飛び出していつしか“奇跡の舞台”と呼ばれるようになります。
アレンジする力
サードコミュニティというテーマで現代版組踊を取り上げた理由は、それが演劇の枠を超えて、さまざまな世代を巻き込んだコミュニティとなっていることにあります。演じる地元の若者の勇姿を地域の大人たちがバックアップする体制がしっかりとできていることが現代版組踊の大きな特徴です。
「肝高の阿麻和利を上演しようとしていたころ、不登校や長期欠席している子とか、家庭が片親の子とか、演じる中学生の中の三分の一くらいが悩みを抱えていました。それが阿麻和利の舞台をきっかけに、他の学校の子と出会ったり、ボランティアスタッフの大人たちに支えられてどんどんタフになっていったんです」(平田さん)
現代版組踊は町を挙げたプロジェクトなので、当然、町内のさまざまな中学校から若者が集まってきます。ある意味学校を超えた部活みたいなもの。さらに、彼らを支えるのが親御さんなどから構成された「あわまり浪漫の会」という団体。主に公演時のドアマンやチケットの売り子や、車で送り迎えしたりなど、影で子どもたちをサポートする有志からなる団体です。
「僕は“肩車の法則”と呼んでいます。もちろん、肩車の上に乗るのは子どもたち、持ち上げるのは大人たちです。ローアングルの子どもを高い目線にして見える未来を、大人が支えるわけです。で、子どもって成長するんですね。すると当然、持ち上げる大人の方も成長しなくては肩車は出来なくなってしまいます。すると子どもの半歩先を行く大人たちや、先輩世代の振る舞いにも変化がでてきます。お互いが対等な関係でありながら、お互いを信頼し合う“肩車の関係”。子どもたちを大人の都合で動かすのではなく、主体的に行動するような雰囲気をつくり出すことこそ大切なことでした」(平田さん)
肝高の阿麻和利の舞台にはキッズリーダーズと呼ばれる人たちがいるそう。キッズリーダーは、高校の年長組が下の世代を教えるお兄さんお姉さん的存在の人たちです。
「下の子どもたちからするとリーダーズに入るのが憧れになり、リーダーズからすると音響や照明のプロの人たちと対等に話すことができて成長があり、それを見ている大人の浪漫の会が支えるという関係性。演出家である僕がそれらを横断して調整して、舞台をつくっていく。僕はそういう意味で、自分のことを演出家というより“ジョイントリーダー”だと思っています」(平田さん)
そもそも、町を挙げた、大人が仕掛けたプロジェクトって、子どもたちからするとひょっとしたら「ダサい」と思われがちですよね。しかも、情操教育的な雰囲気が漂うと、一気に冷めてしまう子どもも多いと思います。しかし、平田さんは子どもたちを本気にする手腕に長けています。それを平田さんは「アレンジする力」と話します。
「当初は、稽古をしてもやる気ゼロ(笑)。ある子が休憩時間に安室ちゃんとかMAXとかかけて踊り出したんですね。舞台に出ている子たちって、小さいころからエイサーとかヒップホップのダンスを踊っていた子が多かった。『こういう踊りが踊りたいのか』と聞いたら、そうだと言う。じゃあ、そのダンスで良いからテーマソングに合った振り付けを創作しようと。そうして主題歌『肝高の詩』に合わせたダンスとエイサーと琉舞が混在する躍動感あるフィナーレが出来上がった。それまでは、ヒップホップとかってお年寄りからすると『騒がしい踊り』、でもいざ伝統芸能と組み合わせると、みんな喜んでくれて拍手するんですよ。古くて新しいと言うのか、ミスマッチなものが面白いと言うか……これはいける、と思いました」(平田さん)
東京公演、ハワイ公演を成功させる
こうして、音楽、演劇、伝統芸能、民俗芸能、ヒップホップなど、さまざまな要素が混淆された唯一無二のエンターテインメント「現代版組踊」が誕生しました。記念すべき初公演は、2000年の3月、まさに世界遺産に登録されることに決まった勝連城跡に設置された野外の特設舞台で行われました。
「うちの子に演劇なんて無理だ、と思っていた親御さんも多かったなか、約3時間にも及ぶ舞台が終わってみると、大勢の観客が泣きながらスタンディングオーベーションしている。演じた子どもたちも泣いている。拍手と指笛と大歓声を浴びて、これはすごい! となって、当初は一回で終わらせる予定だったのですが、子どもたちの強い希望で、継続して公演していくことになったんです」(平田さん)
最終的に集った出演者の数は150名。観劇者数は2日間公演で4200名。子どもたちも大人たちも、想像を超える反響を得ました。やがて、子どもたちが「感想文」と言う名の署名を独自に集め、教育長に提出。2回目以降も開催されることが決まりました。地元の悪者をヒーローに仕立てる。しかも面白い。子どもたちは「かっこいい」と思って一生懸命演じる。その過程の中で、学校では得られない貴重な人生経験を積むこともできたでしょう。観客からしたら、地元の歴史上の人物に誇りを持てるようになったことでしょう。単に観るだけではなく、地域のあらゆる世代にとって大切なコンテンツに仕上がったのです。肝高の阿麻和利が“奇跡の舞台”と呼ばれるようになるのは、このころからです。
「3年目には、肝高の阿麻和利を上演するきむたかホールが開館して、僕は32歳で館長に就任。それ機に劇場型の舞台演出にして、継続的に上演することになった。丁度そのタイミングで、関東の地域おこしをしている友人たちに声を掛けて、観に来てもらったらみんな感動してくれて。それで、2003年の5年目に関東公演が実現したんです」(平田さん)
2008年のハワイ公演が初の海外遠征、2009年には新宿厚生年金会館ホールで再演6000人を動員、全国へと公演が巡回していきました。もちろん、演じるのは常に沖縄の現役中学・高校生の子どもたち。学業との両立を図りながら、また毎年の世代交代を繰り返しながら、宮沢和史さんや東儀秀樹さん(雅楽師)とのコラボも実現しました。2019年には、念願の東京の国立劇場公演が実現しました。
その後は、この「現代版組踊」の手法を取り入れたいという人が全国各地から現れました。地元の歴史に誇りを持つことができ、かつ子どもたちの自己実現の場としても成立する「現代版組踊」の仕組みは沖縄だけでなく日本全国、さまざまな地域でも役に立つはずです。そこで平田さんは2014年に「現代版組踊推進協議会」を立ち上げ、現在は沖縄だけでなく、北海道、福島、大阪など16団体が加盟するまでに成長しました。
「あわまり浪漫の会も定期的にグスク(勝連城跡)の清掃活動をしているのですが、福島の南会津とか鹿児島の伊佐市の団体は、地域の人でも忘れているような人の関所とか名所とかを清掃しているそうです。それによって町の人も見る目も変わる。大事なのは物語とうまく結びつけて取り組みをさせてあげること。単なるボランティアとか社会貢献的活動ではなく、舞台の深みを知るための入り口として清掃活動をやっているんです」(平田さん)
聖なる難儀をみんなでやろう
肝高の阿麻和利の成功をきっかけとして、平田さんは2011年から2年間、沖縄県文化観光スポーツ部の初代部長を務め、2013年から4年間は(公財)沖縄県文化振興会の理事長を歴任しました。子どもたちを輝かせることに費やした10年を経て、今度は大人たちを成長させる10年を。そう考えて推進協議会を立ち上げたり、現代版組踊を地元の名物にしていくためにうるま市が手掛ける「(仮称)あわまりミュージアム」建設に関わるなど、インフラづくりにも取り組んでいます。これは、舞台で育んだ卒業生たちの働く場をつくる意味合いもあります。
「これまでも、僕が『演出』してきたのは“舞台”だけではありません“全て”なんです。その意味でも、県の文化行政での経験は大きな学びと気づきがありました。舞台演出を手掛けるのと地域施策に取り組むのは基本的には一緒なんだと実感する日々でした。その上で、文化・芸術の感性と地域行政の感性をジョイントする、子どもの感性と大人の感性をジョイントする、ハードとハートをジョイントする……対立しそうな“全て”を結び付けていく、そしてあらゆる“全て”が一丸となって“感動”を生み出していくシゴトをつくる。“感動産業”をこの地に根付かせるのが僕の目標になったのです」(平田さん)
平田さんは最後に、地域の大人が子どもを支えるための秘訣を、沖縄の島に伝わる古い言葉を使って教えてくれました。
「みなさん、『聖なる難儀』をしてください。これは僕のまちづくりの仕事における信念なんですけれど、島の言葉で『ぴとぅるぴき、むーるぴき』、一人が立ち上がればみんなも立ち上がるという言葉があるんです。あの森も山も海も、木一本、水一滴から始まっているわけで、誰か一人が立ち上がって行動すれば、二人目三人目が出てきて初めて事を成し遂げることができる。新しいことをやるときはあなたが、その一人目になりなさいという意味なんです。誰もがやりたくない『難儀』を嬉々と笑顔で始める一人目に自分がなるんだと自覚する主体者が『先駆者』なんだと、僕は思います」(平田さん)
大人を成長させるというのが平田さんらしいなと思いました。通常、演出家と呼ばれるような人は、舞台上のさまざまな人をコントロールして最良の舞台をつくり上げるのが仕事だと思います。でも、平田さんのような演出家は、舞台を支える大人たち、観客すべてを巻き込みます。コンテンツだけでなく人材育成まで考えているところが、まちづくりのプロである平田さんならでは、とも思います。
既存の学校や地域団体に縛られず、物語を軸に多世代を巻き込みコンテンツ産業を生み出していく。なかなか真似することは難しいかもしれませんが、現代版組踊のようにフィクションの力を借りながら、緩やかに世代やエリアに開かれたコミュニティをつくっていくことは、今後まちづくりを志す人々にとって大きなヒントになるに違いありません。
"それを見て" - Google ニュース
July 01, 2020 at 08:00PM
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“奇跡の舞台”「現代版組踊」って? 大人と子どもがタッグを組み、地域に誇りを【全国に広がるサードコミュニティ5】 - SUUMO ジャーナル(スーモジャーナル)
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