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Thursday, July 2, 2020

アフガンの「黒い正方形」――「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(43)(オルタナ) - Yahoo!ニュース

 カブール郊外に目指す家はあった。土漠の中にポツンと立っている。壊れかけた玄関のドアをたたくと髭をたくわえた熊みたいな男がぬーっと顔を出した。 「アクバルを探しているのだが」 「私だ。何か用か」 「日本人が誘拐された。何か知っているのじゃないかと思ってな」 「警察か?」 「日本のジャーナリストだ」  入れという風に、アクバルはあごをしゃくった。東京本社からニューデリー支局に緊急の連絡が入ったのは3日前のことだ。アフガニスタンで日本人のNGO職員が誘拐されたからすぐ飛んでくれという。誘拐されたのは夕張寛人、32歳。宮城県女川の出身だ。  東北が津波に襲われた時、日本中からボランティアが駆けつけた。意外なことだが、その中に大勢の難民もいた。正確に言えば、難民認定を申請中の外国人で、そのリーダーがアフガン人のアクバルだった。寛人は母親を津波にさらわれたことから毎日、海岸を歩き回っていた。現場で日本人以上にまなじりを決して遺体収容に奔走していたアクバルと知り合った。アクバルは難民に認定されるのは確実だと言われていた。アフガンで逮捕されたことがあり、帰国すれば拷問など迫害の怖れがあったからだ。しかし、意外なことに難民とは認定されず強制送還となった。寛人が日本のNGOのスタッフとしてアフガンに渡ったのはつい最近のことだ。  軍の誘拐対策本部はごった返していた。 「ヒロトだと?反政府勢力によるK&R、つまりキッドナップ・フォー・ランサム(身代金目的の誘拐)に間違いないだろう。セキュリティに無頓着なボランティアや有名になりたがっているフリージャーナリストはカモになっているぜ。あんたもそうか」  開口一番、将軍は吐き捨てた。手ごわそうな男である。 「身代金の要求額は4860万アフガニーだ。日本政府は払うかな」 「払うだろう。ただ中途半端な額だな」 「フン、確かに」  とりあえず、そんな大金はない。48万アフガニーなら払えるが、と返事をしている。それが将軍の説明だった。「要求額の百分の一だ。適切な額だろう。誘拐事件の交渉では妥協しないのが鉄則だ。なめられるし、簡単に払うと何回も誘拐される恐れがある」。  突然、電話が鳴った。犯人からだ。全員がすばやく持ち場につく。将軍も急いで自分の席に戻った。 「身代金を半額にしてやる。だからすぐ用意しろ」スピーカー機能を通して犯人側の男の声が部屋中に響く。 「残念だがまだ高すぎる。まず、人質が生きている証拠を見せてくれないか。ヒロトを電話に出してほしい」  誘拐犯を怒らせてはならない。交渉役が丁寧な言葉を使い、説得を繰り返す。だが途中で唐突に電話は切れた。交渉は時間がかかりそうだ。将軍が別れ際にぽつりと漏らした。 「ヒロトはアクバルという男を探して山奥の村に入り拉致されたようだ。アクバルって誰なんだ」  アクバルの家の内部は意外にも整頓されていた。あちこちに埃をかぶったイーゼルが置かれ壁には絵が並んでいる。一枚の異様な絵が目に留まった。 「あの絵のおかげで警察に逮捕されたんだよ、私は」白地に浮かぶ黒い四角形の絵。 「政府批判の危険な香りが漂っているというのが理由だった」  初めは白い正方形だった。アラーの神への奉仕と、信徒同士の相互扶助を尊重するイスラム教の理想への思いを込めた。そこへ希望、愛、平和といろんな色を描き足していくうちに、失望と不穏なエネルギーに満ちた闇の色になってしまったのだという。 「ロシア革命の直前に描かれ、現代のイコンと称されたマレーヴィッチの『白地の黒い正方形』は、すべてのフォルム、色彩の否定だった。だからこそ、権力の弾圧を受けた。しかし、私の黒はまったく違う。すべてを包含した黒なんだ」  ひょっとすると寛人はアクバルから黒い正方形の話を聞き、それを見るためにアフガンにやってきたのではないだろうか。 「その通りだ。寛人は長い間絵の前にたたずんでいたよ。やがて大粒の涙を流し、豊饒だ、豊饒だと何度もつぶやいていた」  黒の中の豊饒とは?寛人は何を見たのか。 「絵の中に夢も希望も残っていると語っていた。黒い絵が海に見えた。群青の海だ。そこに無数の遺体と母親の笑顔があった。そして、叫んだ。故郷は死なない、必ず再生すると。血を吐くような叫びだった」  いい出会いだったわけだ。 「ああ、ところが、寛人には尾行がついていたんだ」 「尾行?警察か」 「いや、反政府勢力の連中だ。彼らは私がアフガンに帰ってきた時、彼らのシンボルとして黒い四角の紋章を胸につけたいと要求してきた。無論、断ったよ。私は画家だ。政府でも反政府でもない。利用されるのはまっぴらだった」  反政府勢力といっても地方の軍閥だ。寛人をいい金づるだと思ったのだろう。そのまま拉致した。 「身代金は日本円で7千万円。アクバル、あんたが日本で難民仲間に呼びかけて集め、被災地へ寄付した額と同じだ。それを取り戻すために寛人を売ったわけじゃないだろうな」 「変な勘ぐりはやめてくれ。反政府勢力の連中が勝手に動いたのだ。難民に認定してくれなかった日本政府から寄付金を取り戻してやると言ってな」  一週間後、携帯が鳴った。アクバルからだった。今夜、人質と身代金の同時交換が行われることになった。場所はバーミヤン大仏の裏手。身代金は日本政府が支払う。軍人や警察は信用できないと、犯人側はアクバルをその運搬人に指名してきた。  広い土漠の夕闇に夕陽を浴びた三つの影が立っていた。寛人と反政府勢力の司令官、それと身代金を入れた黒い袋を無造作に担いだアクバルだ。  パン、パン、パン。突然、銃声がした。撃たれたのは司令官だった。止めに入った寛人が獣のような唸り声をあげて泣いている。「この金はアフガンの未来のために使う」。アクバルがそう叫んだ。暗い空と暮れなずむヒンズークシ山脈の峰々の連なりが美しかった。 (完) ◆希代 準郎 作家 日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな 担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこに関わる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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