かつおぶしの魅力を伝える活動をする永松真依さんは、本人いわく「かつては毎晩クラブを遊び歩く」生活をしていた。なぜ、かつおぶしに目覚めたのか。そのきっかけとこれまでの歩みを聞いた――。
※本稿は、世界文化社『これが私の生きる道! 彼女がたどり着いた、愛すべき仕事たち』(世界文化社)の一部を再編集したものです。
■パリピが「かつおぶし」に目覚めた
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永松真依さん かつおぶし伝道師
良かったのは自分に度胸があったこと。
精一杯やって、ダメだったらダメで
仕方ないと腹をくくっています。
Profile
1987年生まれ、神奈川県出身。かつおぶしの魅力を伝えるため、25歳の頃からイベントなどでかつおぶしを削り始める。2017年11月「かつお食堂」をスタート。評判を呼び、数々のメディアに取り上げられる。2019年移転。かつお食堂●東京都渋谷区鶯谷町7-12 GranDuo渋谷B1
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――あなたのお仕事は?
日本の伝統食材であるかつおぶしの魅力を知っていただくための啓蒙活動をしています。かつお食堂もその一環ですし、イベントなどでかつおぶしを削らせていただくこともあります。
――なぜこのお仕事をすることに?
昔はいわゆるパリピで(笑)、派遣社員とかしながら、毎晩クラブを遊び歩いていました。あるとき、福岡の祖母の家でかつおぶしを削る祖母の姿を見て、それがすごく美しくて。かつおぶしの良さをもっと知ってもらいたいと思ったのがきっかけです。
■かつおぶしじゃなくて「自分」をアピールしていた
――具体的に何から始めた?
最初は、かつおぶしでおなじみのにんべんでアルバイトをしながら、産地を回って、SNSでかつおぶしについて発信していました。そうしたら友達がパーティで削ってよと声をかけてくれて、それが口コミで広がり、いろいろなイベントで削るようになりました。
ところが、あるイベント後に知人に「下に落ちた削りぶしがもったいなかった」と言われたんです。そのときに私って本当にかつおぶしが好きなんだろうか、私はパフォーマンスとして削っていたんじゃないかと考えてしまって。当時の私は削るときの格好とかも意識していたんですよ。それってかつおぶしじゃなくて、自分をアピールしているじゃないですか。
ちょうどその年末にかつおぶしを削って年越し蕎麦を振る舞ったら、みんながおいしいって喜んでくれて。それまでは、かつおぶしで何か新しいことをやろうとばかり考えていたけど、やっぱり基本は食べること、そこを伝えないといけないと気づいたんです。そこからはおいしく食べることを目的にしたマルシェやワークショップに参加するなど、夜から昼の活動へとシフトしていきました。
■職人と生活し、漁船にも乗った
――すぐに軌道に乗りましたか?
全然。この時期はアルバイト代の月6万~7万円で産地を回っていたので、ずっと実家暮らしでした。両親からしたら「大学まで出して、同年代の子たちが稼いでいるのに、お前はそれで食っていけると思ってるのか」って感じでした。でもとにかく産地を回りたかったので、LCCや深夜バスなどでやりくりをして各地に行っていましたね。
実は社会人経験がほとんどないので、夜のイベントに出ていた頃は、かつおぶし屋さんを怒らせてしまったこともあって。安くしてほしいと無理を言ったり、ヒールで産地に行ったり……。ものすごく強引だったんですよ。
そういう人たちに謝りに行って、今まで写真を撮るだけだったのを、1週間職人さんと同じ生活をさせてもらったり、かつお漁船に乗ったりして。自ら手を動かすと、職人の方に対する感謝の気持ちもわくし、今まで自分はなんてかつおぶしを疎かにしていたんだろうと考え方も変わりました。
――お店を立ち上げたきっかけは?
その時期、どうやったらかつおぶしをおいしく食べられるかと、毎朝5時に起きて、家族のために朝食を作って、それをSNSに載せていたんです。バーをオープンしたばかりの知人がそれを見て、今後どうしたいのかと聞いてきたので、かつおぶしの魅力を発信する一つの場所が欲しいと話したら、じゃあ朝昼うちを使ってみる? って言っていただいたんです。
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