おかざき:これはですね、ゆくゆくモモちゃんのお母さんとお父さんは離婚するんですけども、家庭でうまくいっていないことを表現しているんですね。
それを童話の表現で表すと、こうなるんだ……という。
水野:いやーすごいです。わたし、今回の機会にこの『モモちゃん』シリーズをまず数冊読んだんですけども、「え、これ本当に子ども向けなの?」という表現がたくさん出てくるんですよね。
おかざき:そうなんです。
この本では、本当にモモちゃんのお母さんのところに死神がやってきて、間一髪でお母さんは死から逃れるんですけども、それも本当に紙一重で、マンガで言うと一コマの描写でガラッと変えていて。
水野:一コマで。
おかざき:それで、わたし子どもの頃は、「修飾というのは、花を飾ったり言葉で彩ったりするのは、この世への讃歌であるな」と思っていたんですね。
たられば:(す、すごい子どもだったんですね)なるほど。それで。
おかざき:はい、それで、でも飾っても飾っても、「生」をどれだけ言祝いでも、「死」や「病」というのはすぐそばにいて、インクが染み出てくるようにべっとりと「生」に並走しているんだな……と思ったんです。
たられば:(もっとすごい話だった)「生」のすぐそばに死が。
おかざき:ええ。子どもの頃はこのお話を「わー怖いなあ」という程度だったんです。
大人になって自分で子どもを育ててみてさらにつくづく実感したんですけども、「死」というのは、「生」の反対側の、一直線にあるもう片方の端にあるのではないんだな、と。
水野:ふむふむ?
おかざき:生死は両端にあるのではなくて、「生」のすぐそばに「死」も「病」もずっとあるんだなと思うんです。ずーっと並走しているんだなと。
多くの人はたまたま「生」の側を歩いているだけで、何かのキッカケでころんと「病」や「死」に踏み入れてしまうんだ、と。
「これか、『ちいさいモモちゃん』は、この、突然の死や病を描いていたのか!!」と実感しました。
たられば:子どもって油断するとすぐ死にそうなことしますもんね……。
おかざき:そうなんですよ。近所の男の子がスケボーに腹ばいになってガーッと走って車道に飛び出しそうになったところを見たことがあって、もう本当になんていうことを、という。
たられば:(い、言えない……自分もそういう子どもだったとはとても言えない……)おそろしいことですよね……。
この『ちいさいモモちゃん』って、本当に冒頭はほんわかした内容で、モモちゃんが生まれた時に、ジャガイモとかニンジンとかタマネギとか、カレーの具がお祝いにやってきた話があって。
お母さんに「まだ赤ちゃんなのでカレーは食べられません」と言われて、ジャガイモたちが残念がって帰っていくシーンなんです。
いや、あの、君たち命拾いしたんじゃないのか、と思わず字面に突っ込みたくなるようなほんわか具合で。そこにいきなり「病」や「死」が差し込まれてくるという。
水野:この『ちいさいモモちゃん』の単行本が刊行されたのは1964年ですが、この頃からワーキングマザーが描かれていて、すごいなあと思いました。
おかざき:そうそう、モモちゃんのお母さんのモデルは松谷みよ子さんご本人だと思うのですが、いま読んでもまったく色褪せない、大人の鑑賞にも耐えうる児童書なので、ぜひ皆さん手に取ってほしいです。
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