「子どもの成長を夫と一緒に見ることができなくて、つらいです」
こう話すのは、ウクライナから生後6か月の子どもとともに国外に避難した女性。夫はウクライナに残ったままです。
どんな思いでいるのか、話を聞かせてもらいました。
(ウクライナ取材班 紙野武広)
息子と避難してきた女性
今回、避難先のポーランドで取材に応じてくれたのは、ウクライナ南東部ザポリージャから避難してきたタイシアさん(36)です。
2021年に結婚して、長男が生まれたばかり。
取材した5月、長男のホルディーくんは、生後8か月でした。
しかし、2022年2月にロシアによる軍事侵攻が始まり、ウクライナ政府が男性の出国を制限したため、夫を残しての避難を余儀なくされました。
現在は、ポーランドの首都ワルシャワの中心部から車で30分ほど離れた街にアパートを借りて、母親と姉の家族といっしょに暮らしています。
当初はすぐにウクライナに戻れると考えていたというタイシアさん。
しかし、すでに避難生活は4か月あまりに及んでいます。そして、その間、夫とは一度も会えていないといいます。
(以下、タイシアさんの話)
ポーランドには、どうやって避難してきたのですか?
私がザポリージャを出たのは、3月8日です。
その4日前に、ロシア軍が地元の原子力発電所を攻撃して、危険を感じたからです。
列車に飛び乗ったのですが、車内は満員でした。3月だというのに、中は蒸し暑くて、息子のホルディーが泣き出してしまい1時間以上泣き止みませんでした。
列車は、国境付近で6時間ほど止まるなどして、ワルシャワに着くまで40時間以上かかりました。
到着した翌日には、ホルディーの顔が青ざめてしまっていました。
避難して、すぐに住む場所は見つかりましたか?
最初は、ワルシャワのポーランド人の家に数日間滞在して、その後、別のポーランド人の家に約1か月間。
そして、ワルシャワに住むアメリカ人の家に移り、2週間過ごしました。
受け入れてくれた家庭にも子どもがいたこともあって、ホルディーが体調を崩したときには病院に連れて行ってくれたり、必要な書類の申請を手伝ってくれたりしてくれて、とても助かりました。
それでも、小さな子どもがいると迷惑をかけてしまうのではないかと、常に不安を感じていました。
今暮らしているアパートはどうやって見つけたのですか?
5月になって知人がもともと住んでいた部屋を貸してもらうことができたんです。
ただ、それまでの家探しはとても大変でした。ポーランド中を1か月探し続けましたが、たくさんの避難者も同じように探していたようで、なかなか見つかりませんでした。
それにポーランドの家賃はウクライナ人にとっては割高で、高い前払い金を求められることもあります。
また、物件が見つかったとしても、ウクライナ人に部屋を貸したがらない人もいます。家賃が払えなくなるのではないかと心配する人もいるからです。
どうやって生計を立てているのですか?
いくらか貯金はあるので、いまはそれで暮らしています。母の年金もありますし、ウクライナに残っている夫は仕事を続けられていて、助けてくれています。
また、ポーランドのボランティアの人たちが必要な物資をもってきてくれますし、ポーランド政府からの支援もあります。
自分たちへの支援金は家賃に使って、子どもへの支援金で食べ物を買うこともできています。
ただ、こうした支援がポーランド側の大きな負担となっていることも分かっています。
戦争が長引けば支援も当然少なくなっていきます。ずっと支援を受け続けるのは難しいということも分かっています。
避難生活でつらいと感じることはありますか?
ホルディーがまだ小さいので、大変なことが多いです。
おむつが必要なのですが、支援センターには、子どもを持つ避難者が列を作っていて、母親と一緒に4時間並んだこともありました。
避難生活をしている中でも、ホルディーは日々成長していて、毎日、何か新しいことができるようになるんです。
つかまり立ちだってできるようになりました。
それを夫と一緒に見られたら、どんなにいいか。それができないのがとても悲しいです。
こんなに長い間夫と離れて暮らすことになるなんて思ってもみませんでした。とてもつらいです。
仕事はしていますか?
今はまだ子どもが小さいので働けませんが、いつかは母親に預けて仕事ができたらと思っています。
ただ、ポーランド国内には、男性向けの仕事が多く、女性向けの仕事が少ないんです。
ポーランドには、出稼ぎなどでウクライナの男性が結構いたのですが、戦うためにウクライナに戻っているのです。
このため、力仕事といった男性向けの仕事の担い手が不足しているようです。
ですから、かなり体力のある女性か、ポーランド語ができる人でないと簡単に仕事は見つかりません。
ポーランド語ができれば、いくぶん楽にはなるのですが。
避難生活の中で大切にしている物はありますか?
自宅から持ってきたUSBメモリーです。
私たちの結婚式、子どもが生まれて10日目に撮った初めての家族写真が入っています。
ただ、なぜこれを避難する際に持っていこうと思ったのかは、うまく説明できません。
戦争が起きてひどくショックを受けていたからかもしれません。
でも、今考えると、ロシア軍にこれを取られてしまうのが嫌だったんだと思います。
このUSBメモリーは、私にとって本当に大切なものなんです。
帰国することは考えていますか?
戦争が終わるまで帰るつもりはありません。
友人の中には自宅に戻る人もいます。彼らは国外で生活するよりも自宅にいるほうがいいと言っています。
でも、私は息子がいるので、できる限りポーランドにいるつもりです。
そもそも、息子がいなければウクライナを離れることはなかったと思います。
ロシアに占領された地域で苦しむ子どもたちのニュースを目にすると、とても怖いです。
ウクライナで起きていることは、子どもたちにとって大きなトラウマになってしまいます。
大人だってつらいのに、子どもにとってはなおさらです。
息子の将来が危険にさらされないようにしてあげたいんです。
今の願いは何ですか?
戦争が起きてすべてが変わり、まったく別の人生になってしまいました。
降伏してロシアによる占領を受け入れて暮らした方が平和に生きられると考える人もいるかもしれません。
でも、それはウクライナにとって大きな後退なのです。
私たちは何より“自由”が大好きで、国家として独立していることが大事なのです。
プーチン大統領の下で生きていくことはできません。
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