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Saturday, April 9, 2022

いとうせいこう「東北モノローグ」 被災地聞き歩き 第4章(3) - 河北新報オンライン

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岩手県洋野町(写真映像部・高橋諒) 

 東日本大震災では、津波で254人もの消防団員が亡くなっています。ですから、防災関係者も逃げるというのは、非常に大事なんですよ。

 消防団員が沿岸にいつまでもいるとね、付近住民は「なあに、まだだろう」となる。昔はね、申し訳ない話なんですが、消防団が海のそばにずっといたんですよ。津波を警戒しながら、でも海岸で見ているんです。そうすると野次馬も来る。みんなお互いに知ってますから、世間話なんかしながら、危険な場所に留まってるんです。今は考えられないことですけどね。

 それで、とにかく津波警報が出たら、水門・樋門の閉鎖をする。それが終わったら、すぐ決められた高台に逃げる。逃げたら、これも洋野だけの活動ですが、各地区から海につながる道路に消防団員を張りつけて、絶対に住民を海岸方面に下げない。道路を閉鎖したんです。自宅に戻らせない。これが大きかったですね。

 もうね、けんか腰でした。漁師が「何をお前、俺は命より大事な船を安全な場所に置くんだ」と。船を津波に対して直角にして海洋に出す方法ですね、そうしたいのはよく分かります。でも消防団には頑張ってもらいました。絶対に下げるな、と言ってあったんです。

 私も全国の消防団関係者と話したんですが、彼らは「われわれはできない」と言うんですよね。「そういうことをしたら大変なことになる。つるし上げられる」って。でも海岸に行かせたら、津波に巻き込まれるんです。

岩手県洋野町(写真映像部・高橋諒) 

 うーん、私たちがなぜできたか、ですか。

 それはたぶん、日常での活動の延長なんですよね。日頃の訓練で信頼関係がある、と言いますか。とにかく私は私で、消防団の応援者なんです。消防団員が病気なんかで亡くなると、その地域がその分だけ衰退する、という感覚でやってるもんですからね。地域に不可欠な人材が消防団員なんです。その団員が「ここからは通せない」と言う。それが大きい。

 私たちが人を止めたのは18カ所です。海によく下りる道路は全てですね。そこに避難が終わった消防団員が張りつく。もちろん海抜20メートル以上の所を選んでますから、津波は届きません。

 いや、本来は私のような一消防職員が言うことじゃないから、そういう時は消防団長に任せるんですよ。団長命令でやってくれと。えへへ。ええ、そうそう、震災前は一介の消防職員でしたし、今ではあくまでアドバイザーですし、ははは。

 私、消防団長ともしょっちゅうお酒飲むんですよ。そしてお互い、防災のことばっかり話すんです。するとパッと思いつきが出てくる。それをメモ書きにして、酔いが覚めてから具現化するというかね。ははは。

 私はやっぱり消防団員には地域のヒーローであってほしいんです、いつまでもね。だから「団長さん、地域の行事にも絶対消防団を出せ」と言い続けてましてね。きちんと半纏(はんてん)着て地域の行事に出ることによって、信頼が違ってくると。あと、地域の小学校とか保育園の運動会とか、そういう小さい行事にも。

 以前、消防を定年になった時、町長が役場に来てくれと言うので1年間、防災専門鑑っていうのをやったんですが、消防からするとどうも退屈なんです、あれ。それで「どうしても座ってられません。私は現場の方がいいです」と言ったら、アドバイザーやってくれと。それが8年続きました。アドバイザーだと現場に行けます。40年も消防職員やってると身に付くんですよね、現場主義が。

 今アドバイザーの一番大きな仕事は、津波警報が出ると町役場に対策本部を作ることですね。そこに私出ていって、いろいろ仕切ってまして。あの、これも全国で問題なんが、防災推進室などの専門部署があって職員が何人かいるんですが、定期的な異動が多いから、そこに防災をよく知らない職員が担当で来る。

 それで防災アドバイザーっていう部外者を置くことによって、専門的にスムーズにいくんです、消防団とも行政側ともね。他の自治体もそうなんですけど、定期的な異動があるとまたゼロからやり直しなんで。

岩手県洋野町(写真映像部・高橋諒) 

 私自身のこれまでの震災の記憶ですか?
 ぼやっとしてますが、あります。昭和8年の三陸津波の時、おふくろは八木地区で見たそうです、筵(むしろ)をかぶって遺体が並んでるところを。

 それこそ防災無線もテレビもラジオもないでしょう、当時はね。ですから、なにも知らないでそのまま波にのまれた。今も八木地区の上に墓地があるんです。その石碑を見ると、やっぱり「3月3日」という命日が、いっぱい刻まれているんですね。

 いや、それで消防職員になったわけじゃないですよ。志望動機は忘れましたよ、50年前ですもん。ただ当時はちょうど広域消防っていうか、各市町村に消防署を置きましょうという施行令が出た時なんですよ。その第1期生です。それからずっと、消防の世界にいます。

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