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Saturday, April 30, 2022

腸内環境にやさしい!温かい長寿サラダとは? - ダイヤモンド・オンライン

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世界最先端の革命的認知症治療に取り組む、認知症研究30年超の医学博士。
白澤卓二氏が、患者への指導はもちろん、自身が健康長寿をまっとうするために実際に取り組む食事法を紹介した健康レシピ本『認知症専門医が毎日食べている長寿サラダ』が完成した。
私たちはどうしたら、健康で長生きできるのでしょうか。
この連載では、食事を通して健康長寿を目指す方法をお伝えしていきます。

きんぴら風の甘辛味でごはんに合う

腸内環境にやさしい!<br />温かい長寿サラダとは?ごぼうと牛肉のホットサラダ

ココが長寿効果! ごぼう

ごぼうは不溶性食物繊維、水溶性食物繊維の両方を含みます。特に不溶性のリグニンは大腸がんの予防効果が期待されています。強い抗酸力を持つクロロゲン酸などの有効成分が流出しないよう、水に長くさらすのはNG。

監修 お茶の水健康長寿クリニック院長 医学博士・医師 白澤卓二

本原稿は、白澤卓二著『認知症専門医が毎日食べている長寿サラダ』からの抜粋です。この本には、脳と体を健康にする「長寿サラダ」のレシピを多数収録しています。一皿で栄養満点のおいしいサラダで脳と体をリセットしてみませんか?(次回へ続く)

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フロレンティーノ・ペレス:「戦いぶりにふさわしく、当初からしっかり働いた上でのリーガ優勝」 - Real Madrid CF

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ニュース. 30/04/2022

「我々全員が大いに満足しています。世界中のマドリディスタにとって幸せな一日です」と会長

クラブ史上35回目のリーガ優勝を決めたあとフロレンティーノ・ペレス会長がレアル・マドリードTV のインタビューに答えた。「スペイン、そして世界中の全てのマドリディスタにとって幸せな一日です。本当に戦いぶりに相応しいもので、当初からしっかり働き、偉大な監督カルロ・アンチェロッティとともに勝ち取ったリーガ優勝です。彼はクラブを知り尽くしており、それが今季のリーガを象徴しています。我々全員が非常に満足しています。それが水曜の試合へ向け、我々に力を与えてくれます」。

アンチェロッティはこれまでに自身があらゆる国で指揮して来た欧州でのたくさんのチーム全てについてその違いを私に何度も話して来ました。そこで言っていたのはレアル・マドリードの選手たちはとてもマドリディスタだということです。彼らはまるでレアル・マドリードの熱狂的なファンで、それが特別なプラスになるということ、ある雰囲気というのは素晴らしいものです。物事がうまく行っているときは、今日の我々がそうであるようにその状況を認め、大いに満足するだけです」。 
 
アンチェロッティ監督
「彼はこれまでずっと指揮して来た強力な戦力を持つチームを最高の形で管理する存在。とても良い形で遂行します。その経験は彼の中で一番の強みです。選手構成、フィジカル管理、理学療法などなど、あらゆる面で我々は的を得て来ました。全て、そして何より目の前にいる存在、カルロ・アンチェロッティ。彼は最高の監督です」。

ベンゼマは今季、その前、さらに前と力を発揮しました。人生は目の前にあるもので、次のバロンドールがカリム・ベンゼマのものにならなければならないということを疑う者は誰もいないでしょう。そしてさらに勝ち取ったとしても時差があるということ。以前に勝ち取っていなければいけませんでした。世界がそれを認めるということに何の疑いもありません。一つの事実になるべきです」。
 
会長として50番目のタイトル
「今回のリーガ優勝は35回目で、我々の歴史の中では3年ごとに1回リーガ優勝しています。普通のことではないということです。私は魅惑的なクラブを継承し、就任して間も無くクラブに20世紀最高クラブの賞が与えられました。私が近年やって来たことは周囲に相応しい高みにいるということです。それは父が私に教えてくれたことでした。私は60年以上、正確には61年クラブのソシオで、それが私が見て来たことです。私にとって自分が体験して来たのと違うものではありません」。
 
マンチェスター・シティとの決戦
「水曜日はベルナベウにある魅惑的な夜の一つになるでしょう。チームが勝ちに行かなければならないということは誰もが理解しています。見る価値のあるフィエスタになるでしょう」。
 

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食卓の一品:ホタテのサラダ オレンジドレッシング - 毎日新聞

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 ホタテは食感を味わいたいときは縦に、大きく見せたいときには横に切りましょう。

 ≪主な材料≫(2人分)

▽刺し身用ホタテ貝 柱4個

▽オレンジ     1/2個

▽プチトマト    6個

▽フリルレタス   適宜

▽A(白ワイン大さじ1、塩・コショウ各少々)

▽B(オレンジの搾り汁1/2個分、マヨネーズ・サラダ…

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【集中投資でFIREした元会社員が教える】お金が貯まる投資家と貯まらない人の決定的な違い - ダイヤモンド・オンライン

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小型株集中投資で築いた資産をもとに、入社4年目の26歳でFIRE(経済的自立と早期リタイア)を果たした『投資をしながら自由に生きる』の著者が、「お金と時間の自由」を最速で得るための秘策を伝授! 最小限の時間で場所にも縛られず、極めて自由度が高い状態で仕事を楽しみしながら、経済的自由を謳歌するたった1つの方法を徹底指南する。

【集中投資でFIREした元会社員が教える】<br />お金が貯まる投資家と貯まらない人の決定的な違いイラスト:伊藤ハムスター

価値>価格が本当に安い買い物

このように考えると、「お金は使えば使うほど増える」というのは、「価格」よりも「価値」が高いものを買った場合に限ることがわかります。

多くの消費者は、「価格」だけを見て高いか安いかを判断しますが、賢明な投資家は価格よりも価値が高いものを「安い買い物」、価格よりも価値が低いものを「高い買い物」と判断します。

賢明な投資家の判断基準に、「価格」の高低は関係ありません。たとえ価格が100円でも、それ以上の価値を感じなければ絶対に買いませんし、たとえ価格が1000万円でも、価格を大きく超える価値があると思えばときには借金をしてでも購入します。これが「お金は使えば使うほど増える」という言葉の真意です。

これは本を買うときも同じです。せっかく買ったのに、まったく読まずに本棚に放置してしまったら、本から得られる価値はゼロです。通読したのに得るものがなかった場合も、価値はほぼゼロです。そうなってしまうと、せっかくお金を払って本を買っても、お金と時間の浪費になってしまいます。

一方、本を読んで、1つでも役立つヒントを得て、それを実際に行動に移し、自分の未来をよくすることにつなげられたら、その本の価値は価格の何千倍、何万倍にも大化けする可能性があります。

【集中投資でFIREした元会社員が教える】<br />お金が貯まる投資家と貯まらない人の決定的な違いイラスト:伊藤ハムスター

何かを購入するとき、「この商品からどんな価値を得られるだろうか」「このサービスから得られる価値をいかに最大化しようか」という視点で購買判断をするようにしてみてください。その視点を持つことで、「お金を使えば使うほど増える世界」への仲間入りを果たすことができるのです。

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コロナ禍でも好業績…レジャー客にも人気の高級ビジネスホテルを見てみよう - Business Insider Japan

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AKA

Brittany Chang/Insider

  • 長期滞在型高級ホテルチェーンのAKAホテルズ&ホテルレジデンスにとって、2021年は飛躍的に成長した年となった。
  • COVID-19の間に、AKAには医療従事者や大学生など、さまざまなゲストが宿泊するようになった。
  • 全米12カ所で運営する同チェーンは、今後2年から3年の間にさらに20カ所でオープンさせたい考えだ。

COVID-19はまだ終息していないものの、レジャーの旅行は急速に回復している。一方、旅行業界の中でまだ同様な復活を遂げていないのが出張の旅行だ

AKA

AKA


COVID-19による打撃や、リモートワークの普及、出張制限などの波にもまれながら、出張旅行やそれを提供する企業はまだ回復していない

AKA

Brittany Chang/Insider

Source:Insider


しかし、かつて出張旅行者に愛された長期滞在型ホテルは、この不況をうまく回避してきたと、旅行調査会社Lodging Analytics Research and Consultingのライアン・メリカー(Ryan Meliker)社長はウォール・ストリート・ジャーナルに語っている

AKA

Brittany Chang/Insider

Source:Wall Street Journal


中でも、特に高級感のあるセンスの良さでそれを実現しているのが、AKAホテルズ&ホテルレジデンス(AKA Hotels and Hotel Residences)だ

AKA

Brittany Chang/Insider


AKAは、連休の旅行で泊まるようなホテルではないが、自らを「世界で最も住みやすいホテル」と称し、数週間から数カ月にわたって滞在するゲストを引き付けている

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Brittany Chang/Insider

Source:Aka


客室は豪華なスイートルームで、他にもプライベートなカクテルラウンジ、広々としたフィットネスセンター、ムービーシアターなどがある

AKA

Brittany Chang/Insider

Source:Aka


数週間滞在する場合、宿泊料金は1泊250ドル(約3万2000円)から400ドル(約5万円)程度だ

AKA

Brittany Chang/Insider


一般的なホテルに比べると(長期滞在型かどうかを問わず)割高だが、これまでのところ、出張旅行が中断されているにもかかわらず、AKAの集客に問題はないようだ

AKA

Brittany Chang/Insider


同チェーンは全米各地とロンドンの1カ所で展開しており、ビジネスは活況を呈している

AKA

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COVID-19による打撃にもかかわらず、2020年の宿泊日数は2019年の140%増になったと、AKAの広報担当者がInsiderに語っている

AKA

Brittany Chang/Insider


そして2021年末には、マイアミやロサンゼルスといった最強のロケーションでの客室稼働率がほぼ90%に達し、ホテルブランドとして飛躍的な成長を遂げた

AKA

Brittany Chang/Insider


AKAは2020年以降、もはや出張旅行者のためのもうひとつの自宅のような存在ではなくなった

AKA

Brittany Chang/Insider


今やアメリカ国内のレジャー旅行客が休暇を過ごすホテルになったと、AKAのラリー・コーマン(Larry Korman)社長はInsiderに語っている。COVID-19がピークだった頃から2021年にかけて、国内レジャー客が宿泊客のおよそ半数を占めるようになったのだ

AKA

Brittany Chang/Insider


COVID-19が蔓延するようになってから、AKAには幅広い客層からの予約が殺到するようになった。家族連れ、医療従事者、寮で暮らしたくない裕福な大学生、...

AKA

Brittany Chang/Insider


映画制作会社、離婚を控えた人...

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...そして医療処置を目的とした宿泊客などだ、とコーマンは言う

AKA

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そして今、AKAはその好調な業績に乗じて、ニューヨーク、カリフォルニア、テキサス、アリゾナなど、既存及び新規のマーケットで、今後2年から3年の間に約20店舗をオープンする計画だ

AKA

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「COVID-19による低迷期でも、非常に好調だった」とコーマンが言うニューヨーク、セントラルパークのAKAを見てみよう

AKA

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他のAKAと同様、セントラルパークの客室タイプもワンルーム、ペントハウス、1〜3ベッドルームのスイートがそろっている

AKA

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広い1ベッドルームのスイートには、家具やアメニティがすべて整えられ「我が家のような」雰囲気だ

AKA

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キッチンにはシンク、オーブン、電子レンジ、コンロなどの一般的な設備が備わり ...

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大理石のバスルームにも基本的なアメニティがすべてそろっている

AKA

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リビングやベッドルームは、一般的なホテルやニューヨークのアパートメントに比べると、かなり広々としている

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ソファ、テレビ、Wi-Fi、ケーブル類、ダイニングテーブルなどの家具や生活必需品も完備している

AKA

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豪華なスイートルームだけでなく、AKAは共用スペースも充実しており、他のリーズナブルな長期滞在型ホテルとは一線を画している

AKA

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セントラルパークのAKAには、マッサージルームを備えた230平方メートルのフィットネスセンター、11席のムービーシアター、ランドリー設備もある

AKA

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他にも、iMacが並ぶビジネスルームや食品の配達サービス…

AKA

Brittany Chang/Insider


... 階下のカフェ、近隣のレストランからの食事を提供するルームサービス ...

AKA

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Source:Wall Street Journal


...そして、AKAの宿泊客だけが利用できるカクテルラウンジなどがある

AKA

Brittany Chang/Insider


コーマンによると、こうした特別なアメニティや共用スペースが、COVID-19の間にレジャー旅行客を引き付けたという

AKA

Brittany Chang/Insider


「今、AKAの稼働率や宿泊料金がかつてないほど上がっているのは、多くの人がそこに住むことの良さを認識してきたからだと思う」とコーマンは言う。「それはAirbnbのおかげでもあると思っている」

AKA

[原文:A luxury extended-stay hotel chain will open more locations after skyrocketing in popularity during COVID-19 — see inside one of its high-end NYC locations

(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue)

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サヘル・ローズ、8歳で養母と日本へ。虐待、路上生活、いじめ…過酷な日々で死を考えたとき見つけた「生きる目標」 - テレ朝POST

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イランが隣国との戦争で困窮した時代に生まれ、身寄りをなくして孤児院(児童養護施設)で育ったサヘル・ローズさん。

7歳のときにテヘラン大学院生だったフローラさんと出会い、彼女の養女となって8歳のときに日本で暮らすことになるが、義父からの虐待、ホームレス、酷いいじめ…さまざまなつらい目に遭い、死ぬことも考えたというが、高校生のときにエキストラ、ラジオリポーターとして芸能界で仕事をはじめ、『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日系)で10年間リポーターとして活躍。

2017年に主演した短編映画『冷たい床』(末長敬司監督)でミラノ国際映画祭(MILAN IFF)外国語映画部門・最優秀主演女優賞受賞。映画『女たち』(内田伸輝監督)、舞台『グッドピープル』など数多くの映画、舞台に出演。2022年1月、著書『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』(講談社)を出版。5月6日(金)には映画『マイスモールランド』(川和田恵真監督)の公開が控えているサヘル・ローズさんにインタビュー。

◆孤児院で運命の出会い「養母は健康なからだにメスを入れて…」

イラン西部の小さな町で生まれたサヘルさんは、物心つく4歳の頃から養母・フローラさんに引き取られる7歳まで児童養護施設で生活していたという。

「施設で生活していたことがすごく性格に響いたと思うんですけど、おとなしかったみたいです。施設には私のような子どもがたくさんいて、誰かに話をきいてもらえる状況にはなかったので、お腹(なか)がすいたとしても言わない。誰も自分のことを気にしていないし、誰の瞳にも私は映っていないんだろうなあという寂しさから、会話をほとんどしていなかったらしいです。

施設で生活をしていたので、衣食住はもちろん与えられてはいたけれども、正直あのときの私は、心が動いたという形跡がないんですよね。だから本当に記憶がわずかしか残っていません。すごく断片的で、何よりも感動した、うれしかった、悲しかったというように感情が動いたことがなかったんです。

ただ、他の小さな子どもたちの世話をよくしていて面倒見のいい子どもだったそうです。みんなお母さんがいないから親代わりをお互いにし合っていたのですが、その中でもすごく優しい子どもだったと、職員さんには人気があったみたいです」

-サヘルさんの場合はお母(養母)さま、フローラさんとの出会いが大きかったですね-

「人生の大きな瞬間でした。その前にももちろんいろんな大人に引き合わせてもらっているんですけども、大人を信じていなかったし、毎回違う人たちと会わされて、自分を迎えに来てくれるわけでもない。

子どものときは、まず怖いし、悲しい。でも、『また次か』って思っていた中で彼女と出会ったときの感情は真逆で、本当に不思議なことに彼女にだけは『お母さん』と言えたんです。

産みの親の顔を覚えているわけでもないので、似ているとかいう感覚はないし、なぜその言葉をあのときの私が言ったのかわからないんですけど、もしかしたら本当に無意識のうちに最後の賭けだったのかもしれない。『助けて』っていう心の悲鳴だったのかもしれないです。

数カ月後には『お母さんになって。私をあなたの子どもにして』って言っていました。その言葉を彼女は本当に真摯(しんし)に受け止めてくれました。でも、『この子が欲しいです』と言っても簡単なことではないんです。

当時は養子を引き取るには、結婚していること、裕福な家庭であること、そして今はこのルールはなくなったんですけど、子どもが授かれない方にしか養子縁組の権利はありませんでした。

母は健康なからだだったんですけど、私を引き取るためにからだにメスを入れて、子どもが産めないからだに自分を変えた上で私を迎えに来てくれたんです」

-ボランティア活動をされていたフローラさんが、多くの子どもたちの中からサヘルさんを選んだのは?-

「『お母さんになって』と言ったのは、私だけだったんですって。それと母も実は親のもとで生活できていないんですね。育児放棄をされて、15歳までおばあちゃん、私からするとひいおばあちゃんの元で育っているんです。ですから今もそうなんですけど、母は本当の母親のことをお母さんとは一切呼ばないです。彼女にとって母親と呼べる相手はそのおばあちゃんだったので。

お母さんが15歳のときに、おばあちゃんは大腸がんで亡くなったんですけど、亡くなる前に『いつか必ず養子を引き取って育てるからね』という約束を交わしていたそうなんです。

それで、私が『マダル(お母さん)』って言った響きが、自分がいつも(養母の)おばあちゃんに言っていた響きと重なって、その瞬間に『この子が、私が引き取る子なんだ』と、お母さんの中で多分すべて覚悟が決まった瞬間だったと思います」

-まだ20代前半という若さで自ら子どもが産めないからだにしてまでサヘルさんを養子にというのは、すごい決断ですね-

「すごい決断だと思います。簡単にできることではないですよね。お母さんの家は裕福だったんですけど、私を養子にすることに反対で家から追い出され、経済的な援助も一切受けられなくなって、卒業まであとわずかだったテヘラン大学院も途中で辞めることになってしまいました。

当時養母は結婚していて、彼は日本で働いていたのですが、私という子どもを抱えた母が仕事を探してもイランでは仕事がないので、私を連れて日本に来ることにしたんです。イランではお父さんの苗字を引き継ぐので、私に義父ができて、その方の許可が得られたからパスポートを作ることができました。イランは男性主義の世界で、女性の権利はないので」

サヘルさんはもともとの名前や生年月日は不明。養母であるフローラさんが、サヘル・ローズ(砂漠に咲く薔薇)と名付け、生年月日も定めてくれたという。

※サヘル・ローズプロフィル
1985年10月21日生まれ。イラン出身。8歳のときに養母・フローラさんと日本へ。高校生のときから芸能界で仕事をはじめ、『GOOD MORNING TOKYO』(J-WAVE)のラジオリポーター、『スーパーJチャンネル』のリポーターとして活躍。2009年、バラエティ番組のキャラ「滝川クリサヘル」が話題に。映画『ペコロスの母に会いに行く』(森崎東監督)、映画『西北西』(中村拓朗監督)、『ドラマW 分身』(WOWOW)、舞台『恭しき娼婦』など映画、テレビ、舞台に多数出演。芸能活動以外にも国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めた。現在も国内外の子どもたちへの支援を行っている。

◆義父からの虐待…真冬に養母と家を出てホームレスに

1993年8月、養母・フローラさんとともに日本に来たサヘルさんは、近所の小学校に留学生という形で通うことになったという。

「言葉も知らないし、文化も宗教も違うので大変でした。日本のことは、テレビで見ていた『おしん』と『キャプテン翼』と『水戸黄門』しか知りませんでした。テレビでは吹き替えだから全員ペルシア語を話していたので、日本に来て初めて日本語を耳にしたのですが、慣れない言語の人たちからすると、日本語の響きはすごく怖いんです。あと、今だと慣れているから違いがわかるんですけど、当時はこの国の人たちがみんな同じ顔に見えて、『双子で溢れているなあ』って(笑)。

ワンルームで義父と養母と私の3人で暮らしはじめたのですが、私も悪い子だったんです。やっぱり急に家族ができたことに戸惑ってしまって、試し行動をたくさんしてしまったんですよね。

ものを壊したり、盗んでみたり…悪いことをして、『どのくらいまで悪いことをしても許してくれるんだろう?』、『私のことをどれだけ愛してくれているのかな』って。そのことによって愛情を確かめたかった、ただただそれだけだったんです。

養母は心理学を学んでいたから、すごくゆっくり私に歩幅を合わせて歩いてくれていたんですけど、義父はそれにどんどんストレスが重なってしまって、ストレスの矛先は自然と子どもに向きますし、しつけの一環からそれが徐々にエスカレートしてしまったので本当に暴力に発展してしまって…。

ある真冬の雪が降っている晩に、このままだともう無理だと。義父か私のどちらかを選ばなければいけなくなって、養母は離婚という決意をして二人で家を出て、路上生活をすることになったんです。

日本に来ることができたことは義父に感謝していますけど、後に彼からの虐待があったりとか、異国の地で私たちを外に放り出してしまった彼の行いは許されることではないので複雑です。

でも、結局は彼がしてきたことは苦しかったけれども良かったのかなって。なぜなら虐待は賛同できないけれども、出て行くことになって彼から切り離されたおかげで、いろんな方々と出会って人生がスタートしたんですよ。ですから、『すべての出来事に意味があるんだなあ』って本当に思う人生です」

-路上生活はどのように?-

「運が良かったです。ドラム缶があって良かったなあって。当時は午後8時まで図書館が開いていたので、そこで暖をとっていましたし、近所のスーパーの試食コーナーでお腹を満たしたりしていたので、ギリギリ何とかしのいではいたんです。

でも何よりも救ってくれたのが地域のお節介文化でした。今だと多分それはもう不可能なことなんですけど、29年前はやっぱり地域社会でお節介をし合えたりとか、地域のコミュニティーがあって、『みんな大丈夫?』って手を取り合って生きられる文化がまだ残っていたんです。

スーパーの試食コーナーにしょっちゅう行っていたら、あるときそこのお母さん(従業員)に声をかけられたので、怒られると思っていたら、おうちから持ってきた食べ物がいっぱい入った紙袋を渡してくれて。日本語を教えてくれた校長先生もそうですし、いろんな方々が面倒を見てくれたので、日本の父母というのはたくさんいると思います」

-小学校では校長室で日本語を勉強されていたそうですね-

「はい。校長室で日本語を教えてもらって、給食の時間だけ教室に行くんです。私にとって学校は、お腹を満たしに行く場所でした。給食の時間が1番の目的だったので。

でも、その時間までは校長先生が日本語を教えてくださって、その数カ月のおかげで、早い段階からある程度は日本語をマスターすることができたので、親の通訳代わりをしてあげていたんです」

-路上生活はどのくらい続いたのですか-

「2週間くらいです。学校で給食を作っている給食のおばちゃんが、2週間も同じ洋服で学校に行っていた私に『大丈夫か?どうした?』って声をかけてくださったんですよね。

子どもは私に限らず、自分から家の事情を話せないんです。路上生活をしていることは大変なことだと思っていなかったし、言えなかったんですけど、わかる日本語で聞いてくれたので、『パーク、パークにいる』って、使える単語だけで伝えたら理解してくれて。

『じゃあ、もう行かなくていいから、家にいらっしゃい』って、私と母をその日からずっと泊めてくれて、新しい洋服や自転車も買ってくれたし、ご飯も食べさせてくれたんです。

給食のおばちゃんもシングルマザーで娘さんを一人で育てていたので、生活が楽ではないわけですよ。お給料もいいわけではないのに、それでもどういう事情かわからない母子を自分の家に招き入れるってすごいことだと思うんですよね。

そのおばちゃんがアパートを借りるときにも保証人になってくれて部屋を借りることができましたし、ビザの手続きなどのときも力になってくれました。そういう意味では、本当に出会いこそ生きる力だと思います」

◆小学校高学年からはじまったいじめ。死のうと思ったことも

校長先生の個人指導で日本語が上達したサヘルさんは、フローラさんの代わりに公的な手続きなどを行っていたという。

「外国籍の場合、帰国子女の場合もそうかもしれないですけど、やっぱり子どもはスポンジのようにいろんなことを吸収できますが、親、大人が置き去りにされてしまっているので、その親をサポートする子どもが一生懸命なんですよ。

私もランドセルを背負いながら郵便局や銀行に行って、電気代とか家賃を一生懸命払ったり、わからないことを一生懸命やっていましたし。区役所に行って手続きをしたりとか、本当に小学生の子どもがよくやっていたなあって思います。

でも、やるしかなかった。お母さんにはできなかったし、お母さんは工場とかトイレ掃除とかを一生懸命朝から晩まで身を削って働いていたので、私に唯一できたことが、言葉でお母さんを支えることだったんですよね」

-お母さまが離婚されてから日本で生活する手続きはどのように?-

「ビザの切り替えも給食のおばちゃんが手伝ってくれたんですけど、もともと『家族ビザ』は2回しか更新できないんです。そのあとそのままだと不法滞在者になってしまいます。

お母さんは本当にかわいそうなんです。あと少しで大学院を卒業できるというときに革命があって、その後戦争になって、私と出会って私を育てるためには日本に来るしかなかった。

それですべての夢をイランに置いてきたんです。本当は大学教授を目指していたくらいクレバーな人なのに、日本では言葉の壁によって、テヘラン大学を卒業したことすら何も使えませんでした。

お母さんはお嬢さまだったのでメイドさんが付いていて、そのメイドさんが絨毯織りをしていた人だったので、その人にペルシャ絨毯の織り方を教わっていたんです。それで絨毯を織るということで技能ビザに切り替えてもらって、絨毯を織る仕事をはじめたんです。

日本では『職人だね』って言ってもらえるんですけど、母からするとプライドはズタズタだと思います。いわゆる絨毯織りというのは、イランでは、地位が低くて学校にも行けていない、もっとも貧しいエリアの人たちがすることで、彼女はもともと何もしなくてもすべて与えられていたお嬢さまだったので。

私のためにすべてを投げうって路上生活もして、食べるものもない、トイレ掃除や床掃除など全部やってくれたのは、すごい決断だと思います」

-『徹子の部屋』で拝見しましたが、大変な作業ですね。サヘルさんも小さいときからペルシャ絨毯を織る仕事を手伝っていたとか-

「はい。展示販売とかもしていましたけど、1日8時間やったとしても2、3ミリしかできないんです。だから玄関マット1枚でも完成するまでは1年くらいかかるので、すごい大変ですし、日本で作って完成したものは売れないんですよ。日本の人件費で計算されちゃうので、織り子にはそんなに入ってこないんですけど、結局仲介の方々が入るのですごい金額になってしまうんです。

だから決して売れることはないし、展示会も8月とか暑い時期や湿気がある時期とかも絶対にオファーがなくて、基本9月、10月、11月と、1月、2月、3月がもっともピーク。そのときって展示会が重なるんですよ。

それで土日しか呼んでもらえない。土日だけ働いて家族を支えるのは不可能。しかも私が高校、大学に行くための費用を考えたら、お母さんが働く分だけでは不可能だったので、土日だけでもお手伝いをさせてもらいながら母親をできる限りサポートすることをしていました。

だから私の人生の中で等身大を生きたことはないです。青春なんて知らないし、子どもたちがするようなことをやれたことはないので、今、逆にその反動が来ています。多分すごく幼いです、今(笑)」

小学生の頃からお母さまの通訳代わりも務め、さまざまなサポートをしてきたサヘルさんだが、小学校高学年の頃からいじめの対象に。いじめは中学校を卒業するまで続いたという。

「お母さんには心配をさせたくなかったから、家の中ではお母さんが安心する優等生のサヘルちゃんを演じていました。脚本というか妄想の中で生きるしかできなかった。架空の別の人物になることが、今となっては功を奏しているんですけど、中学時代は苦しんでいました。

中学の3年間、母親のための安心する優等生のサヘルちゃん、でも学校に行ったら行ったでイラン人ということや、いろんなことが重なってしまっていじめの対象でした。

誰かの財布が盗まれると1番最初に『カバンの中を見せろ』と言われるのが私。悔しかったし悲しかった。言葉の暴力、ばい菌ゲーム…当時は『サヘル菌』と言われていて、それを平然と見ている大人、何も注意しない先生。苦しかったです。

きっと全員がいじめじゃなかったんですけど、守りたくても、もし私を助けちゃうと、今度は自分がいじめられると思って俯瞰(ふかん)で見ている子たち。

今は大人なので、全員じゃなかったんだなってすごく理解できるんですけど、あのときいじめられていた当事者からすると、誰も守ってくれない、俯瞰で見ている傍観者も、私からするといじめの一味なんですよ。今思うと、すごく大事なのは、『もし気づいたら絶対に手を差し伸べてあげて』って。

なぜなら本当に孤独な人間は、どんどんどんどん自分を追い込んでしまう。私は中学3年のときに死のうと思いました。死ぬために早退して帰ったら、仕事でいないはずのお母さんが家にいたので、『死にたい』って言ったんですよね。

そうしたら、『いいよ。でも、お母さんも一緒に死ぬね』って。その瞬間、私はうれしかったんです。それにはふたつ大きな理由があって、それまでのお母さんは、常に強い、生きる人。どんなに大変な状況でも嘆かないし、助けを求めない人だったんです。お金も食べ物がなくても誰にもそれを見せなかった。

だから多分、私たちがそんな生活をしていたことを誰も気づかなかったと思います。お母さんは弱さを一切見せなかった。それがカッコいいと思う一面、私はそれが苦しかったんです。

私も苦しくてしんどいのに、弱さを見せることができなかったから、すごくしんどかったけれども、その日初めてお母さんが枕に顔を押しつけて泣いている姿を見て、その瞬間に『この人も人間だったんだ。一緒に苦しんでいたんだ』ということに気づいて『お母さんどうして泣いているの?』って聞いたら、『疲れた』って言ってくれたんです。それがうれしくて。

『私も疲れたの。疲れて今日、死にたくて帰ってきたの』って言いました。人というのは強がっちゃう生き物なんですけど、強がりって対話にはならないんですよね。

誰かに『頑張ろう』とか、『頑張れ』って言われても、もう無理だからって。生きているだけで頑張っているんだから、『頑張れ』という言葉は、実は1番禁句で、使っちゃいけない言葉だと思うんですね。逆に、『しんどいの、疲れたの』って言ってくれたほうが、私も『しんどい、私も疲れた』って言えるんです。

重要なのは、強い自分を見せるんじゃなくて、傷ついてしまったボロボロの自分を隠さないこと。人と人というのは、言葉として対話としてちゃんと提示しあったほうがいいと思います。

そのことをお母さんとの経験で私は学んだんです。弱さを見せてくれた。それで、死にたいという私の言葉ですら受け止めてくれる。死にたいという私とともに来ようとしてくれている。その瞬間初めて本当の親子になれたと思いました。

それまでは、私の中では『引き取らせて申し訳ない、彼女の人生をダメにしちゃった。申し訳ない』という罪悪感しかなかったんです。どれだけのものをお母さんは私のために犠牲にしたのかって。

そういう意味ではしんどさしかなかったので、そのお母さんがここまでの覚悟を持って向き合ってくれていたのだということを、死に片足を入れたときに気づかせてもらえました。だから(一度は)死という選択をして良かったと、私は自分の人生で思います。そうじゃないと、一生親子になれてなかったと思います」

-お母さんもいろいろつらい思いを抱えながら必死で生きていたということがわかると、サヘルさんの意識も変わりますよね-

「変わります。生きるって自分でできていることではないんですよね。その原動力って、誰かが支えてくれていて、誰かの生きがいになれていることが自分の生きがいにつながるんですよ。『自分なんて必要とされていない』と思う人はたくさんいると思うんですけど、絶対にそんなことはない。自分の存在が誰かの生きがいになれている瞬間はいくらでもあると思います。

私はお母さんが私の生きがいだったし、お母さんにとっても私が生きがいだったんだということを知ったときに、『今度はもうちょっとちゃんと人生を生きてみよう』って思いました。

私はこれから先、生き続けることによって、まずは母にちゃんとした家、ご飯、洋服…お母さんを幸せにしてあげたいって、生きる目標を見つけた瞬間だったんですよね。目標を持って生きると全然見える視線が変わるんです」

意識の変化でいじめも気にならなくなったと話すサヘルさん。高校では良い先生と本当に信じられる仲間をもつことの大切さも知ったという。次回は高校時代からはじめた芸能活動についても紹介。(津島令子)


※『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』
著者:サヘル・ローズ
発行:講談社
イランで生まれ、孤児院での生活を経て、8歳のときに養子縁組した養母と日本へ。差別、貧困、いじめ…一時は絶望して自死も考えたというサヘル・ローズさん。さまざまな困難を切り抜けてきたからこそ紡げる言葉の花束。

©2022「マイスモールランド」製作委員会

※映画『マイスモールランド』
2022年5月6日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開
配給:バンダイナムコアーツ
監督:川和田恵真
出演:嵐莉菜 奥平大兼 平泉成 藤井隆 池脇千鶴 韓英恵 サヘル・ローズ
「国家を持たない世界最大の民族」と呼ばれるクルド人。クルド人が難民認定された例はこれまでないに等しい。この現状を、17歳の少女の目線を通して描く。埼玉県でごく普通の高校生活を送っていた17歳のクルド人サーリャ(嵐莉菜)は、あるきっかけで在留資格を失い、当たり前の生活が奪われてしまう…。

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息子の反抗期、各所への土下座、非常識な取材…石田家の父(68)が語る、大家族のリアル「子どもたちには理不尽な思いをさせたな…」 - 文春オンライン

kukuset.blogspot.com

 茨城県在住の11人大家族・石田さんチに密着した『7男2女11人の大家族石田さんチ!』(日本テレビ系)は、今年放送から25年を迎えた。 

 外資系化粧品会社の凄腕営業マンだった父・晃さん(68)は定年退職し、現在は美容業界の未来のために奔走中。そんな石田さんチの名物キャラクターである晃さんに、現在の石田さんチの様子や妻・千惠子さんとの関係、9人の出産など大家族のリアルを聞いた。(全2回の2回目/前編を読む

ディレクターの今井さんと晃さん

◆ ◆ ◆

女房は割と心配性、俺はほっとくタイプ

――当時は余裕がなく、理不尽に子どもを叱ることもあったと。

 そう。自分が気に入らないと怒鳴ってたからね。俺のものを子どもが触ると「壊れるだろ!」って。でも、ものなんて触ろうが触らまいが壊れるし、それが遅いか早いかってだけなんだよ。子どもたちには本当に理不尽な思いをさせたなって思います。それでもなんとか家庭が回っていたのは、やっぱり女房がカバーしてくれていたんだと思います。

――千惠子さんの協力があったからこそなんですね。

 息子が高校生の頃、不良グループとつるみ出したことがあって、女房に「なんか悪いことしているみたいだから見に行って」って言われたんです。車で街中を探したら、牛丼屋に息子がいて。様子を見に行くと、どうやら割り箸をこそこそ懐に入れようとしていて。それを見た瞬間なりふり構わず店の中で「てめえ、なにやってんだよ!」って怒鳴りました。

 そしたら、「寒いからこれを燃やして暖を取ろうと思って……」って(笑)。たしかに昨日雨降ってたし、寒いよなって思ったけど、「泥棒だぞ。そんなの外にいっぱい枝が落ちてるだろうが」ってやめさせましたよ。息子のことでいろいろ土下座したことがあったけど、苦じゃなかった。営業ではいつも謝っていたからね。

 

 女房は、割と心配性で、ほっとけないタイプなんだけど、俺はほっとくタイプなんだよな。それがよかったんだろうな。バランスが取れていて。

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