Pages

Wednesday, March 9, 2022

【話の肖像画】プロ野球「楽天」初代監督・田尾安志(68)10 志願し2軍へ、鍛えた守備と走塁 - 産経ニュース

kukuset.blogspot.com
外野守備はプロに入ってから磨いた
外野守備はプロに入ってから磨いた

《プロ1年目、自ら2軍行きを志願した。つたない外野守備と走塁が1軍のレベルに到底達していないと判断したのが理由だった》

守備と走塁は大学時代にほとんど練習したことがありませんでした。遊びでちょっと外野を守ったというのはありましたが、ノックを受けたことはない。大学時代に試合で外野を守ったことはあります。3年生のときに本塁にヘッドスライディングして肩を痛め、投げられなくなったんですよ。まったく。そのときはボールが飛んでこない方に、最初はレフト、次の打者のときに、「こいつはレフトに打ちそうだ」となったらライトに移る。1イニングでレフト→ライト→レフトと変わったのを覚えていますよ。送球も下からしか投げられない。そういう状況で、中日ドラゴンズはよく1位で指名してくれました。キャンプのときもライトから二塁へワンバウンドで届くのが精いっぱい。だんだん治ってきたので、投げられるようにはなりました。

ただ、守備と走塁に関しては、やっぱりみっちりとやりたい。自分の目標が1軍に残ることではなく、レギュラーを取ることでしたから。レギュラーを取って他球団のトップクラスの選手と争うぐらいになりたい。そう考えると、代打でしか使ってくれない1軍に帯同するのは、自分にはマイナスでしかない。それで4月が終わるころ、自分から「2軍に行かせてくれませんか」とお願いしました。

《2軍では不安のあった外野守備と走塁を徹底的に練習。1軍復帰後はレフトで起用されるようになり、最優秀新人(新人王)のタイトルも獲得した》

2カ月間、いつも早めにグラウンドに行って、みんなが来る前にウオーミングアップをして、みんながウオーミングアップしているときに一人でノックを受けていました。それが日課のようになったんです。30分ぐらい、ひたすらノックを受けて…を繰り返しました。その2カ月で、うまくはないが、守備はそれなりになったんです。

あのとき、中日にはすごい外野手がいました。井上弘昭さん、前年の打率はリーグ2位。でも調子が悪くて。チームも4位で、もう若い選手を使おうというのもあったと思います。そういう条件が重なって、代打で出たときに逆転タイムリーを打ったことがきっかけで、最初から使ってもらえるようになりました。1年目は67試合に出場し、打率2割7分7厘。打席数も183打席と少なかった。それでもセ・リーグには前の年、新人王は該当者がいなかった。誰かにやらなあかんというのもあって、僕を選んでいただいたんだと思います。

《プロに入ってからも続けた〝儀式〟がある。大みそかに大学時代を過ごした寮に泊まり込み、年始に比叡山に一人で登山した》

大学3、4年生のときと、プロ1、2年目です。4年間やりました。八瀬(京都市左京区)と比叡山を結ぶケーブル鉄道がありますよね。寮に泊まって、正月になったらすぐに、朝からそのケーブル鉄道の横の方の道なき道をずっと真っすぐ上がっていくんです。頂上まで行って、「あー、今年も頑張るぞ」みたいなことを自分に言い聞かせて戻ってくる。下界で苦しんで野球に取り組んでいるが、それを上から見てね、よう頑張ったとも思えるし、今年も頑張れとも思える。プロになってからも、もう一回原点に返るというんですか…。お客さんがいっぱいの中で、給料ももらって野球をしている。変な天狗(てんぐ)になる恐れがあるかもしれない。それを危惧するというか、もう一度戒める思いもあり、1人で通った4年間でしたね。(聞き手 北川信行)

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 【話の肖像画】プロ野球「楽天」初代監督・田尾安志(68)10 志願し2軍へ、鍛えた守備と走塁 - 産経ニュース )
https://ift.tt/sT3Krlu

No comments:

Post a Comment