Pages

Wednesday, March 23, 2022

ウクライナ侵攻で複雑化する代理出産 代理母も親も難しい決断 - BBCニュース

kukuset.blogspot.com

ステファニー・ガティ&エレノア・レイヒ、BBCニュース

A nurse with a baby in Kyiv's underground nursery

画像提供, Getty Images

ロシア軍がウクライナに侵攻した2月24日、スウェルタナさんは、何が起きているのかを伝えるニュースを信じられない気持ちで見ていた。

首都キーウ(キエフ)の南方80キロにある、スウェルタナさんの住む古都ビラ・ツェルクヴァの街は、いつも通りの静かさだった。

しかし、爆発が始まった。

スウェルタナさんと夫はアパートの廊下にマットレスを持ち出し、3人の子供と身を寄せ合った。サイレンの音が常に鳴り響き、一家は何日間も寝られなかった。

ウクライナから何千キロも離れたオーストラリアでは、エマ・ミカリフさんが必死にメッセージを送っていた。スウェルタナさんは代理母として、エマさんの2人目の子供を妊娠していた。ビラ・ツェルクヴァにミサイルが落ちたと聞いて、エマさんは怒り、絶望した。

この6か月間、2人の母親は翻訳アプリを使ってメッセージのやり取りをしていた。お互いの子供たちの写真を送り合い、子供たちとの菓子作りや、パンデミックによる自宅学習のストレスについて話し合っていた。

そして今、エマさんとスウェルタナさんは脱出のために協力しようとしている。

「がんを発症するストレス、治療中に妊娠するストレス、人工授精を何度繰り返しても成功しないストレスは、とても大きいと思っていました」とエマさんは話した。

「でも比較になりません」

スウェルタナさんの一家は最終的に、隣国モルドヴァの首都キシナウの、小さなアパートに転がり込んだ。しかし部屋にベッドが足りないと聞いてエマさんは戦慄(せんりつ)した。

「私たちの大切な、妊娠中のスウェルタナは床で寝ているんです」

しかしスウェルタナさんは、そんなことを気にしていられないほど落ち込んでいた。夫をウクライナに残し、母親はドイツに逃げたからだ。母親から電話があった時、スウェルタナさんはただ泣き崩れた。

「戦争が家族を引き裂いてしまったことがとても悲しい。モルドヴァでは安全ですが、私の心はウクライナにあります」

Short presentational grey line

ウクライナでは毎年2000人以上の子供が代理出産で生まれる。その大半が外国人の両親の子供だ。

同国には約50のクリニックがあり、多くの仲介業者がいわゆる「親予定者」であるカップルに、代理母を紹介している。

代理出産に関する独自の法制度から、ウクライナは代理出産の人気国となっている。イギリスを含むヨーロッパの多くの国では、出生証明書には代理母が「母親」として登録される。代理母が結婚していれば、その夫が「父親」となる。しかしウクライナでは、親予定者の男性と女性が、それぞれ子供の父親と母親として登録される。そのため、子供のパスポート取得や、親予定者の国への「帰国」が非常に容易だという。

エマさんとスウェルタナさんが利用したのは小規模な仲介業者で、現在9件の代理出産を取り扱っている。しかしウクライナの業界最大手は現在、さまざまな妊娠段階の500件の代理出産を請け負っている。

そのうち、代理出産で生まれた41人の赤ちゃんがキーウに取り残されている。世界中の親予定者が、戦争によってわが子を引き取れないでいるためだ。ロシア軍が街中を爆撃している中、子供たちは地下の託児所で世話されているという。

赤ちゃんは毎日生まれている。しかし侵攻開始以降、危険を冒してキーウまで子どもを引き取りにいった親はたった9組、遠隔での引き取りを計画したのは5組だった。この仲介業者の法務顧問を務めるデニス・ハーマンさんは、「現状がこの先も変わらなければ、100人の子供を預かることになる」と話した。

この業者は、子供たちをキーウから安全なウクライナ西部へと移すタイミングを見計らっている。しかし紛争地帯を移動させるのもまたリスクを伴う。

爆撃の中の出産、その後は

取り残された子供をめぐる問題に直面しているのは、ハーマンさんだけではない。

ナスチャさんは、2人の息子と暮らす東部ハルキウに家を買うために貯金をしており、2度目の代理妊娠が終わろうとしていた。戦争が始まったとき、ナスチャは出産予定日まであと数週間しかなく、数日後には双子を出産するために入院した。

A Ukrainian territorial defence soldier examines a burnt-out Russian army vehicle in Kharkiv

画像提供, Getty Images

「防空壕内の病院にずっといました」とナスチャさんは話す。ハルキウは激しい爆撃を受けており、病院の地下は壁までぎっしりマットレスとベビーベッドが置かれていた。ナスチャさんは病院の物置にソファのクッションを敷き、ファイルや書類が高く積まれた棚の下で子供2人と寝泊まりした。

「でもお医者さんたちは素晴らしかった。本当に感謝しています」

ナスチャさんはその病院で、男の子の双子を産み、1週間後に退院した。ハルキウはなお攻撃を受けており、外国人の親予定者は、双子を引き取ることができない。

結局ナスチャさんは、仲介業者のスタッフ数人と2人の息子、そして生まれたばかりの双子と共に、ウクライナを横断することになった。双子の世話をしながら、両親の待つ国境まで届けた。これが1週間以上前のことで、それ以来、ナスチャさんは彼らから連絡をもらっていないという。

Short presentational grey line

エマさんが理想の家族を思う時、キャンベラの自宅からシドニーの両親の元へ車で向かう様子が目に浮かぶ。運転席から後ろを見ると、子供たちが笑っているのが見える。しかし現実には、子供は1人しかいなかった。「人生に穴が開いているような気持ちです」とエマさんは説明する。

息子を妊娠していた5年前、エマさんは子宮頸がんと診断された。妊娠中に生成されるホルモンに後押しされ、腫瘍は危険な状態まで大きくなった。非常に珍しい症例だったため、息子の出産時には、分娩(ぶんべん)室に大勢の医師が押しかけたという。

「息子は無事に生まれ、新生児集中治療室にも入りませんでした。とても幸運だったと思います」とエマさんは語る。しかし息子が生後5週間の時、エマさんは集中的に放射線治療と化学療法を受け、その結果、生殖器にダメージを負った。

「29歳で閉経しました。うれしかったです」と、エマさんは苦笑いを浮かべた。

がんの診断を受けてから5年、エマさんはずっと、どうすれば2人目の子どもを妊娠できるかを考えた。夫のアレックスさんと共に13回も体外受精に挑戦した。それはトラウマ的な体験となり、同時に高額だったが、成功した胚は1つもなかった。

「代理出産が第1候補になることはありません。それ以前の大きな喪失の結果なんです」

オーストラリアでは、無報酬で行われる利他的な代理出産しか認められていないため、エマさんとアレックスさんは、国内の代理母探しに苦労した。ウクライナという選択肢にはじめは躊躇(ちゅうちょ)したものの、良い体験だったという別のオーストラリア人の話を聞き、確信を持った。

最初の代理母では2回試みたものの、うまくいかず、エマさんはさらに心を痛めた。その後スウェルタナさんを紹介され、すぐに妊娠が分かった時、闘いはついに終わったように思えた。

「この闘いを終えられると思って本当にほっとしました。夫婦として本当に長い間、闘うか逃げるかという状況にあったので」

Emma Micallif, Alex and their son

画像提供, Emma Micallif

戦争が始まる前、一家はウクライナに旅行に行く計画を立てていた。エマさんは、スウェルタナさんと一緒に過ごすことで、生まれてくる子供に生みの母親の話をしてあげられると思っていた。だが出産まであと1カ月というところで、その夢はかなわなくなってしまった。

「妊娠だけの話ではない」

一方で、戦争を通じて親予定者と代理母のつながりが深くなる例もあるという。

クリスティーンさん(仮名)は侵攻が始まった日、具合が悪くなった。クリスティーンさんの代理母のタチアナさん(仮名)は、ウクライナ南東部ザポリッジャ(ザポロジエ)に住んでいた。その数日後には欧州最大の原子力発電所がロシア軍に攻撃され、ニュースになった場所だ。

タチアナさんはその日、6歳の息子と共にポーランドに入国した。クリスティーンさんは、タチアナさんの強さに感動したという。

タチアナさんにイギリスに来るつもりはないかと尋ねたとき、クリスティーンさんはタチアナさんがどう反応するか不安だったという。しかし、タチアナさんは喜んだ。「来週には行けます」と、タチアナさんは言った。タチアナさんは、英内務省が代理母のために用意した特別ビザ(査証)を受けた、たった4~5人のうちの1人だった。

「今年はすでに耐えられないほどつらい年なのに、ここ数日はさらにつらかったです」と、クリスティーンさんは話した。

昨年1月、クリスティーンさんと夫は娘を亡くした。未熟児で生まれ、生後5週間で亡くなった。分娩の最中、夫はクリスティーンさんか赤ちゃんか選ばないといけないかもしれないと告げられたという。クリスティーンさんは妊娠するべきではないと言われていたが、再び挑戦し、今度は流産した。

「私は我慢ができなくて、悲しんでいて、今すぐに子供が欲しかったから、海外に目を向けました」

タチアナさんの妊娠が分かったのは今年1月だった。「幸運すぎて怖いくらいでした」と、クリスティーンさんは語った。

3月20日、クリスティーンさんはポーランドへ行き、初めてタチアナさんと会った。2人は緊張していたものの、現地の医師に、最初の検診の経過が良いと告げられ、落ち着いたという。

そして今、2人はグーグル翻訳を片手に互いを知ろうとしている。「きのうは信仰や魂について話をしました。千里眼を信じるかとか、そういう話です。(代理出産は)妊娠だけの話ではないんです」と、クリスティーンさんは言う。

タチアナさんのビザの期限は3年。クリスティーンさんと夫は、子供が生まれた後も、タチアナさんが望むだけ一緒に暮らしたいと話している。

代理母の法的立場

イギリスでは代理出産は合法だ。だがイギリスの法律では、子供の出生証明書には代理母が母親として、クリスティーンさんの夫が父親として登録される。その後、法的な親権をタチアナさんからクリスティーンさんに移す手続きが必要になる。

子供がウクライナとイギリス以外の国で生まれた場合は、さらに複雑になる。スウェルタナさんとエマさん、アレックスさんは、このジレンマに陥っている。

スウェルタナさんのいるモルドヴァでは代理出産は認められていない。モルドヴァで子供が生まれれば、スウェルタナさんが法的な保護者となる。子供を養子に出すこともできるが、そうするとエマさんとアレックスさんが子供をオーストラリアに連れて帰るまで何年もかかることになるという。

そのため3人は、スウェルタナさんに国境付近の街で出産してもらうことを考えている。

その一方で、戒厳令により出国できない夫に会いたいと、切実に願っていると話した。

A mother waits to give birth in a hospital basement in Mykolaiv

画像提供, Getty Images

エマさんにとって、スウェルタナさんが紛争地帯に戻ることは到底受け入れられないことだ。「1年前に聞かれていたら、『私はやらない』と言ったでしょう。それは今やることではないから。起こっていいことではないから」

ただ、生まれた子供の出生証明書の発行まで数週間かかる可能性がある。そうなった場合、エマさんとアレックスさんはどうするべきか、考えられていない。

この戦争により、何千人もの代理母と親予定者たちが等しく、ひどい立場に追い込まれている。

フランス人のシリルさんは、侵攻が始まってから2週間、ハルキウにいる代理母との連絡が難しくなっていた。最終的には連絡が取れ、8月の出産までパリに移住できるよう手助けをした。しかし、この代理母は子供たちをウクライナに置いてきている。代理母の夫が、子供たちの出国を許さなかったからだ。

チェルカシ在住のナターシャさんは、アメリカ人カップルの子どもを代理妊娠し、現在10週目に入った。つわりに加え、警報や爆撃にもさいなまれている。「こんなの人生じゃない、悪夢です」と、ナターシャさんは語った。

戦争が始まる数日前、スペイン人カップルの娘を代理妊娠しているマリナさんを取材した。マリナさんは、スウェルタナさんの住む場所にほど近いウジンに住んでいたが、妊娠の最後の2カ月はキーウに引っ越すつもりだと話していた。

「キーウは(紛争が続く)ドンバスから離れているので、いつでも安全な場所のはずです」と、マリナさんは語った。

ロシア軍の侵攻後も、マリナさんは状況がどれだけ悪化するのか想像するのが難しいと言う。

「プーチンがまともな頭になって軍隊を撤退させてくれないかと、本当に願っています。ウクライナでもロシアでも、戦争に向かわせるために子供を産んだ母親はいないのですから」

Short presentational grey line

スウェルタナさんがモルドヴァに安全にたどり着いた後、エマさんはほろ苦い安堵(あんど)を覚えたという。

「マクドナルドでアイスクリームを食べ、満面の笑みを浮かべる末っ子の写真を送ってくれました。それを見て泣き崩れてしまいました」

エマさんにとってその写真は、家族と一緒に安全に暮らすという、すべての子供たちが与えられるべき光景そのものだった。

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( ウクライナ侵攻で複雑化する代理出産 代理母も親も難しい決断 - BBCニュース )
https://ift.tt/osp8eFi

No comments:

Post a Comment