家族がいてもいなくても
南湖公園に出掛けた。
この公園がある福島県白河市は、川を越えたお隣の町。私は1人、車で県境を越えていく。
これがちょっといい。
橋を渡るとき、少し胸がときめく。
思えば、私の住む北関東のはずれの那須は、昔は那須野が原と呼ばれ、妖怪の九尾(きゅうび)の狐(きつね)が、都から逃げ込んだと言い伝えられる荒涼とした原野だった。
それはそれで面白いけれど、一方の福島の白河は、東北の玄関口。
古代関所のあった土地で、歴史も奥行きが深く、波瀾万丈。
川を渡ると、違う文化の薫りが漂ってくる。
実は、私、先日この公園のカフェで、椎名亮介氏の「南湖」の写真集と遭遇してしまった。
それを見て、あらゆる季節にその佇まいを変えていく湖の圧倒的美しさに魅了されてしまった。
以来、今年は四季を通じて、この南湖公園に通ってこようと思い定めた。
この湖は、200年以上も前に名君と名高かった白河藩主、松平定信が築造した庭園だ。
湖は庭園内に造られた人造湖。にもかかわらず、湖畔をひとめぐりするだけで2キロもある。
周りには、松や楓や吉野桜が植えられ、湖中には風情ある葦野(あしの)があり、いろいろな鳥たちも憩う。
この広大な庭を散策していると、当時の造園技術のすごさに感心する。那須連峰などを借景に活かすセンス、自然美とはまた異なる芸術性に魅了されるのだ。
そんなわけで、あえて風花の舞う寒い中、冬枯れの湖の佇まいを見に出掛けたのだった。
湖は風にさざ波が立ち、ザラメ状に凍った湖水の水面が、薄日に反射してきらきらと繊細に輝いていた。
見事に根を張った湖畔の松の木々が恋するように湖面に向かって美しい枝を差し伸べている。
資料によれば、当時の大名たちの庭なるものは、塀で囲まれ、常に周りから閉ざされていた。
そんな中で、定信は「士民共楽」との理念から、身分を超えて誰もが隔てなく楽しめる場所として、この庭を築造。いっさい塀も造らずにこの広く美しい庭を人々に供していた。
それが、南湖公園が日本最古の公園といわれる所以らしい。
改めて、「公園」の意味を再確認した私は、200年前の白河のお殿さまに大いなる親近感を覚えてしまう。
次は、楓が愛らしく芽吹く頃、春を探しに訪れようと思う。(ノンフィクション作家 久田恵)
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