大相撲で史上最多45度の優勝を誇り、9月30日付で引退した間垣親方の元横綱白鵬(36)=本名・白鵬翔、モンゴル出身、宮城野部屋=が1日、国技館で引退会見を行った。会見での主な一問一答は次の通り。 本日は足もとの悪い中お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。私、白鵬改め(間垣)、引退させていただくことになりました。今後、年寄間垣を襲名し、後進の指導をさせていただきます。20年、現役中は皆さまに大変お世話になりました。そして活躍の場を与えていただきました日本相撲協会に感謝しております。本日は誠にありがとうございます。 --今の思いは 「大変緊張しています。そして、ほっとした気持ちでいっぱいです」 --引退をいつ決断したか 「引退を決めたのは名古屋場所中の10日目で決めました」 --どんな思いだったか 「去年の8月に手術し、コロナ感染になり、(今年)3月に再び右ひざを手術し、進退をかける最後の場所も、ひざも言うことを聞かなくなり…。この場所は10勝、2桁勝利が私の目標でありました。1番1番、決して簡単な取組はなかったと思います。その10勝を達成したとき、宿舎に戻り、親方はじめ部屋の皆さん、裏方に今場所で引退させていただきますということを伝えました」 --迷いはなかったか 「右ひざのことを思えば、迷いはなかったと思います」 --奥さまや子供たちに伝えたときはどうだったか 「その日には連絡をしました。奥さんは残念がっていました。子供たちは(もう少し)頑張ってほしいという声がありました」 --モンゴルへの連絡は 「母に電話したとき、よく頑張ったなと、体が大事ですからということでした」 --21年間、振り返ってどんな思いか 「話せば長くなると思いますが、本当に早いような感じがします。本当に相撲が大好きだなと、幸せ者だなと思います」 --入門したころ、日本に来て、相撲の世界に入れるかどうかわからなかった頃のことを思い出してほしい 「今があるのは宮城野親方、師匠が私に声を掛けてこられたおかげで、今があると思うので、この場を借りて、師匠に感謝しております」 --一日違えば今の白鵬関の姿はなかったと思う (しばらく沈黙。「ふーっ」と息をつく)「感謝の気持ちと、今後師匠のもとで、一から親方として勉強して頑張っていきたいなと思います」 --どういう気持ちで横綱という地位に近づいていったのか 「今思い返せば、本当に親方、師匠が優しくて、力士思いで弟子思いで、本当に感謝していますし、親方が上り座敷にいるだけで、親方にほめてもらいたい一心で稽古に励んでおりました。その思いが関取なり、横綱、大関に昇進していくことにつながったのかなと思います」 --常に大きな目標を立てながら戦ってきた 「大相撲に入るときは横綱になりたいという夢はありましたけど、45回優勝したいという目標は立ててはいなかったと思います。一つ一つの積み重ねがこの結果につながったのかなと思います」 --数々の大記録をどう感じているか 「やはり師匠の稽古、そして基本の大切さを守ってきたことが勝利につながったのかなと思います」 --14年間、綱を張り続け、横綱の重みについてどう振り返るか 「横綱に昇進したころは勢いもありましたし、うれしいという気持ちがありましたけど、右も左もわからない時に大鵬親方と出会ったこと、またこの場を借りて感謝しています」 「その大鵬親方に横綱というもの、宿命の中で頑張らないといけない、負けたら引退という言葉をかけられたときに、32回優勝した昭和の大横綱の言葉、重かったです。それから横綱として3年、5年、8年、10年頑張りたいという気持ちになりました」 --「負けたら引退」という大鵬の言葉がその後浮かぶことは 「ありました。特にこの6場所休場というのは、大変重いものがありました」 --師匠に。今、どんな思いか 宮城野親方「名古屋場所では稽古が終わった後、足を冷やしたり、そういうのがずっと続いていたんですよね。寝ている以外はほとんど機械をつけて足を冷やしたり、そういう姿は今回が初めてだったものですから、これ以上相撲を取らせることもできないと思いました」 「3、4年くらい前からけがをして、前に出る相撲がなかなか取れなくなってきて、どうすればいいか考えながらやっていたんですが、本人は『頑張ってやります』と言って取っていたんですよ。でも治療がだんだん増えてきて、今回は本当に、この状態では無理だなとはっきりわかるような状態まで我慢していたような気がします」 --そういう弟子の姿を見るのは 宮城野親方「辛かったです。寝る前もトレーナーとかいろんな方が来て2人がかりでマッサージしたりして、それで寝ていたような状態でしたから。それを見ていると、そこまで体が悪いんだと、びっくりしました」 --平成12年暮れに入門が決まり、初めて部屋に迎え入れた 宮城野親方「そのときは175センチ、62キロの小さい体で、この子はどこまで強くなるかなと心配したくらいでした。その後、6カ月間で75キロまで太らないと相撲界を去らないといけないと。稽古させないで、食べて寝かせて、それで最後どうなるかわからないけど努力させて受かったらいいなという気持ちがありまして、それで75キロまで太って受かることができたんですよね」 「僕が今まで記憶に残っているのは、稽古を『やるな』と言ったことはあるが、自分から『やれ』と言ったことは一回もないんですよ。逆に止める側だったんですよね、あまりにもやり過ぎるから『もういいからやめなさい』ということは何回もありました」 --どんな弟子だったか 宮城野親方「準備運動とかそういうものに対しては一番だと僕は思います。今まで力士30何人入れてやってきましたけど、こういう若い衆は初めて見ました。稽古に対しては本当に真面目な子で、努力もしましたし、やはり自分が偉くなろうと思ったときには、番付が上だろうが関係なく、しっかり稽古をやってきたと思います」 「特に横綱になってすぐの時はよく大関稀勢の里関、日馬富士関をつかまえて稽古をやっている姿を見ました。2人で1時間ぐらい、稽古をぶっ通しで日馬富士関とやっていたことも覚えています。それだけよく稽古をやったなあという気持ちはあります」
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