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Monday, September 27, 2021

将来はプロデュースの仕事に挑戦を HKT48田中美久インタビュー㊦ - 西日本新聞

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 HKT48エースの一角、田中美久(20)の過去と現在、そして未来を見つめるロングインタビュー。後編では、激動の2018年以降を振り返る。目指してきた背中、常に隣にいたはずの盟友が不在となった2年半。グループを背負うことになった火の国生まれのアイドルにとって、それはどんな期間だったのか。立場や心情の変化、センターを受け継いだあの曲に込めた「意志」-。いつか訪れる「卒業」や将来についても語ってもらった。(古川泰裕)※取材は9月10日

 -2018年から19年にかけて、宮脇咲良さん、矢吹奈子さん、指原莉乃さん、兒玉遥さんというHKTを代表してきたメンバーが卒業、あるいは活動を一時離れることになった。

 「びっくりですよ、本当に。いやあ、あの時は本当に何が何だか分からない状況でしたね。HKTのファンの方が、それで変わっていってしまうんじゃないかっていうのが一番不安でした」

 -今まで前に、隣に立っていた人が一気にいなくなった。

 「もう、すっごく不安で。何をどうすればいいんだろうっていう感じでした。私はこれからだと思っていたし、奈子と一緒にHKTを支えていくメンバーになるんだと思っていたので…。いろいろ変わってしまった状況に、不安と『どうすればいいの』っていう気持ちでいっぱい。分からなくなりましたね。今後のプランというのを立てていたので、それがなくなってしまって、HKTをどうやっていけばいいんだろうっていう不安でした」

 -当時から、やはり前に立つのは、みくりん(田中美久)や松岡はなさんになるという声もあったが。

 「その時は、前に立たなきゃいけないという気持ちも出てこないくらい、どうしようって感じで。ただ、迷っていた時に、さしこちゃんとかいろんな先輩から『大丈夫?』とか『頑張ってね』って声をいただいて。『あ、こういう状況だからこそ自分が頑張っていかなきゃいけないんだ』って思って。でもその時は、AKB48さんの選抜にも入れていただいていたので、HKTの先頭、中心になろうというよりは、咲ちゃん(宮脇)みたいに、AKBさんで経験したことをHKTに持って帰れる人になろうと思っていました」

 -一気に状況が変わった。

 「でも(田島)芽瑠ちゃんとか、いろんな周りの先輩方やメンバーから『背負いすぎないでね』っていう言葉もいただいていたので、みんなで分け合いながらやってこられたので、折れずに頑張っていけたと思います」

 -指原さんの卒業はどう受け止めた?

 「本当に嫌でした。『選抜の枠が一つ空く』とか『前にいた先輩の枠が空くからそれをつかみ取る勢いで』みたいに、卒業していく先輩方は言ってくださるんですけど、さしこちゃんの場合はそれどころじゃなくて。HKTに注目を集めてくれる存在の1人だったので、HKTの今後はどうなるんだろうって不安でした。私も、さしこちゃんを頼りにしていたところが大きかったので『うそでしょ?』『卒業するの?』っていう感じでした(笑)」

 -「あんたも行くんかい」と(笑)。

 「そうそう(笑)。『いや、さしこちゃん行くんかい』って。置いていかないでっていう気持ちでした」

2019年、博多座のコンサートで涙ぐむ田中美久

 -2019年1月、博多座にて3期以降のメンバーだけでコンサート。これまでの「田中美久」とは表情も変わっていた。

 「あの時は割と、変わったねって言われることが多かった気がします。自分の中では、そんな感じはなかったんですけど」

 -パフォーマンスや表情から伝わるものがあった。

 「なんだろう…。後輩メンバーにとって、言葉を聞いてついていくよりも『見せた』方が分かりやすいんじゃないかと思って。自分も先輩の背中を見て頑張ってきたので、そういう存在になりたいって思いながらやっていました」

 -「不安」は博多座の時点ではどうなっていた?

 「自分の中では、ちょっと気を抜くと折れちゃいそうな状況だったんですけど(笑)。でも『今、頑張らなきゃいけない』っていう気持ちでいっぱいでした。今、成長していく期間。注目していただいているから、頑張らないと駄目な期間。折れちゃ駄目な期間でした」

 -気を張って頑張っていた。

 「ずっと気を張っていましたね」

 -タレントとして田中美久の見方がまた変わったような気がした。

 「ファンの方も、それを見て支えてくださっていたので。今までずっと誰かがいてくれて、その中での田中美久って感じだったので、1人で何かを頑張るっていうことがあんまりなかった。あの期間は、全てが自分にとって新鮮な経験でした」

「意志」を披露するときは一番頑張りたい

 -12枚目シングル「意志」のセンターを、松岡はなさんとともに指原さんから受け継いだ。九州ツアーでのパフォーマンスは強い覚悟を感じた。

 「『意志』は特別でしたね。やっぱり『変わらなきゃ』っていうシングルだったので。さしこちゃんが卒業した後に披露する時も、その時の自分と歌詞がすごくリンクしていたというか…。その時の感情が『意志』(の歌詞)だったから。パフォーマンスする時は、すごく気持ちを込めやすかったです」

 -「かわいい」「いたずらっぽい」という、それまでの田中美久の印象とはまた違っていた。引き締まった表情でのパフォーマンスは見応えがあった。

 「確かに新鮮かもしれないです。HKT自体、明るい曲が多かったし、自分も明るい曲か大人っぽい曲、どっちかを担当することが多かったので。『意志』はそのどちらでもない感じ。ファンの方は『ぐっと来た』って言ってくださいました」

 -覚悟を感じるパフォーマンスは、ツアーを通してすごみを増した。

 「『意志』を披露するときは、メンバーの中でも一番頑張りたいと、先頭を切るメンバーになりたかった。誰よりも目に付くメンバーになりたいと思いながら披露していたので、曲を歌いながらどんどん成長していっている感じがしました」

 -あの曲でグッと大人になった気がする。

 「確かに。あの時、17歳とかだったんですよ。17歳って特別だと思っていたから、あれから20歳になって…って考えたら、やっぱりそこから意識もHKTとしての立ち位置もガラッと変わった感じかなと思います」

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