「文藝春秋」10月号の特選記事を公開します。文/渡邉庸三(本誌デスク) ◆ ◆ ◆ “ジャニーズの女帝”こと、メリー喜多川氏が8月14日、93年の人生に幕を降ろした。本名「メリー・泰子・喜多川・藤島」。最終的な肩書きはジャニーズ事務所の「名誉会長」だった。実弟のジャニー喜多川元社長(享年87)が他界して2年。これで同社は一代で会社を「日本最大の芸能事務所」に成長させた創業者姉弟を失った。 「瞬間湯沸かし器型の感情の激しい人だが、実に女である」 メリー氏の夫であった作家の藤島泰輔氏(故人)は妻を評してこう語ったというが、言い得て妙というべきだろう。彼女はまさに“怒れる女帝”だった。2015年当時は週刊文春のデスクだった筆者が、氏の謦咳に接したのは三度きりだが、対面時間は合計約10時間に及ぶ。その間メリー氏は誇張でなくずっと怒り続けていた。記者側の発言は計10分にも満たなかったのではないか。 なぜ我々はメリー氏の逆鱗に触れたのか。それは我々が取材の中で、アイドル帝国・ジャニーズのタブーに切り込んだからだ。 まずは、私が身を以て体験したメリー喜多川という傑物について、しっかり記録しておきたい。今となってはますます貴重となった、6年半前に行われたメリー氏への「5時間インタビュー」を振り返る。 15年1月13日正午、私は2名の記者とともに乃木坂の旧ジャニーズ本社を訪れた。19年1月に嵐の活動休止会見が行われた現社屋は地上6階地下3階の要塞のような巨大ビルだが、当時の社屋は3階建てで「J&A(Johnny & Associates)」のロゴが入った青いキャノピーが設えられたエントランスや、白壁から突き出した半円の出窓が可憐な、こぢんまりとした建物だった。 内線表に〈メリー様〉 「君たち、メリーさんに会えるなんてラッキーだよぉ」 受付を済ませた我々3人が2階の応接室で待機していると、先方の顧問弁護士である矢田次男氏が入ってきて、やけに明るい調子でこちらに声を掛ける。“芸能界の守護神”として知られる有名弁護士だ。 応接室には1台の電話機と内線電話表があった。筆者はそれを見て、さっそく驚かされた。 〈メリー様〉 内線表の一番上にはこう書かれていたのだ。これから相まみえるのはこの絶対的序列のトップに君臨する“女帝”なのだと改めて認識した。 われわれ取材班がメリー氏に聞きたかったこととは一体何か。それは「事務所の後継者問題について、メリー氏はどう考えているのか」。本質的にこの1問に尽きる。 当時、ジャニーズ事務所の中では「ジュリー派」と「飯島派」という二大派閥が角逐し、その派閥トップのどちらかがジャニー社長の後継者に選ばれるのだろうという見立てがマスコミ業界の常識だった。その二大派閥の領袖は、メリー氏の長女である藤島ジュリー景子氏と、実力派マネジャーの飯島三智氏であった。ジュリー氏は嵐やTOKIO、関ジャニ∞といった主流派を担当。一方の飯島氏はSMAP。当初は“ジャニーズの落ちこぼれ”と言われた彼らの名声を高からしめ、国民的スターに育てた赫々たる功績があった。
本文:9,406文字
写真:3枚
渡邉 庸三/文藝春秋 2021年10月号
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