
■大地を味わうフライドポテト 学生時代、ファミリーレストランの厨房でアルバイトをしていたのだが、そこでは冷凍のフライドポテトを始終フライヤーに入れて揚げていた。料理の付け合わせに使うから大量に出るのだ。 そのポテトは調理スタッフからも愛されていた。みんな多めに揚げ、つまみ食いしている。それを見て少し不思議に感じていた。そんなに旨いかな?......味なくない? そのファミレスのポテトに限ったことではなく、フライドポテト自体、僕はそんなに好きではなかった。ハンバーガーチェーンでもポテトはいらないから、いつも単品で頼んでいたのだ。 そんな僕が、初めてフライドポテトを旨い、と思ったのが中米のグアテマラだった。 都市部以外は時間の止まったような国だった。 中央高原の村に行くと、女性の多くが民族衣装を着ている。幾何学模様、花、虫、動物などの細かい柄が、細密画のようにびっしりと織りこまれた衣装で、息を呑むほどに美しい。それを着た女性たちが市場でごった返し、うごめいている様は圧巻で、体に紋様のある大蛇が地面を這っているような凄みと艶めかしかさがあった。 夢見心地で市場を通り抜け、村の外れの湖に向かって歩いていると、青い民族衣装を着た5歳ぐらいの女の子がやってきた。大きな黒い瞳で僕に「オラ(こんにちは)」と声をかけてくる。こっちも「オラ」と返す。彼女は「ウン・ケツァル(1ケツァル)」と言った。 ケツァルはグアテマラの通貨で、1ケツァル約13円だ。お金ちょうだい、か。愛くるしい笑顔とのギャップにちょっと戸惑ってしまう。 しかし、少女の顔にはいやらしさも悲壮感もない。ニコニコ笑いながら、「ウン・ケツァル、ウン・ケツァル」と節をつけ、歌うように口ずさんでいる。そこに1匹のひよこが現れ、僕と少女の前をテケテケテケと横切っていった。「ウン・ケツァル」を繰り返し口ずさんでいた少女はひよこを指差し、「ウン・ポヨ(ひよこ1匹)」と歌詞を入れ替えた。プッと吹き出してしまう。少女もくりっとした笑くぼを浮かべ、ころころ笑っている。 ふいに、景色が遠ざかり、ひなびた村と青い山々が一度に目に入った。そのパノラマを背景に、民族衣装を着た笑顔の少女が、点景のようにくっきりと浮かび上がっている。思わず見とれてしまった。なんだろう、このまぶしさは......。 山村にひっそり住む先住民が、昔ながらの手織りの民族衣装を着続けている。そのような失われつつある世界が、燃え尽きる前のろうそくのようにひときわ明るく輝いている、ということか......ぼんやりとそんなことを思った。 少女としばらくおしゃべりしたあと、じゃあね、と手を振って別れた。彼女も笑って「アディオス(さよなら)」と手を振った。 湖の観光を終え、市場に戻るとフライドポテトの屋台が出ていた。小さな子供がふたりで店番をしている。 グアテマラでよく見かける屋台スナックだが、これまでは食べたことがなかった。自分からはまず頼まない料理だ。でもなぜかこのときは惹かれ、ひと袋注文した。ふたりは兄弟らしい。 代金と引き換えに手渡されたものは、冷めてしなっとしたフライドポテトだった。揚げてから時間がたっているようだ。紙の包みは油を吸ってぬるぬるしている。 やれやれ、と脱力感を覚えながら、粗くカットされたポテトをひとつ口に放りこんだ。 「.........?」 じゃがいもってこんなに甘かったの? 僕の知る冷凍品のフライドポテトとはまったく別物だった。油でべとついて、ふにゃふにゃで、洗練された感じはまったくない。だが、噛むごとにじゃがいもの皮の香りが鼻腔を抜け、粘性の強い甘みが口内に広がった。大地の栄養をたっぷり吸った味だ。 「リコ(おいしい)、リコ!」 そう言うと、弟が照れくさそうに笑った。兄は店のうしろのほうでしゃがみ、何か作業している。首をのばしてそっちを覗くと、彼は背中を丸め、バケツに張った水で泥だらけのじゃがいもを洗っていたのだった。 文:石田ゆうすけ 写真:牧田健太郎
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