Pages

Friday, January 1, 2021

スランプ中に訪れたアテネで感じた不思議なパワー 水泳・萩野公介 <スポーツの力 信じて前へ アスリートの思い> - 東京新聞

kukuset.blogspot.com
取材に応じる萩野公介=IMPRINT提供

取材に応じる萩野公介=IMPRINT提供

 東京五輪・パラリンピックを迎える新しい年が明けた。コロナ禍の収束を見通せず、社会が日常を取り戻せない中、「五輪どころではない」という声も少なからずある。こんな時に、東京でスポーツの祭典を開く意義とは。選手はどういう心構えで世界最高峰の闘いに挑むのか。今、スポーツは社会にどう貢献できるのか。東京五輪・パラを目指す選手に、自らが信じる「スポーツの力」を聞く。

 初回は、2016年リオデジャネイロ五輪の競泳男子400メートル個人メドレー金メダリスト、萩野公介(ブリヂストン)。長いスランプの間、競技への思いを見つめ直した。トップアスリートとして、スポーツを通して示そうとする姿とは。胸の内を率直に語った。(磯部旭弘)

◆「僕はスポーツの力を信じている人間」

 〈20年6月。オンライン取材に応じた萩野は「僕はスポーツの力を信じている人間」と話していた。ではその「スポーツの力」とは何か。世界と渡り合ってきたトップ選手が改めて語る〉

 すごく分かりやすく言うと、09年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝でイチローさんが打ったヒットとかは、スポーツの力だなって。応援があって、イチローさんが打って勝って、それで日本人みんなが元気になって。スポーツ特有の力というか。応援のパワーが詰まって選手のパフォーマンスが上がる。そこから感動が生まれ、みんなが笑顔になる。

 〈自らの泳ぎでそれを実感したのは、金メダルを獲得した16年のリオ五輪より4年前、高校3年で出場して銅メダルだったロンドン五輪という〉

 先輩やチームの力とか、皆さんの応援の力で予選を1番で通過でき、決勝でさらにタイムを上げて。メダルを取れたことで、スポーツの力を日本に少し届けられたと思ったりもしました。

 ただ、それは後から分かるもので。タッチをして、電光掲示板で結果を見て、「やった! これでみんなに力を与えられる」とはあまり思わないですよね。まずは自分がすごくうれしい。そして、それを見た方々から「良いレースだった」「勇気をくれてありがとう」と言ってもらえる。そうして僕も「すごく良かったな、これがスポーツの力だな」って思います。

◆アテネで感じたパワー

 〈日本のエースとして競泳界を引っ張ってきたが、リオ五輪以降は苦難の道。19年には不振から一時休養を選んだ。その間に、第1回近代五輪が行われたアテネの競技場にも足を運んだ〉

 やはり僕自身、五輪をすごく大事にしていて。(そのころは)スポーツがあまり好きでなくなってしまったけど、五輪から得たかけがえのないものが僕の中にあって。(休養している)今だからこそ思うこともあるだろうなと。現役中のそういう状態で行きたかった。

 言葉足らずですが、(アテネの競技場には)不思議なパワーがありました。じわじわって。すごいパワーがあるなって。何も感じなかったら、自分にはもう、やる気がないということ。うわーって感じて、じわじわって感じがあって、「また五輪のマークを見たい」と素直に思った。

◆身近な感動が笑顔を生む

 〈先行きが見通しづらい中で迎える五輪イヤー。プロのスイマーとして、スポーツの役割、その力を示すことに思いを巡らす。そして、こんな状況だからこそ、スポーツが身近にあることを願う。五輪だけでなく、身近にある「スポーツの力」をみんなに知ってもらいたい〉

 みなさんが思っている以上に、スポーツは身近にあったんじゃないかと思う。自宅から出ない生活が続いて、学校もなくなって、僕たちであればスイミングスクールとか部活動がなくなったりとか。毎日のテレビで野球がやっていないとか、どの競技の大会が延期になったとか。

 そういうことを経て、スポーツは意外とすごく身近にあったんだなと。僕自身すごくそれを感じて、(スポーツがなくなって)ストレスがたまったりもあった。(コロナ禍は)そういったことを知るきっかけになったと思う。

 例えば五輪とか、サッカーやラグビーのワールドカップ(W杯)とかは、見ている人が多いほどアスリートの姿が広まって、「あの人すごい」となる。そういうスポーツの力もある。(普通の市民スポーツでも)みなさんの子供やきょうだい、親友にいい結果が出て、「○○君がいいレースをした」とかでうれしいなって思うのも、スポーツの力。五輪だけでなく、もっとスポーツが身近になればなるほど、周りの人が受け取る感動や勇気などの具合も増える。そういったものを大事にしていけたら、さらにスポーツが不可欠なもの、身近なものになる。そうなればいいなと思います。

 はぎの・こうすけ 栃木・作新学院高3年だった2012年ロンドン五輪の男子400メートル個人メドレーで銅メダル。16年リオデジャネイロ五輪は同種目の金メダルを含めメダル3個を獲得。栃木県小山市出身。26歳。

◆苦しんだ4年間

 萩野は17年春の大学卒業を機にプロのスイマーとして活動。一度プールから離れるなど順風満帆とはいかない中でも競技と向き合い、自信を取り戻しつつある。

 15年の海外合宿で骨折した右肘の古傷をリオ五輪後に手術。故障前と同じ感覚を取り戻そうと時間を費やした。練習を積んでも結果につながらず、極度の不振に陥った。心と体とレースでの結果が一致せず、「つらいという思いが先に出てしまった」。東京五輪まで1年余りとなった19年春先に、一時休養を決断。同年夏に実戦復帰したが、タイムは伸び悩んだ。

 コロナ禍による東京五輪の延期を受け、「何をプラスにできて、先につなげられるか」と気持ちを新たにした。練習では自身の泳ぎをもう一度見つめ直した。20年秋には短水路で争う国際リーグ(ISL)に出場。12月の日本選手権は個人メドレーで2冠。「いいイメージで(五輪の)シーズンを迎えられる」と手応えをにじませる。

◆結果も過程も大事

 一時休養の決断も「水泳にとってあまり良くないことかもしれないが、“萩野公介”という人間として大事な時期だった」と言い切る。スポーツそのものへの価値観も、今は変わった。「それまで自分の大部分を占めていたのは、『結果、結果、結果』『タイム、タイム、タイム』。もちろん、今もそういった部分は大事で突き詰めていかないといけない。それと同じぐらい、人間的な成長や過程を大切にするようにした」

「応援があって、選手が勝って、みんなが笑顔になるのがスポーツの力」と語る萩野公介=昨年12月、東京アクアティクスセンターで

「応援があって、選手が勝って、みんなが笑顔になるのがスポーツの力」と語る萩野公介=昨年12月、東京アクアティクスセンターで

 コロナ禍の収束が見えない中、五輪開催へ否定的な声があることは承知している。20年6月、萩野は話していた。「人の命がなによりも大切なので、五輪の優先順位が下がってしまうのはしょうがない。だけど、五輪だからこそできるものがあると信じている。全力で泳ぐ姿を見せることで何かが変わったり勇気づけたり、それを見るのを楽しみに仕事を頑張ったという人もいるでしょうし。僕はそういうものを信じて頑張っていきたい」。信念は揺るがない。

 アスリートとして、真価が問われる新しい年を迎える。「自分自身の最大の泳ぎをしたい。最大の準備をして、やれることをやった状態でスタート台の前に立ちたい」と力を込める。

   ◇

 東京五輪・パラリンピックは、どのような形で開かれるのでしょうか。感染症に苦しむ世界に、スポーツはどんな夢や希望、喜びや勇気を与えてくれるのでしょうか。そして今年は東日本大震災からちょうど10年。あの時は、アスリートが「スポーツの底力」を示し、困難に直面する人たちを元気づけました。日本にとって大きな節目となる2021年。東京新聞は、選手やスポーツの世界に生きる人たちとともに、年間を通して「スポーツの力」について考えます。

関連キーワード

Let's block ads! (Why?)


からの記事と詳細 ( スランプ中に訪れたアテネで感じた不思議なパワー 水泳・萩野公介 <スポーツの力 信じて前へ アスリートの思い> - 東京新聞 )
https://ift.tt/3547jz1

No comments:

Post a Comment