政府も組織委員会も、「簡素化」と「コロナ対策の徹底」を切り札に来夏の東京五輪実施を推し進める姿勢を明確にした。コロナ禍の中、本当にやれるのか? 強行すべきなのか? 戸惑いや反対の声も根強くある。そんな中、作家・スポーツライターの小林信也氏が、日本のスポーツ界で中心的役割を果たす人物たち、オリンピックに深く関わる要人、指導者、選手たちに直接会い、オリンピック・ムーブメントの現場をレポートする。
第1回は、Jリーグ初代チェアマンで一般社団法人日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏を訪ねた。川淵氏は東京五輪2020では「選手村の村長」を担っている。
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小林 来夏に延期された東京オリンピック、本当にできるのかどうか、心配の声がまだあります。この機会に「オリンピックの意義」「スポーツが社会にどう貢献できるか」をみんなで話し合うべきではないか。日本社会はこれまでスポーツの意義を曖昧にしか語って来なかった。本気でオリンピックを開催するなら、みんなが納得の上でやるべきじゃないかと思って、まずは川淵さんに会いに来ました。
■五輪開催は理屈抜き、ごく自然な人間の欲求だ
川淵 オリンピックを日本で開催するについて、「意義は?」といろんなところで訊かれますけど、僕に言わせたら、なんで難しいことを言わなきゃいけないの? 「世界一流のオーケストラを日本で聴きたい!」と思うのはおかしいの? 世界一流のものを見たいと思うのは、これ人間の欲求でしょう。そういうのは理屈抜きじゃないの。それを見た上で、どう感動し、自分の人生にどう生かしていくのか、生き方が変わっていくのか。そういう日本国内では普段得られない刺激を得た上で人間が変わっていく、社会が変わっていく。
そういう風に考えればね、世界一流のトップアスリートが来て、世界で最高峰の戦いを日本でしてもらえる。それを見る機会はなかなかないし、周辺のニュースがどんどん入ってくる。いちばん刺激を受けるのは、大人もだけど、やはり子どもたち。それを見て、こういう選手になりたいな、このスポーツをやってみたいなと、スポーツをやり始めるきっかけになる。その子が一流選手に育つかもしれないけど、それよりも「動機づけ」が大事で、それが草の根のスポーツの発展につながっていけばいい。
小林 なるほど、「理屈抜き」ですね。東京五輪招致に向けて制定した『スポーツ基本法』には、スポーツはいいものだから推進しよう、といきなり書いてあります。スポーツには運用を間違うと心身を蝕む危険な側面がある。これを明文化しなかった弊害があると思っているのですが。
川淵 スポーツの持つ良さっていうのはいろいろあるけど、最後は、スポーツマンシップ。最終的にはスポーツマンシップに対する考え方が日本で広がる機会になればいいなと、私は心からそう願っているんです。
小林 スポーツマンシップ、ですか。
川淵 指導者のパワハラなどが問題になっているけど、それは明らかにスポーツマンシップという言葉の本質を知らないからです。スポーツマンシップの本質を知っていたら、子どもに暴言を吐いたり、暴力沙汰をしたり、強制するなんてありえない。
僕がそれを身近に感じたのは、現役時代。1960年に僕らサッカー日本代表は約50日間にわたるヨーロッパ遠征を行い、そのときにドイツで初めてデッドマール・クラマー・コーチの指導を受けたんです。すごくよく覚えているんだけど、最初のミーティングでクラマーさんが、「指導者の目標はこの三つだ」、こういう風に選手を育てていくと言って黒板に三つの文字を書いた。その1番目が「フェアプレー」だった。僕はビックリした。そのころ僕らはフェアプレーなんてあまり言われたことはなかった。もっともそのころの日本人は汚いプレーはしなかったからね。それで2番目は「良いゲームをすること」、3番目が「良いプレーをして勝つこと」だった。
フェアプレーがいちばんなの! 勝つのが最後なの? それが僕のいちばん初めに受けたショックなんです。クラマーさんに会った初めてのミーティングがそれだったからね。
小林 勝利でも、技術の向上でもなく、フェアプレーがいちばん。
川淵 Jリーグをスタートする前の日本サッカーリーグ(JSL)の頃、ブラジルの選手がリーグに加入して、審判に文句を言ったり、汚いこといっぱいやったりしてたのね。僕はJSLの総務主事時代、しょっちゅう注意したんだけど、なかなかうまく伝わらなかった。そのままだとサッカーそのものがダメになる。大人たちから「あんな不愉快なスポーツ」と言われるんじゃないか。フェアプレーについて徹底的に理解しないと多くの人が不信感を持つし、サッカーの良さを見てもらえない。それでJリーグがスタートする直前にサッカージャーナリストの大住良之さんにフェアプレーについての小冊子を書いてもらって、僕がチェックして、全選手に配った。フェアプレーにはそれほどの思いがある。常識としては知っているけど、誰もがあまり実践できていない。選手や指導者にどうアピールするか、なかなか難しくてね。
小林 確かに、私たちの世代は幼いころから自然にスポーツマンシップを心の中に持っていた、育てていたように思います。
■東京五輪開催で日本社会にスポーツマンシップを!
川淵 ある時、テレビの番組で見たんだけど、イングランドの子どもたちがサッカーやっているところに誰だったか日本のサッカー関係者が行ってね、子どもたちに質問した。
「フェアプレーってなんだか知ってる?」、そしたらみんなが口々に、「審判の言うことを聞くこと」「ルールを守ること」「仕返ししないこと」って答えたから僕はビックリしちゃって。ちっちゃな子どもでも、それをすかさず言えるってことは、四六時中指導者に言われているからでしょう。イングランドの指導者は、スポーツマンシップを子どもにしっかりと教えているんだな、さすがにスポーツの国だなと感心した。
小林 イギリスやドイツでは、クラマーさんの考えが共有された指導の基本なんですね。
川淵 去年ラグビーW杯があったでしょう。イングランドが決勝で負けて、選手がどういう態度でメダルを受け取るのか、僕はすごく興味を持って見ていたわけ。僕もJリーグやサッカー協会でしょっちゅう選手にメダルを渡していたでしょ。番狂わせを起こして決勝戦にまで進出したけど負けてしまった弱小チームの選手なんかはキチっとしているんだけど、勝つ気で決勝を戦って負けてしまったというチームの中には、ふてくされた態度ですぐメダルを首から外す選手もいる。ヴェルディでも柱谷(哲二)あたりはきちんとしていた。まあ、人にもよるんだけど。すぐ首から外す選手がいると頭に来てね。
それでね、スポーツマンシップの国のラグビー・イングランド代表が準優勝したあと、どんな態度を見せるのか、現場でずっと見ていた。選手の中にはすぐ外すのもいた。でもヘッドコーチのエディ・ジョーンズだけは指導者なんだから、メダルをもらって、胸にちゃんとつけたまま所定の位置に戻るだろうと思っていた。すると、表彰台を降りて戻る途中、スタンドの観客からも見える位置で、しかもテレビカメラが追いかけているのに外してズボンのポケットに入れた。僕は“怒り心頭”だったね、すごく不愉快になった。何がイングランドのスポーツマンシップだ、指導者がこれかよ、相手に対するリスペクトがまったくないじゃないかと……。あんなにがっかりしたことはない。
小林 あの態度にはイングランド国内でも批判が多かったようです。
川淵 で、その後ね。1月に全国高校サッカー選手権があった。これが話の続きなんだけどね。ずっと見ていて、今年は青森山田がきっと優勝するなと。圧倒的に強かったからね。決勝で静岡学園と青森山田が戦った。案の定、青森山田が先に2点入れたので、このまま終わりだなと思ったら、なんと静岡学園が3点入れて、3対2で逆転勝ちした。この時にいちばん心配だったのは、青森山田のチームが表彰式でどういう態度を見せるのか。僕はテレビで青森山田の選手が映らないかずっと見ていた。そしたらね、静岡学園がメダルをもらっているとき、青森山田の選手たちは気を付けの姿勢をして拍手していた。もう、胸が熱くなった。やるなあ、いい指導しているなあ、この監督はって。青森山田の選手たちは『グッドルーザー』の最たるものだったね。ラグビーW杯の後だったから対照的だったんだよね。イングランドのチームと青森山田高校のチームが。
小林 川淵さんはそれをツイッターで発信された。
川淵 ラグビー・イングランド代表のことを僕がツイートしたら、「負けて悔しいから当然だ」と反論があった。そうじゃない、負けて悔しいからこそ相手に対するリスペクトがなきゃいけない。悔しさをこらえて、相手に敬意を表して、「次の機会には絶対勝つぞ」と、そういう思いを持つのがグッドルーザーなんだよ。ベンチに戻って、見えないところで悔しさを露わにしようが構わないけど、TPOをわきまえる、それが大事なことなんだ。あの時のイングランドは、僕からしたら、スポーツマンとしての必要条件である「グッドルーザー」の精神に欠ける。完全に失格なんだよね。
スポーツマンシップというのは、スポーツマンの生き方に限らず、一般社会での生き方にも直結する。日本中に「スポーツマンシップとはこういうもんだ」と知らしめたいね。
小林 スポーツに打ち込むのは勝利者になるためでなく、勝負を通してスポーツマンシップを学ぶため。それは明快ですね。私が幼いころからずっとスポーツに魅かれて来た土台にあったのは、スポーツマンシップへの憧れだったかもしれません。
■IOCは勝利至上主義、商業主義のしがらみから脱却を
川淵 とりあえず金メダル、どんな汚い手を使っても金メダルを獲ればいい、そういう言い方が勝利至上主義であってね。たとえば子どもが100m競走して絶対勝ちたいという気持ち、これは絶対にある。勝ちたい気持ちがあってがんばるわけだから。
子どもたちがスポーツに限らず勉強での競争も含めて、「なんとか勝ちたい」「一番になりたい」と思って努力することはこれ大事でね。どんな弱い子でも勝ちたいのは勝ちたい。びりっかす同士で走っても勝ちたい。勝ちたいという気持ちは大事なんだよね。それを勝利至上主義とは言わない。勝てば何をしてもいいというのが勝利至上主義。子どもの勝ちたいという気持ちは絶対になくてはならない大事な気持ち。ここをどう差別化するのかな。
小林 商業化が進む中で、勝利や金メダルというわかりやすい興奮が最高の価値みたいに設定されてしまったんですかね。
川淵 「プレーヤーズファースト」だなんてよく言うなあ、というのが正直なところでね。とにかくお金を集めるために、テレビ局にとっていちばんいい時間帯に全世界に中継する。そのためにテレビ局の言うことを全部聞くのは絶対にプレーヤーズファーストじゃないよね。
そのお金を世界各国に配分してスポーツ発展のための資金にする、地域のスポーツ発展に貢献するというのが大義名分になっているんでしょ。それはどう考えても納得がいかないね。スポーツを普及させる方法はほかに考えればいい。周辺の国がバックアップするなり、地道に育てていけばいいわけでね。
小林 オリンピックはどんどん肥大化しています。コロナ禍があって今年は延期せざるをえなかった。この機会にオリンピックを見直したらいいと思います。
川淵 競技も増やすばかりで、やたらお金がかかるのは問題だよね。例えばリオデジャネイロ、アテネもそう、オリンピックが終わった後、施設が草ぼうぼう、財政が疲弊してどうにもなんないなんて。事前に調査した上で決めているとは思えない。そういうところは、東京オリンピックを通じて見直すべきだと思っている。あくまで個人的な意見だけどね。
小林 若者に人気のあるアーバン系のスポーツもどんどんオリンピックに取り込みました。
川淵 僕は基本的に、昔から伝統的に受け継がれてきた競技を重視したらいいと思う。若者に人気のある新しいスポーツの大会は別にやればいいんだからね。オリンピックの精神はね、世界各国の若者が集まって交流が盛んに行われることで世界平和につなげていこう、それが最大のオリンピック精神でしょ。競技数や人数が多ければいいわけじゃない。選りすぐられた伝統的なスポーツだけで選手間の交流をしっかりとやっていく。それがオリンピック精神にもとるとはまったく思わないよね。若者に人気があるから、その種目を選ぶって姿勢はどうも抵抗がある。
小林 川淵さんがIOCの会長なら、あるいはオリンピックのプロデューサーなら、競技をもっと限定した形でオリンピックを自立してやっていく方法はあると思われますか?
川淵 あると思うよね。いまは基本的にはアメリカのテレビ局から相当なお金をもらうという大前提で進んでいる。もしアメリカのテレビ局が、その時間帯では放送できない、中継を全部やめると言うなら仕方がない。他にどうやって収入を集められるか考えればいいし、集められる範囲内でやればいいんだ。オリンピック憲章は、派手に豪華絢爛にやれなんて言ってない。世界の若者たちが一堂に会してお互いに交流することで世界平和を構築するのが原点であるならば、いまのやり方を続ける必要はまったくないと思う。
小林 サッカー界も商業主義の影響はありますよね。
■テレビの意向で「正午にW杯の決勝戦」なんて馬鹿げている
川淵 いちばん初めに思ったのは1年のアメリカ・ワールドカップの時に、決勝戦が12時だったんだよね。決勝だけでなく、全体的に日中のいちばん暑いときにやった。見てると「これ、選手は大変だなあ」って。当時はアメリカ国内よりヨーロッパの放送権料の方が高かったから、ヨーロッパ向けの時間に設定したんだろうね。
よくもまあこんなバカなことするなって思ったいちばん最初だね。選手ファーストなんてどこに行ったんだって。いちばん過酷な条件で試合をさせるなんて、馬鹿げているよね。
小林 テレビ局やスポンサーの意向を最優先にしたオリンピックのスタンスを変えることはできますか。
川淵 IOCはアメリカのテレビ局の放映権料をなんとか確保したい。でも、そこを変えるしかない。そこが唯一最大の問題だから。
小林 私は東京五輪招致にずっと反対していたのですが、理由のひとつは、「ロス五輪以来の商業主義はもう限界に来ている。東京でやるなら、テレビ局やスポンサーに依存しない新しいビジネスモデルを提案するべきだ。そうすれば次の何十年か、オリンピックが健全に発展していける。ところが、招致活動にはそのような発想はまったく感じられませんでした。それどころか、古い商業主義の極まった形でお金を集め、華美を極めようとしていた。
川淵 僕も、東京オリンピックは変化のきっかけになればいいと思うのよね。招致段階なら、開催候補地がそんなこと言ったって、他の候補地がIOCの意向に添っていたら落とされる。
要は、最後はIOCの決断、判断だからね。でも、いまのように経費がかかりすぎて、招致したい国がどんどん減っていく。早く手を打つべきじゃないか。東京オリンピックがそのきっかけになればいい。
■来夏の東京大会はオリンピックを劇的に改革する絶好のチャンス
小林 そう考えれば、いま東京は千載一遇のチャンスを得ているとも言えそうですね。もう開催地に決まっている。東京が返上しない限り、いまさらIOCは他国に場所を移せないでしょうから。コロナ禍の中で来年開催するためには簡素化や様々な大胆な改革が必須条件になります。全部IOCの言いなりではなくて、きちんと主張するチャンスがあるのではないでしょうか。
川淵 ある、ある! これまではすべてIOCに従わないといけなかったけど、いまはチャンスだね。すべてIOCの言いなりにならざるをえないところにオリンピックの大問題がある。いろんなまあ、IOC委員の待遇だとか、この前も資料を読んでいたら、やたら貴族扱いの感じになっているでしょう。宿泊するホテルにしても、もっとランクを落として普通にやるとか。いろんなやり方ができるんじゃないかな。
小林 東京五輪の簡素化のプランの中に、「選手村の入村式をやめる」というのもあります。
川淵さんの大事なお仕事がなくなりますが。
川淵 入村式が村長のいちばん大事な仕事だからね(笑い)。別の方法も考えているらしい。できるだけ簡潔にやるのはいいよね。思い切って、ここまでやるのってくらいね。
小林 いまはまだコロナ感染防止対策も検討段階ですから、東京五輪に反対する声も根強くあります。川淵さんはどう思われますか。
川淵 僕がいちばん思うのは、何がなんでもオリンピックは開催した方がいい。バッハ会長も、森組織委員会会長も、菅総理も言っておられる。1万数千人来る予定だった選手が、仮に1万人かそれ以下であってもいい。各競技団体が「オリンピックとして競技がやれる、世界一を決める大会にふさわしい人選ができる」と確信のある競技に限ってでもいいからやるべきだ。
もし中止したら、もうね、想像できないくらいの損失だね。いろんな意味で。
代表に選ばれて、日本のためにがんばるんだという選手の喪失感。選手の周辺の多くの人、関係者、世界一のパフォーマンスを目の当たりにできると思っていた数多くの人たちの喪失感ね。日本全体の喪失感は想像を超えるくらい大きいと思う。
■無観客のオリンピックに価値はない
小林 観客についてはどう考えておられますか?
川淵 僕はね、無観客でもオリンピックはやった方がいいとは絶対思わない。無観客ならやめた方がいい。無観客でオリンピックやって、どういう意味があると思っているんだろう?
テレビで見られるからいいかと言ったら、そんなことは絶対ない。観客席の人の持つエネルギーや伝播力、そういうものの大きさを考えると、観客があって初めて選手があるんだよね。
選手があって、観客があって、オリンピックが成り立つ。
選手だけでどこかでやればいいって、そういう問題じゃない。観客がいることによって選手が高揚して、普段ではなかなか出ないような実力が発揮できる。見る側の反応も、普段は経験できないような興奮と感動、あるいは落胆もあるかもしれない。それは世界一の昂奮であり、感動であり、悲しみだろう。だからどんなことがあっても、どんなに縮小しても観客のいないオリンピックなど値打ちがない。何の価値もない。観客がいて初めて競技は成り立つんだ。とくにオリンピックはね。
小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。
週刊新潮WEB取材班編集
2020年10月21日 掲載
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October 21, 2020 at 09:02AM
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無観客では何の価値もない…選手村村長「川淵三郎氏」が語る東京オリンピック - ニフティニュース
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