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Saturday, August 8, 2020

平和とは「地道に生活を続けていくこと」 谷川俊太郎さんが詩に込めてきた思い - 東京新聞


 詩人谷川俊太郎さん(88)は戦後、平和とは何かを自らの言葉で問い続けてきた。少年時代に空襲を体験した谷川さんの目に、戦争はどのように映ってきたのか。戦争を知らない世代に平和をどのように伝えていくのか。詩に込めた思いを聞いた。
戦争と平和について話す詩人の谷川俊太郎さん=いずれも東京都杉並区の自宅で

戦争と平和について話す詩人の谷川俊太郎さん=いずれも東京都杉並区の自宅で


◆山の手空襲 「死ぬって気が全然しなくてね」

 ー1945年5月、谷川さんは山の手空襲を体験した。まだ13歳だった。

 焼夷弾が降ってくるのが見えて、それが風かなんかでそれていくんですよね。あーよかった、みたいなことをやってました。そのころの男の子って、戦争を一種、楽しんでいるところがあったんですよ。怖いけども。死ぬって気が全然しなくてね。防空壕に入ったりはしてましたけど。

 空襲の日のあくる日の朝に、友達と自転車で実際に焼夷弾が落ちた場所へ出掛けていって、そこで焼死体をいくつも見たんです。それが一番強烈な経験ですね。ただ、それもまあ男の子だから。その辺の焼夷弾の破片を拾ってきて、うちへぶつけて爆発させたりとかね。遊び半分みたいな感じでした。

 うちが割と恵まれていてね、母がずっといてくれたわけだから、あんまり不安を感じなかったってことはあると思うんですけども。

 うちの父が、戦争がだいぶ終わりに近づいたころに、どうやって日本を救うか、海軍の人たちとか何人かで秘密に会っていたことがあるんですね。そういうことが空気として分かっていて。

 首相だった東条英機さんが新聞で、こどもの頭をなでているようなのがあったのね。それを見て、父がすごい苦々しげに「こういうことをやるようになっちゃ、おしまいだ」と言ったのは、すごくはっきり記憶してますね。

◆戦争は悪 「人が人を殺すとか、嫌だな」

 ー時がたつにつれ、戦争はなくならないとの考えに至った。

 若いころは戦争はなくすことができるってどこかで思っていた気がするんですけど。

 ある時期から戦争ってのはなくならないというふうに確信するようになったんですよね。戦争の原因というのは、突き詰めれば、人間の一種の欲望みたいなものだろうと。

 今の世の中はほんとに複雑化していて。戦争が錯綜した原因で起こっていると思うし。国家同士の戦争は逆になくなってきているわけでしょ。で、テロ行為的な戦争がすごく盛んになっていて。そういう中で、例えばドローンによる、完全にリモートで戦争しているみたいなことが起こってきたわけだから。

 我々が感じていた戦争とは、全然違うものになっているというのが強いんですよね。

 それでも戦争が悪であるというのは全然変わらなくてね。どんなに正義をふりかざしても、人が人を殺すとかね、そういうのがやっぱり自分にとってはちょっと嫌だな、ということになっちゃいますね。

 今にも生身の人間が全然、戦争しないで、ロボットとかサイボーグが闘うようになるんでしょうね。その感じっていうのは何かゲームでみんな感じているんじゃないかという気がするのね。

 それも怖いんですよね。生身でない戦争を感じちゃって、それが戦争だと思っちゃう若い人たちがいたら。人間の命の見方が、ちょっと違ってくるような気がしますけどね。

 ー戦後75年を迎えた。戦争体験を知る人たちが減り続けている。

 語り部的なことをやっている人がいて、とにかく伝えなきゃいけないというのは確かにあるんだけど、無理だと思いますね。どうしたって忘れちゃいますね。

 録音、録画でとっておくことはできるけども、違うんですよね。メディアを通すと。

 だから、僕が考えるのはやはり、作品、フィクションでいいものがあれば、その感覚というか、その経験がよみがえるんじゃないかという気がするんですよね、事実は忘れ去られても、芸術作品としてよみがえることはありうると。

 ー再び戦争を起こさないため、戦争に協力した歴史を反省すべきか。

 いくら戦争反対といっても、個人が戦争反対ということを行動に移せないと思うんですよね。

 やはり実際に戦争を動かすのは大企業とかね、武器産業とか、本当に戦争をしたい有力者がいるんだろうと思うんですよね。戦争がもうかるということであれば。そういうとこまでを動かすわけにはいかないと思うんですけどね

 反省する必要はなくて、むしろ逆に今の状況の中で、どうやって自分が戦争に反対することができるのかというふうに考えないと。

 簡単に言えば、その人がその人の仕事をちゃんと地道にやっていって、日常生活、まあ家庭を持っていれば家庭をちゃんとやっていくことが必要だと思いますね。

 地道に毎日の生活をちゃんと続けていくってことが平和だということだろうと思いますね。

 基本的にそういう人間の普通の生活を信じて、それを守るということしか戦争反対の道はないという気がするんです。

 それが、たった一人であってもね。

◆反戦詩 「戦争に対する不安は、ずっとある」

 ー原爆をテーマにした詩を書いてきた。ベトナム戦争では反戦の詩をつづり、武満徹さんが作曲した。

 戦争に対する不安というのは、ずっとあるわけですよね。戦争と平和っていうことを自然に、自分の日常生活の中でも考えたり、感じたりするようになっているので。反戦の詩とか、そういうのを書くのは自然な流れだったと思いますね。

 自分は現実に対して、やっぱりある距離をとって詩を書いてますね。戦争が嫌だから戦争反対って詩を書くとか、あんまり意味がないと。自分が持っている技量、技術っていうのかな、それか感性を、普通のシュプレッヒコールでみんなが叫ぶような言葉じゃない言葉で書きたいというのは最初からありました。

色紙に詩を書く

色紙に詩を書く

 僕は言葉の力を過信しないようにしていて。言葉はどうしてもそこに被膜をつくってしまう。生の手触りを失うようなものだと思うのね。それを破るのはほんとにいい文章ということになるんですけどね。

 詩を書いていると、自分の身近なことから、宇宙の話から、言葉が広がっていくわけですよね。その中に食事のことと同じように戦争のことが頭に浮かぶわけじゃないですか。

 2015年に絵本「せんそうしない」、一九年には「へいわとせんそう」を出版。「戦争が終わって平和になるんじゃない 平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ」と思いを込めた。

 日本はずっとまあ一応、平和だったわけでしょ、あの戦争に負けてから。なんか今ちょっとみんな思ってないかもしれないけど。平和ってのが当然であるのに、戦争と平和っていうふうに反対語のようにとらえるのは、ちょっとおかしいんじゃないかと。我々の日常生活ってのは、平和がまず先であって、そこに戦争が侵入してくる。

 子どものために書くというよりも、絵本というのは自分の中で大きなメディアになっているんですね。若いころから絵本を随分書いてきたし。今、やはりなんか世の中がこう不安になって、戦争をテーマに描かないかと誘いが来るので、書いたんです。

 「せんそうしない」というのは、人間だけが戦争しているんで、他の生き物は争いはするにしても戦争はしてないわけでしょ。「へいわとせんそう」はトルストイ以来、「戦争と平和」となって、定着しているけど、逆なんじゃないかと。



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