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Sunday, March 8, 2020

よみがえった東京、特別な感慨あった1964五輪~元NHK・杉山茂さんの回想(読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo! - Yahoo!ニュース

よみうり回想サロン

 杉山茂さん(84)は、元NHKのスポーツ中継のディレクター、プロデューサーとして、1960年(昭和35年)のローマ五輪から98年(平成10年)の長野冬季五輪まで一貫してスポーツ番組の制作に携わってきました。59年(昭和34年)にNHKに入局後、すぐにローマ五輪のテレビ放送の補助でスポーツディレクターの妙味を知り、64年(昭和39年)の東京五輪では第一線の制作者として競技の現場に臨み、五輪の熱気を肌で知る貴重な世代です。杉山さんに当時を回想してもらうとともに、今夏の東京五輪への期待を語ってもらいました。(読売新聞クロスメディア部 塩崎淳一郎)

早慶レガッタ生中継に感動、志望を通信社からテレビに

 慶応大学文学部に在学中は、ハンドボールの選手として体育会で活躍していた杉山さん。学生時代、当初は通信社の記者になるのが夢でした。テレビ放送が日本で始まったのは、1953年(昭和28年)で、東京・四谷の杉山さんの家にもテレビはありませんでした。その威力を知ったのは、毎春恒例の隅田川の早慶レガッタでした。

 「街頭テレビで生中継をたまたま見たんですよ。そうしたら、慶応のボートが横波を受けたか何かして、アクシデントで沈没したんですね。それを見て、テレビってすごいな、と。通信社で文章の力で伝える方法もあるけど、生々しさではテレビが勝っている。その時にテレビ局に志望を変えたんです」と話します。

 この頃、力道山らが活躍していたプロレス中継も見ていて、試合の合間に電気掃除機のコマーシャルを生でやっていて、その後、電器店で瞬く間に掃除機が売れていく光景も目の当たりにするなど、テレビのパワーに圧倒されました。

最初は生放送だけ、革命的なビデオテープの発明

 NHKに入局し、最初に配属されたのは名古屋放送局でした。杉山さんは、プロ野球の中日ドラゴンズの試合中継、大相撲の年1回の名古屋場所中継などの経験を通して、ディレクター修業を始めました。当時はラジオ全盛時代。新聞を広げると、テレビ欄よりラジオ欄の方がはるかにスペースの大きい時代でした。

 入局2年目、ローマ五輪が開かれます。そこで杉山さんは、ビデオテープに出合いました。当時のテレビ番組は、スポーツのみならず、料理番組から歌番組、果てはドラマまですべて生放送でしたから、テレビの制作現場を一変する「革命的な発明」でした。

 「50年代後半にアメリカで発明されたビデオテープ。何がすごいかと言うと、生中継ができなくても、スポーツをテープで収録し、時間を置いて再生できることです」

 ローマ五輪に手伝いで動員された杉山さんは、ビデオテープの威力に圧倒されました。「ローマで収録したテープを空輸して、2日遅れで放送したんです。最初に伝えるのはラジオで、次いで新聞、その後にテレビの順番でしたが、それまで日本人になじみの薄かった体操競技や自転車競技を僕はその時、初めてビデオテープで見ました。撮影の方法をはじめ、すごく勉強になりましたね」と振り返ります。

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