家族で唯一耳が聞こえる少女が夢と現実のはざまで葛藤し成長する映画「コーダ あいのうた」が今年の米アカデミー賞で最高権威の作品賞に輝いたが、同様に「コーダ」と呼ばれる、耳が聞こえない親を持つ子どもたちのリアルな悩みに向き合ったドキュメンタリー映画が公開中だ。タイトルは「私だけ聴こえる」。松井至監督(38)は「人生に悩む人に何かを感じてもらえれば」と来場を呼び掛ける。(谷岡聖史)
コーダ(CODA)Children Of Deaf Adults(ろう者の親を持つ子どもたち)の頭文字を取って、1980年代に米国で生まれた言葉。日本でも90年代以降、JーCODAなどの当事者団体が活動している。近年では、コーダとして育ったライター五十嵐大さんのエッセー「しくじり家族」や、ろうの写真家斎藤陽道さんがコーダであるわが子の育児を漫画にした「せかいはことば」などの書籍も刊行されている。
松井監督はテレビドキュメンタリーを中心に活躍しており、コロナ禍で社会の片隅に生きる人々を記録した「東京リトルネロ」で貧困ジャーナリズム賞(2020年)などを受賞した。
コーダを知ったのは15年。海外向けのテレビ企画で、東日本大震災で被災したろう者やその子どもを取材した。「親密な時間をともにした親子のはずなのに、まるで別の星から来たようにあり方が異なる。そのことに衝撃を受けた」
◆「健聴者とろう者の懸け橋であり孤独」
取材を進める中で、手話通訳を務めた米国人女性のアシュリーから「私もコーダです」と打ち明けられたことをきっかけに映画に着手。コーダという概念が生まれ、コーダ同士の交流活動の歴史もある米国で、16〜19年に4人のコーダの生活を追った記録だ。
アシュリーは妊娠し、ろうの子が生まれる可能性に戸惑う。ろうのシングルマザーに育てられたジェシカは、大学進学で家を離れることになり母親との関係を見つめ直す。自ら「MJ」と名乗り、周りからもそう呼ばれる女子高校生は家では明るいが、学校では無口な「二重の人生」を自己嫌悪する。「私はずっとろう者になりたかった」というナイラはある日、聴力に異変を感じる。
コーダは、存在も特有の悩みも十分に知られていない。親のため幼い頃から手話通訳で大人の会話に参加し、学校では同情され、その葛藤を親と共有できない子もいる。
ナイラがインタビュー中に涙を流す場面などを盛り込んだ試作版は、カナダの映像コンペで好評だったが、それを見たナイラは「かわいそうな人だと思われたくない。私の物語は私のもの」と反論。松井監督は「マジョリティーが消費するための感動ポルノのようになってしまった」と振り返る。その後は「コーダとは何かを一緒に映してみよう」と4人に頼み、映画で何を伝えるか、どんな場面を撮るか話し合いながらつくっていったという。
「コーダは健聴者とろう者の懸け橋ともいえるし、孤独だともいえる」と松井監督。「コーダというアイデンティティーがあると知らせたいし、『自分には居場所がない』と感じる人にも見てほしい」と願う。
映画「私だけ聴こえる」は、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。
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