滋賀県立美術館は、日本庭園や県立図書館が隣接する緑豊かなびわこ文化公園の中にある。1984年に滋賀県立近代美術館として開館し、当時としては珍しく初代館長に女性(上原恵美氏)を迎え、上原氏は美術館のコンセプトのひとつに「県民の応接間」を考案したという。
滋賀県立美術館 ディレクター 保坂健二朗氏 プロフィールはこちら ↓
現在開催されている展覧会「人間の才能 生みだすことと生きること」のキュレーションは、ディレクターの保坂氏が担当した。滋賀県立美術館では2016年から作品収集方針のひとつに「アール・ブリュット」を掲げているが、この展覧会で紹介されている作品の多くは、プロのアーティストではない作家たち――「誰かに評価されることを望まず、日々の生活の中で独自の方法論を編み出しながら作っていく」、「生みだすこと」が、「生きること」と一体になっているような人たちによるものだ。
「アール・ブリュットの定義は難しいのですが、美術の専門的な教育を受けていない、芸術文化に傷つけられていない人たちによって、独自の方法によって作った作品、ということが言えます。滋賀県立美術館がアール・ブリュットの作品の収蔵や企画展をすることについて、よくやっていると褒めてくださる方もいらっしゃる一方、そうじゃない方もいらっしゃる。例えば、その作品をアール・ブリュットかどうか、いい作品かどうかは誰が決めるのか。キュレーターはそれを決められるほど偉いのか。なぜアートと呼ばず、わざわざアール・ブリュットと呼ぶのか――そう批判されることもあります」
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「人間の才能 生みだすことと生きること」
開催美術館:滋賀県立美術館
開催期間:2022年1月22日(土)~3月27日(日)
美術館はどんな作品のためのものなのか。
ディレクター就任後、初めて担当した展覧会
『人間の才能』で改めて問いかける
本来は優れた作品を収蔵するのが美術館であり、優れた作品とは、切磋琢磨した美術家たちが制作したものだ。それを収蔵し、未来に伝えていく場所が美術館であるはずなのに、美術家ではないひとたちが作った、保存性を意識せずに作られた作品を収蔵することは、果たして美術館として正しいのか。そんな批判を受けることもあるというが、保坂氏にとって、そのような批判を受けること自体は「ウェルカム」なことだ。
「批判があるのであれば、アール・ブリュットというのはそもそも何なのだろう、そういう言葉は必要なのだろうか、さらに美術館というのはどんな作品のためのものなのか。そんなことを改めて考える場としての展覧会を作りたい。そう思ってキュレーションしたのが『人間の才能』展です。この展覧会のタイトル通り、人間に与えられている作ることという才能、それを最大限発揮している人たちによる作品、『生みだすことと生きること』が一体化している人たちによる作品を展示会場で見ていただくと、我々がいかにこれらの作品に心を動かされるのかということを感じていただけると思います」
「アール・ブリュットアート 日本」(平凡社、2013)を監修した保坂氏は、日本におけるアール・ブリュット研究の第一人者として知られる。2021年に現職に着任前は東京国立近代美術館(MOMAT)の学芸員として20年間勤務していた保坂氏だが、滋賀県との縁は実はそれ以前から始まっていた。アートの境界を崩す目的を持って開設され、アール・ブリュットを紹介していた近江八幡のボーダレスアートミュージアムNO-MA(2004年設立)で開催された、ある展覧会に足を運んだことがきっかけだった。
「NO-MAにはずっと行きたいと思いながらなかなか行けなかったのですが、2006年に美術雑誌から展覧会記事執筆の依頼をいただいて、喜んで出かけたんです。『快走老人録〜老イテマスマス過激ニナル〜』という面白いタイトルの展覧会で、老人の想像力を取り上げるものでした。滋賀県立美術館でも今年の秋に展覧会を開催予定の塔本シスコや、現在は当館で作品をコレクションしている小幡正雄など、面白いクリエーションがあったらどんどん紹介しようという展覧会。展覧会としても施設としても斬新だったし、アール・ブリュットとかアウトサイダーアートとか関係なく、いろいろできるんだなあと、非常に感銘を受けた展覧会でした」
東京国立近代美術館に在籍中、
ボーダレスアートミュージアムNO-MAで
展覧会をキュレーション
その後、NO-MAのアートディレクターはたよしこ氏から、「関心があるなら一緒にやりませんか?」という誘いを受け、当時は東京国立近代美術館研究員だった保坂氏のキュレーションによる展覧会がNO-MAで実現することになる。いくつか開催した展覧会の中で印象深いものとしてあげるのが、「この世界とのつながりかた」(2009年)だ。この展覧会で取り上げた作家は世界的に活躍するプロのアーティストから、精神科病院で暮らしている人、年齢も17歳から92歳まで。人間の内側に広がる内面の世界と現実に生きている世界――内と外の世界をすりあわせによって生じる揺らぎに対して、意識やまなざしを集中させながら制作に取り組む作家たちを紹介した。調査を重ね、実際に作家たちに会いにいくプロセスの中で、人間の創造力に驚嘆することになる。
「どんどんのめりこんでいったんです。当時は東京国立近代美術館に勤務していましたから、そちらではフランシス・ベーコンやゴッホらの世界的な作家の展覧会を担当していたんですけど、その一方で、いわばゴッホやベーコンに比べたら名もなく、展覧会といっても近所の喫茶店なんかで開いているような人たちも、面白い作家であれば等しく同じように調査に行き、展示に関わりました。NO-MAで考えたことをMOMAT(東京国立近代美術館)のほうにもフィードバックさせて、いろいろ考えていきたいと思うようになったんです」
幼い頃に世田谷美術館で触れた
素朴派やアール・ブリュットへの
シンパシーが今日までつづく
保坂氏がキュレーターの仕事を意識したのは高校時代。授業で美術史を学び、現代アートへの興味から美術の仕事を志した。幼少期に世田谷に住み、砧公園を庭のようにして遊んでいたという保坂氏にとって、身近な存在だったのが世田谷美術館。日曜日に砧公園で遊んだ帰り、両親と頻繁に訪れるうちに、世田谷美術館が所蔵するアンリ・ルソーらの素朴派やアール・ブリュットの作品に強く惹かれた。
「世田谷美術館には、素朴派やアール・ブリュットの作品がかなり収蔵されています。子どもの頃からそれを見ていたので、いわゆる『この絵がすごい』といわれているものよりも、アール・ブリュットとか素朴派といわれてる作品のほうが自分としては面白いと思っていました。どこか子どもの描いた絵に近くて、シンパシーを感じるというか。そのシンパシーが薄れることなく、ずっとつづいていたんですね」
アール・ブリュットは保坂氏のキュレーターとしてのキャリアの中でも特別なものであるが、大学時代に見た展覧会「エイブル・アート99' このアートで元気になる」(1999年 東京都美術館)、そして大学院時代に指導教授に薦められて原書を読んだハイデルベルグ大学の精神科医ハンス・プリンツホルンの著書『精神疾患者の造形』の影響はとりわけ大きなものだった。(プリンツホルンの著書は、当時のシュルレアリスムの作家たちに注目され、フランスの画家で「アール・ブリュット」の提唱者であるジャン・デュビュッフェに影響を与えたことでも知られる。)1990年代後半は東京の資生堂ギャラリーやメルシャン美術館など、海外のアール・ブリュットの展覧会が頻繁に開催された時代でもあり、それは保坂氏の大学時代とそのまま重なる。
「今回の『人間の才能』展でも協力をいただいた、インディペンデント・キュレーターの小出由紀子さんが資生堂に在籍されていた頃、頻繁にアール・ブリュットの展覧会が開催されていたんです。当時のアート好きな人たちは、その展覧会を結構見ていたはずです。当時ヘンリー・ダーガーの人気も盛り上がっていて、資生堂やラフォーレで展覧会が開催されました。ダーガーはもともとはアウトサイダーアートとかアール・ブリュットの文脈で展示されていた作家ですが、ニューヨークのMoMAに作品が収蔵された頃から一気にステータスがあがり、今日では現代アートの作家として知られています。他には、都築響一さんが好きなアーティストを紹介する『アートランダム』というシリーズでアウトサイダーアートが紹介されたりと、大学生の頃は海外のアール・ブリュットを見る機会がたくさんあったんです」
『近代日本画』、『戦後アメリカと日本』、
『滋賀県ゆかり』、『アール・ブリュット』
に加わった5つめの収集方針は『多様性』
2021年1月に滋賀県立美術館のディレクターとして着任して1年が過ぎた。1984年に開館した滋賀県立美術館には、「日本美術院を中心とした近代日本画」、「滋賀県ゆかりの美術・工芸等」、「戦後アメリカと日本の現代美術」という3つの収集方針があった。そこに2016年、「アール・ブリュット」という4つめのテーマが加わり、新たに、「芸術文化の多様性を確認できるような作品」が加わった。重要文化財《近江名所図》から、滋賀県出身の日本画家、小倉遊亀の約60点の作品、抽象表現主義を代表するマーク・ロスコなどの戦後アメリカ美術、そして「人間の才能」にも出展されているアール・ブリュットの作家、澤田真一の作品などが代表的なコレクションとして知られている。
「2016年にアール・ブリュットが加わりましたが、収集方針はもともと『近代日本画』、『戦後アメリカと日本の現代美術』、『滋賀の郷土ゆかり』の3つで始まっています。県立美術館として『郷土ゆかり』のコレクションは理解できるとして、それ以外の2つはかなり特殊。収集方針に日本画が特設されていることも、さらにアメリカの現代美術も相当特殊です。あまりにもコアに集めすぎていて、集められていない部分が他の美術館に比べると多いのですが、今からそれを全部埋めていくのは無理。5つめの収集方針をどうしようかと考えたときに、ちょっとずるいかもしれませんが掲げたのが『多様性』です。写真も、デザインも、老人の絵も、子どもの絵も、そこには含まれます」
滋賀県立美術館に所属する学芸員は現在8名。収集方針に沿った専門性を有するスタッフが揃うが、アール・ブリュットについては専門家がいない。そのため「人間の才能」展はディレクター(館長)である保坂氏が担当することとなったが、本来はディレクター職に専念したいと語る。
「展覧会を積極的に担当したいのでは?と問われることがあるのですが、名刺にディレクター、GMと書いてあるように、全体の方向性を決めたり、方向性が見えるように対外的にアピールしていくことが僕の仕事。展覧会のキュレーションの機会は学芸員たちに渡して、こうすればよくなるよ、とアドバイスをしていくことに専念したい。それだけ聞くと暇そうに思われてしまうんですけど(笑)。キュレーションの仕事は、もちろんやっていきたいと思っています。幸いにも、国内国外ともに展覧会をする機会をいただいていて、現在も準備中です」
2022年の春以降に滋賀県立美術館で開催される展覧会スケジュールは「人間の才能 生みだすことと生きること」(開催中~2022年3月27日)につづき、滋賀県出身で明治から昭和初期にかけて活動した日本画家の展覧会「生誕150年 山元春挙展」(2022年4月23日~6月19日)、夏以降は「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス」(2022年7月9日~9月4日)、「石と植物」(2022年9月23日~11月20日)、「第76回滋賀県美術展覧会」(2022年12月8日〜12月21日)。そして2023年には滋賀県出身の写真家の初の回顧展となる「川内倫子展」(2023年1月21日~3月26日)が開催される。
「『石と植物』ってちょっとおもしろいタイトルですが、実は石を描くのは日本画の画家たちには必須なことで、岩壁や岩の質感をかき分けるのは日本画の基本中の基本なんです。さらに、植物は日本画の作家にも油絵の作家にも写真の作家にも大事なモチーフ。存在の根源的な基盤であり、美術にとっても基盤である『石』と『植物』にまつわる作品をコレクションから紹介します。日本画担当も現代美術担当も皆でチームになって一緒に取り組むことに加え、石や植物が題材ということで琵琶湖博物館にも協働をアプローチしていて、とても楽しみな展覧会です。滋賀県出身の写真家の川内倫子さんの展覧会(東京オペラシティアートギャラリーと共催)では、甲賀市甲南町にある障害者福祉施設「やまなみ工房」を川内さんが訪ね、日々のいとなみを記録した作品を紹介します。この作品をはじめとした、川内さんの作品の中でも特に滋賀と関わりの深い作品を、企画展に加えて常設展でも展示するため、東京よりも規模が大きな展覧会になる予定です」
VOL.06 滋賀県立美術館
滋賀県立美術館 館長(ディレクター) 保坂健二朗 氏
Kenjiro Hosaka Shiga Museum of Art
1976年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、2000年~2020年に東京国立近代美術館(MOMAT)に学芸員として勤務、2021年より現職。MOMATで企画した主な展覧会に「フランシス・ベーコン展」(2013)、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(2016)、「日本の家 1945年以降の建築とくらし」(2017年)など。「Logical Emotion: Contemporary Art from Japan」(2014、ハウス・コンストルクティヴ他)やウラジオストク・ビエンナーレ2022など国外でのキュレーションも行う。著書に「アール・ブリュットアート 日本」(監修、平凡社、2013)など。
からの記事と詳細 ( キュレーターが語る 話題の展覧会の作り方 VOL.06 滋賀県立美術館 - 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ )
https://ift.tt/pNmZe7O
No comments:
Post a Comment