冬季北京オリンピックが終わり、いよいよ世界は本格的な危機の時代へと突入する可能性が出てきた。新型コロナウイルスは、変異を繰り返している。今後、終息するとしても、いつなんどき再び猛威を振るうやもしれない。私たちは、コロナと共生することを考えねばならない。(文 作家・江上 剛)
国際情勢はきな臭い。ロシアがウクライナへ侵攻した。
中国と台湾の関係も不穏だ。西側世界の批判を斟酌(しんしゃく)しない中国が、ロシアの動向次第では、台湾侵攻を開始するかもしれない。
こうなると、その機に乗じて、北朝鮮が38度線を破って、南側の韓国へ侵攻するかもしれない。
まるで世界は、第3次世界大戦の様相を呈している。
その他にも環境、格差、少子高齢化、そしてインフレ、金利高騰など、私たちはかつてない危機にあふれた状況に追い込まれている。
もうお手上げだ。未来はない。そんな暗い気持ちにさえ陥ってしまう。
◆「囲いをつくる」とは
ジャレド・ダイアモンドは「危機と人類(上下)」の中で、危機に陥った際、思考停止状態を克服するために「囲いをつくる」ことを推奨している。
「問題を明確化し、それに『囲い』をつけるだけで、心が軽くなる」と言うのだ。その結果、危機に対処する「選択的変化」という実行可能な方法に着手できるのだ。
具体的には「今の自分のなかで、すでにうまく機能していて、今後も変える必要がなく、保持できるところはどこか? 古いものを捨て、新しいやりかたを取り入れるべきところ、それはどこか?」。
これが選択的変化であり、個人的危機も国家的危機も同様の対処が必要であると言う。
彼が評価するのは明治維新である。西洋との接触や幕府の衰退という危機に際して、明治維新を推進した勢力は「明治時代に新しく考えだされた宮廷祭祀も、悠久の昔から続いている儀式とされた。革新的なものごとを古来の伝統だとする『伝統の発明』」で危機を乗り切った。
すなわち、芸術、衣服、国内政策、経済、教育、天皇の役割、封建制、外交など日本人の生活の大部分に選択的変化が起きたのである。
彼らは古いものを新しくする「伝統の発明」を行い、国内のあらゆる分野に日本の土台の上に西洋を取り入れ、選択的変化を実践したのである。
ジャレド・ダイアモンドの説に従うなら、私たちは、現在の危機に際して、思考停止に陥ることなく、危機を「囲い込み」、すなわちどのような危機に陥っているのか、不安ばかり募らせることなく具体化するのである。
その上で捨てるものは捨て、新しいやり方を取り入れる「選択的変化」を実践する必要がある。
◆先人の選択的変化
私は、経営者の人物評伝を何作か書いてきた。彼らは危機に際して、どのようなものを囲い込み、選択的変化を実施したのか。それを見ていきたい。
まずは、大倉喜八郎(1837年10月23日~1928年4月22日)である(「怪物商人」PHP文芸文庫)。
彼は、大成建設、サッポロビールなど多くの企業を育て、東京経済大学を創立し、教育にも大きな貢献をした人物である。
彼は、現在の新潟県から維新前の江戸に出てきた。彼の人生をたどって、危機の囲い込みと、それに対する選択的変化を見てみよう。
彼は武士の風下にいることを潔しとせず、江戸に出てきて、乾物屋を営み、その後、武器商人に転じ、戊辰戦争で財を成す。その後も、台湾の役、日清・日露の戦争で大もうけする。「死の商人」「戦争屋」といわれる由縁である。
彼は時代の風を読むのに優れていた。武士の世から商人の世に変わると考え、そこで成功するために、あえて危機の中に身を投じた。
彼の最大の危機は、戊辰戦争の最中、上野の森を占拠する幕府軍の彰義隊に捕らわれた時だろう。
武器商人である彼は、官軍にも幕府軍にも武器を売っていたのだが、彰義隊から「なぜ、幕府軍に武器を売らないのだ」と問い詰められる。
返事次第では首をはねられて終わりになる場面である。
◆新時代にふさわしい論理
彼は、彰義隊の大将に言った。「私は商人であります」
彼は、商人にとって官軍も幕府軍もない、代金を払ってくれる人が客である、との論理で相手を説き伏せたのである。
幕府軍は武器代金を支払っていなかったから、客ではなく、武器を売らなかったのだと。
彰義隊の大将は、彼の主張の正しさを認め、彼を放免した。
彼は、「商人」の論理で危機を囲い込み、選択的変化を実施したのである。彼は、道徳を説くようなことはしない。いつも「商人」の論理で危機を乗り越えていく。
とはいうものの、古いタイプの商人は武士にへつらうだけであるが、彼はそうではない。
私が彼のことを「怪物商人」と名付けたのは、商人とは、商売を通じて、人々や国の役に立つことという、新しい時代にふさわしい論理で数々の危機を乗り越えていったからである。
箱館戦争に加担したり、岩倉使節団を追い掛けて洋行したり、台湾の役に船を出したり、中国に投資したり…。中華民国の建国の父たる孫文を支援したのも古い商人像を捨て、新しい商人像を抱いていたからである。
リスクを取らなければ、企業の飛躍はない。彼の生き方を見ていると、そのことがよく分かる。目前にどんな危機があっても、それを時代の風と受け止めて、その危機の中に飛び込んでいく勇気がある「商人」が成功をつかむのだろう。
◆失敗原因の明確化
安田善次郎(1838年11月25日~1921年9月28日)は、富山県出身で、江戸で行商から身を興し、現在のみずほフィナンシャルグループの前身である富士銀行などを創業した(「成り上がり」PHP文芸文庫)。
彼の危機は、文久銭(4文銭)投機で失敗したことだろう。
両替商になりたての頃、文久銭が銅の含有量で江戸と地方で価値の差があるとの情報を得た。江戸で安く仕入れ、地方で売りさばけば、大もうけできると考え、275両も投機したのである。
ところが見事に失敗した。信用は地に落ち、妻とも離婚させられ、縁を切られてしまう。
しかし、この失敗の危機があったからこそ、後に日本一の金融王になるのである。
彼は、自分の失敗は、一気に成功への階段を上ろうとしたことだと考えた。
そこで千里の道も一歩から、ちりも積もれば山となる、との信念で信用を回復しようとする。
商人は信用が全てであると思い定め、投機には手を出さないことを決める。
信用失墜の危機がなぜ起こったのかと、その原因を明確化、すなわち囲い込みを図る。
その上で、自分に一番ふさわしい商売は、やはり両替商であると思い定め、その商売を通じて信用を取り戻す道を選ぶという選択的変化を実施したのである。
地道な商売の姿勢が認められ、両替商では新参者であったが、その信用は群を抜き、やがて銀行業へと踏み出していく。
失敗を次の発展の踏み台にするためには、その失敗の原因をよく分析し、それへの対処を間違えないようにしなくてはならないことが彼から学べるだろう。
◆選択的変化の典型例
富士フイルムの事例を紹介したい(「奇跡の改革」PHP文芸文庫)。
富士フイルムの基幹事業であるフィルムの需要が2000年をピークに急減し始めた。デジタルカメラが普及し始めたからである。フィルムが消えると危機感を抱いた古森重隆氏(当時社長)は、技術の棚卸しを始めた。
約2年間にわたって、同社の技術の他社比強みは何かを社内で議論させたのだ。
その結果、「コラーゲン、ナノ化、抗酸化、乳化」の技術が同社の強みであることが、社内の共通認識となった。
そこから化粧品、医薬品など新分野に進出し、業績を回復させたのである。
これは危機の囲い込みと選択的変化の典型的事例だろう。
危機に際して、思考停止にならず、また優良企業であるとの漫然とした幻想に浸ることもなかった。フィルムが消えるという明確な危機感で、自社の技術で変えるべきもの、変えなくてもいいものを明確にする技術の棚卸しを行った。
約2年にもわたる技術の棚卸しから見いだされた強みを選択的変化として、新しいイノベーション企業へと生まれ変わったのである。
富士フイルムの事例を見ていると、会社の業績を上げるために、あまり関連のない会社のM&A(合併・買収)を行ったり、突拍子もない事業に手を出すのではなく、自社の強みを基本にして、そこから枝葉を延ばしていく選択的変化が重要であると分かる。
◆志ある経営
クラレの実質的創業者、大原總一郎(1909年7月29日~68年7月27日)を見てみよう(「百年先が見えた男」PHP文芸文庫)。
彼は、大原孫三郎の長男として生まれ、戦前に孫三郎から倉敷紡績などの経営を引き継ぐことになる。そして終戦によって財閥解体となり、いったん経営から離れるが、クラレ(当時は倉敷レイヨン)の社長として復帰する。
その際、彼を襲った危機は、ある意味では敗戦で自信も自尊心も失った日本人をどうするかという思いだった。
そのために彼がやろうと決意したのは、日本の技術と日本の材料による、米国のナイロンに負けない繊維の開発だった。
当時は、米国の占領下であり、日本のインフレを抑えるために派遣されたジョゼフ・ドッジによる超緊縮財政により、ドッジ不況の真っただ中だった。
彼は、そんな中でも新しい化学繊維(ビニロン)の開発、製造のために「法王」と呼ばれた日銀総裁の一萬田尚登に掛け合い、約15億円もの資金を調達するのである。クラレの資本金の2倍以上である。
彼は、企業の果たすべき役割は、収益を上げることもさることながら、日本人の自信と自尊心の回復であるとの信念を持っていた。そこでイノベーションなき経済成長は真の経済成長にあらずとの考えから日本の技術発展にこだわった。
いわば、パーパス(志)経営の嚆矢(こうし)であるといえるだろう。
彼が取り組んだビニロンがベースとなり、クラレは特色ある素材企業として2026年には100周年を迎えることになる。
◆企業への教訓
私は、その他にも住友の中興の祖、伊庭貞剛を描いた「住友を破壊した男」(PHP研究所)、JALを再建した稲盛和夫氏をモデルにした「翼、ふたたび」(PHP文芸文庫)、セブン&アイグループの創業者である伊藤雅俊氏と鈴木敏文氏をモデルにした「二人のカリスマ」(日経BP)などを書いているが、どの経営者も平坦な道を歩んで成功したわけではない。皆、危機に遭遇している。
しかし、危機に遭遇しても、その危機の前に思考停止に陥ることなく、具体的に危機を明確化し、自分の責任において、危機を乗り切る選択的変化を実施しているのである。これができなかった企業は、トラブルに巻き込まれ、破綻の道に進むことになる。
ジャレド・ダイアモンドは「危機と人類」の下巻で、将来のための教訓として「自国が危機のさなかにあると認識すること。他国を責め、犠牲者としての立場に引きこもるのではなく、変化する責任を受け入れること。変化すべき特徴を見極めるために囲いをつくり、何をやっても成功しないだろうという感覚に圧倒されてしまわないこと。支援を求めるべき他国を見いだすこと。自国が直面している問題と似た問題をすでに解決した、手本となる他国を見いだすこと。忍耐力を発揮し、最初の解決策がうまくいかなくても続けて、いくつか試す必要があるかもしれないと認識すること。重視すべき基本的価値観ともはや適切でないものについて熟考すること。そして公正な自国評価をおこなうこと」と語っている。
「自国」「他国」を「自社」「他社」と読み替えれば、今日、危機に遭遇している企業の参考になるだろう。
(時事通信社「金融財政ビジネス」より)
【筆者紹介】
江上 剛(えがみ・ごう) 早大政経学部卒、1977年旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。総会屋事件の際、広報部次長として混乱収拾に尽力。その後「非情銀行」で作家デビュー。近作に「創世(はじまり)の日」(朝日新聞出版)など。兵庫県出身。
からの記事と詳細 ( こんな時だからこそ、先人が危機をどう乗り越えたか考えよう【江上剛コラム】 - 時事通信ニュース )
https://ift.tt/OyXg1Cl
No comments:
Post a Comment