1973年に明治学院大学で出会いグループを結成、1974年にデビューしたTHE ALFEEが70枚目のシングル『The 2nd Life -第二の選択-』をリリースした。デビュー以来、ツアーを欠かさない「トラベリング・バンド」を自認し、全国をライブ行脚してきた3人がコロナ禍初めて経験した“ステイホーム”。新曲には、留まることから得た気づきを込めたという。
デビュー50周年が視野に入るTHE ALFEEは、長きに渡り同じメンバーで活躍し続けている稀有(けう)なバンドだ。キャリアを重ねる秘訣やモチベーションを高く保つコツなど、仕事観についてもたっぷりと話を聞いた(以下、3人の敬称略)。
こんなに会わなかったのは結成以来初めて
――70枚目のシングル『The 2nd Life -第二の選択-』は、いつごろ制作したものですか?
高見沢俊彦(以下、高見沢) この1年半ほどは、コロナ禍でコンサートツアーができなくなったため、ずっと創作にシフトしており、そのなかで制作した1曲です。この間もありがたいことに、他の仕事で忙しくしていましたが、僕らは「トラベリング・バンド」。本領を発揮するのはやっぱりステージですから、次のツアーに出るときに新曲があったほうがいいと思いました。それに、新曲を作っていると示すことで元気の証明にもなるし、聴いてくださる方の希望になるよう、曲を作りつづけてきたんです。
坂崎幸之助(以下、坂崎) 昨年春に出された最初の緊急事態宣言で、僕らはまるまる2カ月会わなかったんですよ。顔を合わせない期間というと、これまではお正月休みの2~3週間が最長だったのに。学生の頃に出会ってから初めての経験でしたね。
高見沢 そうだよな。顔を合わせないでいたら、解散したバンドが再結成したくなる気持ちが分かったような気がした(笑)。とはいえ、制作の工程はそれほど大きな変化はなかったんですが……。
桜井賢(以下、桜井) ただ3人が一緒にスタジオに入ることはなく、1人ずつ録りました。スタジオに行くと譜面があるから、それを見てベースを入れて、歌入れするという感じで。
坂崎 「“三密”が良くない!」って盛んに言われてましたから(笑)。
高見沢 こんなに「三密」なバンドはないですからね。これまでスタジオでマイク3本立てて、つば飛ばし合いながら歌入れしてましたから。
坂崎 コロナ禍ではそれを避けて、1人ずつ録りました。桜井とは、いまだにデータでやり取りができず、通信手段はファックスなので、スタジオで対応し完結させなきゃならないから大変だよね。
桜井 固定電話もあるよ(笑)。俺がベース入れて帰った後に、坂崎がギターを入れて帰る。自分の仕事をきっちりやれば、演奏もちゃんとかみ合うはずですから。
高見沢 長年一緒にやってるから、ばらばらに録っても不思議とコーラスもぴったりハマります。そもそも、ライブのときも互いの音なんか聞いてないからな。
桜井 聴いてないんじゃなく、聴こえないの(笑)。
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